4話 ニンジンと鞭
「松岡流花から報告は受けている。『宇江田アントニアが撃たれた混乱に乗じて、ソニ・ベリシャが拉致されたようだ』と。ノヴァク中谷リザヴェータや本谷歩実も同じ報告だった。訂正するところは、ある?」
バイロンの目が、トニーを正面からとらえた。
微細な変化も見逃さない観察者の目が正面にある。
ただし状況によっては、観察者から頂点捕食者へと一変し、力を行使する。
虚言がばれた報いは、そのままソニに及ぶ。事実をそのままに報告すべきだと冷静な意見が頭をよぎった。
しかし、事実を話すとソニは……
考えがまとまらない。無意味に唾液を嚥下する。どう答えてもソニが救われそうな結果が見えなかった。
窮するトニーをみて、バイロンは笑みを含んだ声で応えた。
「わたしが言いたいことをわかってくれて何より」
悔いのない答えを出せと言っているのだ。バイロンがしたのは質問ではなく、最後通告だった。
目論見など見透かされている──。
直感であり、経験から得た直観でもあった。
トニーは懸命に考える。助けてくれた友人たちが、責任を問われる事態はさけたい。
「ルカの報告は、あたしが──」
バイロンが手のひらを向けた。ストップしろ。
「墓穴を掘るな。まったく、しょうがないやつね。形式的でも、おまえに罰を与えなくてはいけなくなる。老害幹部が些細なことを掘り返しては、揚げ足を取ろうとしてくるの、知ってるでしょ?」
そこで初めて気付いたように、
「おっと失言してしまった。他言無用で頼むわね」
お互いさまと胸をなでおろすには程遠い。借りをつくってしまったともいえる。問題をかえて波乱がきそうな気がした。
「トニーの本心はわかった。この穴埋めはどうする?」
「有望な新人がいなくなっても最初に戻っただけ。あたしがそのぶん働けばすむ」
「わたしの
「……ソニをあきらめる気はない、と」
「青田買いで人材を拾うのは、私にとっての娯楽みたいなものね。ギャンブルといっていい。このところは連勝してる」
「ソニは評価に値する人材だった?」
「その答えがまさしく、これから見えてくるところ。わたしの目利きは正しかったのか、確かめたい」
「なぜ、あたしに言う……」
トニーは思い当たる。こんなことを言い出すのは、ソニの居場所をすでにつかんでいるからなのか? 狼狽して視線が泳ぎそうになる。シーツの下で手を握っては開きをくりかえし、動揺を逃がそうとした。
素知らぬふりでバイロンが続けた。
「
ソニを行かせた施設だ。
うわずりそうになる声を抑え、すっとぼけて訊いた。
「施設の下見をすればいいの? 次の仕事の」
バイロンの目元に、冷然とした鈍い光が宿る。茶番の付き合いは終わったとばかりに立ち上がると、ベットの端に腰を落とした。
手がシーツをゆっくり
トニーを露わにする。
患者衣の裾をたくしあげ、むき出しになった左脚に柔らかくふれる。バイロンの手が、包帯と肌の境をなぞった。
「わたしは、重要な局面で失敗しない<熟練者>がほしい。そのために積極的に発掘し、最適なマネジメントも考える。
熟練者を最初から望む横着はしない。そんなもの、まず簡単には手に入らない。探す手間より、育てたほうが確実。だから——」
トニーへと身を乗りだし、顔を近づけた。怜悧な双眸で問う。
「見込みのある素材を見つけたら簡単に手放すことはしない。どういう意味か、わかるな?」
ふれられていた肌に、ヤスリで整えられた短い爪がたてられた。
痛くはない。どうということはない仕草にもみえる。
しかしバイロンなら、その短い爪でも致命傷を負わせる手段をもっていた。
冷たい手で、心臓を鷲掴みにされたような感覚。頭の先まで悪寒が走った。
バイロンの掌上で走り続けるしかない——。
飼い主の人となりは、わかっていたはずだった。それだけの
あきらめて率直に応えた。
「『その施設にいって、ソニを連れ戻してこい』っていうだけじゃなさそうだ」
「わかっていればよろしい」
バイロンが離れた。椅子に戻ってくれたことに、少しほっとする。
「入院中の食事だけど、一般食じゃなくて特別メニューをとらせてあげる。体重を戻しておきなさい」
ここ最近で二キロほど減っていただけなのに、見た目だけでわかるとは。治療に経費とプレッシャーをかけてくる。
「……回復に努めるよ」
評価されているのはトニーも同じだった。
向かった先で試されるのは、きっとソニだけではない。
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