3話 あきらめから始まる

 ソニを守っていたのは、教育係の責任として。

 そう思い込もうとしていたトニーの中で、消しがたい疑念が浮かびはじめ、大きくなっていた。

 守っているのは、ソニに求めているものがあるからでは? フロラの代わりを──

 認められない。

 フロラの代わりを別の誰かに求めるなど、ありえなかった。

 このままソニを消してしまえと思う。そうすれば死んだ人間を追いかける、未練がましい自分に幻滅することもない。

 宇江田アントニアの解決手段は、いつも力だった。フロラに死をもたらした人間を殺しても、フロラが還ってくるわけではない。しかし、こうなった決着をつけることはできる。

 地面に押さえ込んでいるソニを見下ろした。そこにあったのは——

 簡素な食事をおえたあとの、

 ダイエースーパーの安物紅茶を飲んでいるときの、

 狭いベッドで、くっついて離れなかったときの、

 それと同じ表情が、そこにあった。

 殺されるであろうさなかで、同じ顔ができるのは……

 トニーの腕から力が抜けた。

 限られた対象にみせる甘さに自覚はあった。



 ——今日から、おまえの妹だ。

 いきなり父親から言い渡されても、なんの感慨もわかなかった。

 ただ、妹だという女の子は、なぜだか慕ってくる。生まれてこの方、目つきが悪い、かわいくないと、つまはじきにされていたトニーには、稀有な存在になった。

 継母となった人も、トニーを見目で判断したり、継子だからと疎外したりしない。

 妹はその人柄を受け継いだかのようだった。あるいは母親の行動を見て、トニーが安全な子どもだと判断したのかもしれない。

 そんな妹に、それとなく付き合うようになった。

 そのうち、世話しろと言われたわけでもないのに、なにかと面倒をみるようになっていた。

 妹をいじめた男子グループを殴り返し、二分するパンをわざと不均等に割り、大きな方を妹におしつけた。

 一緒にいれば自然と相手のことを深く知るようになる。

 同年代と比べて身体が小さく体力がない反面、知識欲が旺盛で優しい性格の妹……フロラに、保護欲を発揮するようになっていた。

 ただ守りたいというものではなかった。

 自分とは違うタイプの逞しさがあるフロラへの崇拝みたいなものがあったのかもしれない。

 特別なのは、フロラだけのはずだった。



「あたしを楽にさせたいなら、生きていて」

 ソニの首から手が離れた。力なく銃口が下をむく。

 なくすことで存在がさらに大きくなることを経験したばかりだった。

 トニーは認めた。フロラに続けて、ソニを失うことを恐れていた。

 フロラの代わりのソニではなく、ソニ・ベリシャを失いたくないと思っている。

 フロラを亡くした当初、バイロンがグリーフケアを勧めてきたのは、慰めを与えるためではなかった。死別の試練を乗り越え、故人としてのフロラと新しい関係をつくるためのものだった。

 とりあわなかったトニーは、生きているフロラと別れられないまま引きずった。

 ソニはバイロンがあてがった応急措置だ。教育係という強制をかければ、トニーはそばにおかざるをえない。死別で受けたショックを落ち着かせ、あらためて悲嘆をのりこえる場として用意した。

 ソニこそ利用されていた。

 ここでソニを殺していたら、バイロンに見限られるより何より、どうしようもない自分に我慢ならなくなる。

 ——髪をのばすと、ケンカのときに掴まれて不利になるから。

 のばしたところを見たいと言った十歳のフロラに、近視眼的な答えしか返せなかった十五歳のときの阿呆のままでいたくない。



 こういう場合、殺されないことを喜ぶべきなのだろう。しかし、

「どうして……」

 ソニは困惑してトニーを見上げた。

「わたしにできる——後ろっ‼︎」

 一転、大きく目を見開いた。トニーの背後、右手を振りかぶったシルエットが目に入った。

 上体を勢いよく起こす。起き上がりざまトニーの胸を手のひらで突き飛ばす。ソニも転がって距離をとった。

 避けるには間に合わなかった。首に衝撃を受けたトニーの身体が傾ぐ。ハンドガンを蹴り飛ばされ、そのまま伏臥で押さえ込まれた。

 すでにハンドガンを抜いていたソニは、ニーリング膝撃ちで構える。襲撃者の頭に照準をあわせた。

「わたしに銃口を向けるほど、こいつと親しい仲になったの?」

「誰だ⁉︎」

 トニーは抗うが、腕ごと固定された身体は身動きがとれない様子だった。

 こんな台詞は使いたくなかったが、

「さすがです……〝先生〟」

 襲撃者の正体を伝えた。

 トニーが自由に動かせる視線でソニをうかがってきた。ソニは、自分の立ち位置をはっきり表明する。

「アントニアさん、放してください、先生。関係ある、わたしだけのはずです」

 声が少し震えた。先生に逆らうのは初めてだった。

 先生——ルジェタ・ホッジャは、体重と片腕でトニーを地面にぬいつけ、銃口をソニに向けて言った。

「ソニ、銃をおろせ。おまえはストックホルム・シンドロームで誤った感情を抱いてるだけだ。原因がなくなれば、すぐに目が醒める」

 彼女の声を聞くと、反射的に従いそうになる。

 それでもソニは、照準をルジェタから外さない。それが答えだった。

 最初のトリガーが絞られる。

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