5話 Ass-kisser ルブリの成果

 テーブルを拭きおわったアオイは、客が入ってきた気配に小さく溜め息をついた。

 閉店時刻のカウントダウンがはじまったというのに、めんどうくさい。せめてテイクアウトであってくれますようにと願いつつ、注文カウンターのほうに目をやった。

「あ……さっきの?」

 小声でつぶやいたはずなのに、その客はアオイに振り向いた。

「いま初めてきたとこだけど?」

「すいません……」

 ちょっとがっかり。ナイフ男を放り出してくれた人が戻ってきたのかと思ったのだ。こちらにむけた顔は違っていた。

「人違いしてました……その、いらっしゃいませ?」

「疑問形になっているところに先に答えると、オーダーはしない。もう閉店でしょ?」

「どうも……」

 顔を赤くして恐縮する。察しが良いというのもやりにくい。

「仕事のじゃまして悪いんだけど、おしえてほしいことがある。ソニ・ベリシャっていう子がここにいるはず。ちょっとした知り合いってだけなんだけど、その……様子が気になってて」

 アオイは、まじまじと客の顔を見た。

「もしかして、ソニと同居とかしてました?」

「一緒に生活したことはある」

「アントニアさんっ⁉︎」

「そうだけど、ソニが話した?」

「ええ、ついさっき……あれ? じゃあ、さっきソニが飛び出していったのは勘違い……っていうか、あたしが勘違いさせちゃった?」

「誰かきていた?」

 顔色が変わった自称「ちょっとした知り合い」に、早口で事情を説明する。

「さっき店のトラブルを助けてくれた人が、お客さん──あなたに似たところがあって、そのことを話したら」

「ソニが追いかけていったんだね。何分前? 行き先わかる?」

 矢継ぎ早の質問に、アオイはしどろもどろになりつつ答えようとする。



 トニーはカフェから飛び出した。

 ソニが確認に走るとすれば、駐車場か駅方向と見当をつけた。

 それにしても、逃げ出した組織<アクイラ>が誘われる〝エサ〟の価値が、ソニにまだ残っていたのか。

 ソニの居場所はバイロンが把握していた。バイロンから逃れられない落胆とともに、一部では安堵もしていた。バイロンの目が届いていると思って、悠長に構えすぎた。

 身に危険が迫れば、ソニも反撃する。相手によって容赦はない。生半可な抵抗では足をすくわれかねないからだ。

 たとえ同業者でも、ソニには殺させたくなかった。

 最後の一線は、まだ越えていないと思いたい……。



 ソニの背中を目指して、ルジェタはアクセルを床まで踏み込んだ。

 やっとソニに追いつく。こいつの死体を土産にすれば組織に戻れる──。そういったことは、どうでもいい。

 ソニ・ベリシャを殺す。

 屈辱をあたえた人間に報復することだけが目的だった。

 相手が子どもである後ろめたさはない。

 ソニには子どもである立場を利用して仕事をさせてきた。子どもであるのは仕事をするうえでの便利な手段であって、配慮すべき対象という意味ではなかった。

 命を奪う仕事をやってきって、いまだけ倫理的になるなど笑い種でしかない。



 シートベルトをする間もなかった。アシストグリップで体勢をカバーしながら、ルブリはこれからの状況に備えた。

 ルジェタが急発進させた車は、ソニめがけて突っ込んでいく。

 駐めてある車など気にとめていない。セダンのサイドミラーを吹っ飛ばし、SUVの腹に盛大な凹み傷を与えつつ、ソニしか見ていない運転で駐車場を走り抜けた。

 乱暴極まりないドライブに付き合いながら、頭は冷静だった。荒事上等な相棒と組んでいたおかげかと思う。

 その相棒も今日くるとバイロンから聞いていた。

 まだ姿が見えないが、間に合うのか——。



 ソニはすぐさま、タイヤがあげるスキール音に反応していた。

 暴走車がこちらに向かってくる。がらがらの駐車場では、走る車から身を守れるものはない。他の車をカバーに使ったしても、車ごとき殺す勢いがある。

 すぐさま生け垣のほうへと方向転換して走った。

 危険回避の策を最短の時間ではじきだす。



 ルジェタがステアリングを切り回す。

 無理な急旋回をさせて、子どもひとりを車で追い立てる。

 距離がつまっても減速の様子はない。く気満々だ。

 子どもの礫死体なんて見たくない。ルブリは蓋をしたままだったブレンドティーをホルダーから外した。

 蓋をあけた途端、揺れる車内で中身の紅茶が飛び出す。残った半分でも充分。運転手の目元にむけてカップの中身を叩きつけた。

 不意をつかれたルジェタが、進行方向を誤った。

 ぶれた手元が、よけいなステアリング操作をする。狙っていたソニからずれた。生垣を突っ切ったルジェタが急ブレーキを踏んだ。

「おまえ、最初からそういうことだったんだな⁉︎」

「ソニが本名のままで施設にいたとこから用心すべきだったな。誘い込むための舞台を用意——」

 話なかばで拳がとんできた。

 狭い助手席に逃げ場はない。横っ面でまともに受けたルブリは、サイドウィンドーに激突した。脳が揺らされる。

 激昂しながらも、ルジェタが目的を見失うことはなかった。ルブリにはもう構わない。走るソニの後ろ姿を目で追いながら、運転席から飛び出した。

 ひとりになったルブリは、なかば意識をとばしながらつぶやいた。

「類沢〝ルブリ〟ルーシャンって自己紹介したけどな、誰があんたのためのルブリカント潤滑剤になるって言ったよ」

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