10話 Flying pigs! おれたち空飛ぶブタ
内海を吹き抜けてくる季節風で全身が冷やされる。
リザヴェータは、マウンテンパーカーのフードを首元にたぐりよせた。
動きやすさに重きをおいて、ムートンジャケットをやめたことを後悔している。行政機関の移転で、庁舎から倉庫になった建物と植え込みの狭間で海風をしのいでいた。
隣にいるルブリも、コーチジャケットの襟を首を絞めそうなぐらいに、かきあわせている。縮こまった情けない姿勢ながら、視線はしっかり突堤の先にいるアントニアとソニをとらえ続けていた。
「年末に遊ぶなら、もっと他にあるだろうに。よりによって突堤だなんて」
「人が少ない静かなとこに限ったからね。それにソニのリクエストだそうだよ」
「へえ……遠くまで見渡せるとこに来たかったのかもな」
「十代の子がそんなジジむさい思考する?」
「いや、あのチビさんのこれまでを考えたら、老成しててもおかしくないだろ」
三十半ばのルブリが真面目に返してきた。
「ということで、流花がきたらリザはそっちのほうに行っていいぞ? そろそろ歩実の車が追いついてくる頃だ」
「何が急に『というわけで』よ。中年になってケガの治りが遅くなったせいで、まだ本調子じゃないんでしょ。出発前に鎮痛剤のむぐらいには。あたしにいいカッコなんて今さらだって」
「実は、動き回ると、まだちょっと痛い」
「それに、このタイミングでその気遣いは失礼。遊びで来てるんじゃないんだから」
「悪い」
「休んでて、よかったんだよ? 交渉ゲーム要員はともかく、アントニアとソニの危機対応監視報告なんて楽しい役目じゃないし」
「バイロンの命令とはいえ、ウィダにばれたら串刺しにされそうだよな。けど、本人たちが知らないまま交渉素材にされてるのかって思うと、じっとしてるのもイヤだし」
「バイロンって有能だけど、さりげにエグいことしてくるよね。歩実が
「えっ⁉︎ 助手席に乗せたんじゃなくて?」
「うん」
「ステアリングを握らせた……」
ルブリが呆気にとられた顔になった。
「When pigs fly(ありえん)!」
母国語でこぼすほど驚いたことに、リザヴェータも同意する。
「だよね。あたしもブタが空を飛んだって言われた方が信じるもん」
「バイロンの命令じゃ、さすがに断れなかったか」
「ボスのことだから、あとでフォローいれて歩実からの信用落とさないようにするだろうけど。それだけこのゲームに勝てる見込みがあるんだろうね」
「ずっと引っかかってるんだが、本当にバイロンがこの交渉まとめたのか?」
「悩めるその胸の内を話してみ、ルブリくん。退屈だから聞いてあげる」
ソニは海を眺め、トニーはベンチに座ったままだ。
動きがなさすぎて地蔵を眺めている気分になる。この寒さのせいで眠くなることはないが、五分が五〇分に感じられてつらかった。
「交渉のエサにされてることをウィダとソニに知らせないかわりに、向こうの手勢を一人減らす。これを立会人なしでまとめたみたいなんだよ。参加人数に制限ありを相手が守ると思うか? バイロンが確証なしで応じるとは思えん。なんかあるぞ」
「そりゃルールを破られても、元とれるぶんを計算に入れてるだろね」
仕事に関するすべての事項をバイロンが説明してくれるわけではない。わざと伏せて対処をみる、実戦研修を突発的に入れてくることがあった。
ルブリが、ぽつりともらした。
「内々でこじんまりまとめる……で話が終わらなかったりして」
リザヴェータの呼吸がとまる。
「きさま、言うてはならんことを!」
リザヴェータは、フラグをたてる男の後ろ襟をわしづかんだ。
「
「やめやめやめろって!」
声を殺してルブリがわめき、掴んでいる手をはなさせた。
「リザが言うとジョークか本気かわからん」
「関係ないこと訊いていい?」
ボスの悪だくみを考えたくないこともあり、話題を方向転換させた。
「しょっちゅうコンビ組んでる相手なのに、なんでアントニアだけ名字呼びするの?
「昔ふられた女とおんなじ
リザヴェータはなぐさめるように肩をやさしく叩いた。
「ルブリっていいやつだよね。見栄はって『ふった』じゃなくて正直に『ふられた』って言うあたり」
「容姿に恵まれてないやつが言ったら、んなもんすぐバレるだろ。って、褒めるのそこかよ。ケガをおしてウィダのために働くってとこじゃないの——ぅぐっ」
「きた!」
口元を押さえつけて黙らせ、視線でさした。ルブリが息苦しさに目を剥きつつ、リザヴェータが示したほうに目をやる。
女が突堤へと歩いてきた。途中、進路が脇に逸れた。
向かう先の関係者にはみえない。目的はリザヴェータたちと同じ、植え込みを遮蔽物として利用する気だ。
すぐさま倉庫の壁に沿って後退する。倉庫の角までくると、反対の海岸側へとまわりこんで距離をとった。
視線をソニたちのほうに固定している女の容姿に注目する。
ミディアムロングのダークブロンドの髪、身長は百七十余りでトニーと同じぐらい。鼻筋とあごが細くシャープで、多様な人種が生活している市内でも少ないタイプだった。
この女が交渉のゲーム相手——ソニが逃げ出してきた組織のメンバーか。
リザヴェータは周囲に視線をめぐらせた。視認できる範囲で、ほかに人影はない。
パーカーの下にハンドガンを携帯していた。この女の仲間が来ると面倒だ。いまのうちに片付けようとして、やめた。
ルブリが両手を上げていた。
その背後で、彫りの深い無精髭がハンドガンを突きつけている。
リザヴェータの頭蓋にも硬い感触があたった。両手を上げ、顔だけをゆっくりまわして後ろを見る。
ありえない大失敗……。
こちらは三白眼の男のハンドガンの的になっていた。
言葉を解さないのか、目で無言の要求をしてくる。銃を捨てろ。
リクエストに応えてやるしかない。はじめて見えた敵——ダークブロンドの女に気をとられて、背後の注意がおろそかになっていた。
リザヴェータはルブリにアイコンタクトを送る。
——まずいまずいまずいまずいよ、このままじゃ!
役立たずの監視役のほうが、先に片付けられてしまいそうな事態になった。
それだけではない。ここを生き残り、トニーたちも無事だったとしても、ボスからの叱責、
失点を補う解決法を求めて、ふたりは煙を出す勢いで頭をフル回転させる。
歩実がステアリングを握るカーゴバンが、湾岸高速の高架をくぐった。あと一〇分ぐらいで、とりあえずの目的地、中央突堤に着く。
交通量は少ないが、法定速度マイナス三キロを維持して走った。
歩実はバックミラーを視線でさし、流花にうながした。
「後ろからくる白のステーションワゴン、確認して」
商用車のような地味なデザインのステーションワゴンが、追越車線を猛然とした勢いで通り抜けていく。その車内を流花の動体視力が探った。
「助手席の男、トランシーバーを持ってた。手の甲に入れ墨。コーカソイド系の顔立ち」
市内の人種は多様だが、コーカソイド系の割合は少ない。
「バイロンが交渉したっていう敵さんかな」
歩実はアクセルを踏み込んだ。ステーションワゴンと並行して走る。
助手席の男が、並走するカーゴバンに視線をむけてきた。流花と目を合わせる。
それだけで互いが何者か把握した。
歩実が運転するカーゴバンも決め手になったようだ。商用車は多いが、ラゲッジスペースに窓がない大型バンは多くはない。周囲の視線にさらしたくないモノを載せるには、うってつけの車だった。
ステーションワゴンが逃げ出すように速度を上げた。
歩実はその後ろにぴたりとつくと、カーゴバンの鼻先でステーションワゴンを絶妙な角度ではじいた。。
ステーションワゴンの尻が振れたタイミングで、ステーションワゴンと中央分離帯のフェンスの間に強引に入る。
「つかまってて!」
全長がたっぷり五メートル以上あるカーゴバンの重量とパワーに任せ、歩実は左へとステアリングを切った。
路面を削るタイヤの焦げたニオイがしそうだった。ステーションワゴンのタイヤが耳障りなスキール音をたてる。
トニーたちがいる中央突堤には行かせない。脇道に押し込んだ。
そこからさらに脇道へとカーゴバンの車体で押し込む。海岸線を前にしたブロック塀の行き止まりに追い込んだ。
流花の右手が、レザーシースからククリナイフを抜く。
「歩実は降りないで! このあときっとドライバーが必要になる」
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