3話 vs屍食鬼《グーラ》1stラウンド
トニーにとっての怪我は、食後のデザートよりも、なじみ深いものだった。
子どもの頃から病気といえば、せいぜい風邪をひく程度だったが、生傷はたえない。父親から受ける暴力にはじまって、学校では年上相手でもケンカをするようになり、打撲やちょっとした切り傷は日常茶飯になった。
やがてストリートで命がけのやりとりまでするようになると、切創や
傷が傷だけに、医療保険は当てにできなかった。
もっとも、父親が保険料を滞納していたから、使えたかもあやしい。たいていは自分で処置していた。
自分の手が届かないところなら、仲間がやってくれることもあったし、仲間やその知人だという人間から、やり方をおしえてもらうこともあった。
かわし方がうまいのか、致命傷になるような怪我はなかったし、体力があるおかげか、治りは早かった。
銃弾を食わされたのは三、四度ほど。回数がいい加減なのは、斬られたときと同じぐらいの感覚でしかなくなったせいだ。
かといって、銃撃をくぐり抜けたと自惚れることはなかった。
銃器の規制が厳しいと、かえって粗悪なコピー銃が流れてくることがある。
撃った本人までもが大怪我をしたという笑えない笑い話もふくめ、紙一重で死んでいった人間を何人か知っている。昨日は他人のことでも、今日は我が身をひしひしと感じていた。
そしてついに、現実のものとなる。
気を失うまでの失血は初めてだった。
重いまぶたをあげたとき、目に入ったのは白一色の光景だった。
最初はあの世かと思った。ただ地獄にしては、ずいぶん明るい。天国にいくはずはないから、まだ現世にいるのだとわかった。
目の焦点があってくると、白い天井を見ていたのだとわかる。
たすかったと理解しても、感激も安堵もなかった。
妹に会いそびれたのだけは残念だったが、フロラと同じところに逝けるはずなどない。これにだけは失望を感じた。
意識がはっきりしてきたが、身体が動かない。倦怠感がひどかった。
視線だけで状況を確かめた。安いモーテルのような内装は、病院の個室だ。
歩実のバンで運ばれたから、<
解せないのは個室に入っていること。トニーの組織内での地位は、個室に入れるほどではない。相応の目的があると覚悟したほうがよさそうだった。
その証拠に、先ほどから感じている気配がある。
いまは会いたくなかった。頭がぼんやりしている状態で、やりあえるとは思えない。再び寝入ったふりをして、やりすごそうとしたが、見逃してはくれなかった。
「たすかったのに嬉しくないみたいね、トニー」
宇江田アントニアを〝トニー〟と呼ぶ、二人のうちのひとり。無視は許されない相手だった。
「死んで、やっと楽になれると思ったからさ。まだ生きてるのは、悪いことばっかやってきた罰だったりして」
トニーの目に入る位置へと、バイロンが移動してきた。
仕事の合間をぬってやってきたらしい。ブラックスーツにシンプルな白ブラウスという、<
病院に葬式ルックなんて縁起でもないとクレームがきそうなところを許されているのは、取り引きで旨みを与えている病院ならではの融通。加えて、スタッフ用出入口から病室までの最短コースを心得ていることがあった。
バイロンの手にアタッシュケースがあるのは、トニーの目が覚めるまでファイルでも読んで待っていたらしい。多忙なバイロンが、そこまでして待っていた。あまり、いい話ではない気がする。
椅子をベッドのすぐそばに置きなおして座ったボスの顔が、会話に適した距離になった。
トニーにとっては、どうにも逃げられない距離。
目覚めた早々に、込み入った話はしたくないが、トニーは観念する。手探りでリモコンをとると、ベッドをリクライニングさせた。
「あたしの寝顔なんか見てて楽しかった?」
「めずらしくはあるはね。思わず見入ってしまった。大きくなったなぁって」
「確かに。ずいぶん長いこと面倒をみてもらってきた」
「……大丈夫? 頭も撃たれたんじゃない?」
「まあ、そういう反応になるよね」
「てっきり、いやがると思ったから。トニーが素直すぎて、お母さんビックリよ」
親子ほどの年齢差はないはずだが、そのあたりに頓着はないらしい。
「お母さんっていうより、地母神のイメージがぴったりくる」
「死人同然の人間を迎え入れて生かしてる。そういう意味では、そうなのかも」
「あなたに拾われていなかったら、あたしはとっくに本物の死人になっててもおかしくなかった」
ストリートでのケンカが強いだけの刹那的な生き方では、死人も同然だ。たとえ人に馬鹿にされるような望みや生きがいでも、持っていることが強くなる土台になると思っていた。
「無駄話してて大丈夫なの?」
「差し迫ったアポはない。お茶とケーキでも用意しようか?」
「いまはいらない」
そう急がなくていいのならと、以前からの疑問を訊いてみた。
「あたしを<武装係>に推してくれたの、ずいぶん早かったよね。どうやって素養に見当をつけてるの?」
「そうね……カン?」
「……勘? シックスセンスの?」
「意外だった?」
「数値とか、確固としたもので判断してるイメージある」
「最初のうちはね。でも経験を積んでくると、言葉で説明できない、こうしたほうがうまくいくっていう感じが、わかってくるものでしょう?」
「確かにあるけど……」
ドアを開ける前、なんとなく厭な感じがして横にずれたら、いきなり室内から撃ってこられたり。リザヴェータが勧めてくるパンに躊躇していたら、実は試作品だったり。
「具体的に話すのはむずかしいんだけど、感じる感覚は大切にしてる。武器の扱いが秀でているだけで、優れた<武装係>にはなれない。武器の扱いもなの。何ができるかの比重が違うだけ」
「『最低限の学問を身につけろ』っていうのも、そのひとつ?」
「それは葬儀社<テオス・サービス>社員としての体裁」
「…………」
「『考える訓練』もだけど、らしく見せることで信用を得ることができるでしょ?」
「思考に長けた部下って不安にならない? 下剋上されるかもよ」
少し意地の悪い質問をなげたが、
「<
さすがは
「最初のことに補足すると、相手の素養、素質、資質をみるとき、数字といった誰が見てもわかる形だけで出るわけじゃない。だから『勘』なの。まあ、数字をどう読みとるかも、ひとつの感覚になるけど」
「年齢やこれまでの経験は、判断基準として、あんまり重要視してない?」
「経験は大事だけど、経験に溺れる人間もいる。歳を重ねた者ほど、その傾向が強くなる。若いうちなら教育の効果が大きくなるから、ある意味、若いほうが扱いやすい。そういった点も含めて──」
バイロンが少し前のめりの姿勢をとった。
「ソニ・ベリシャは、あの年齢ですでに経験があった。素直だから教えやすいし、過剰な欲求もない。金に囚われたり、この業界に『ロマン』を夢みてたりしていなかったでしょ? 場数を踏めば、いい<熟練者>になる確実性があるの」
いきなりきた本題に、トニーは息をのんだ。
やっぱり話の本命はソニだった。
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