5話 その子ども、惑わす
ミナミの繁華街のなかで、とりわけ劇場が集まっている場所がある。かの大国のブロードウェイに例えるむきもあるが、実際はもっと泥くさくて庶民的だ。
そこから国道を渡って東に行くと、ホテルの多いエリアがあった。
3つ星や2つ星のホテルにまじって、奇妙な外装のホテルも目につく。
チープな宮殿風であったり、ホテル名をシルバーの球体に貼りつけて目立たせていたり、正体不明な生き物のハリボテや人形が正面にくっついていたり。なかには『48』といった、ずばりなネーミングのホテルもある。
ラブホテルだった。
利用客はカップルに限らない。安価なバジェットホテルは壁が薄く、隣室の音に悩まされることがある。そういう点では基本、防音設計であるラブホテルをあえて選ぶ一般客もいた。
もちろん、ちょっとした心理的ハードルを乗り越えられるという条件つきになる。斬新なのか受け狙いなのかわからない外装に臆することなく、ケバケバしい内装でも気にしない者に限られた。
従業員に顔を見られずに部屋がとれ、宿泊者名簿もない。くわえて保証金方式をとっているホテルなら、先に保証金さえ入れておけば、部屋から外への出入りも自由になる。ビジネスホテル以上に都合がよかった。
持ち込んだのは、セミハードタイプのビジネスバックがひとつだけ。この中にあるものが、高端の命綱になる。
ファミリアの会計を全面的に任されるようになって十年以上になる。そのうちの直近二年。たった二年の、会計のごく一部を自分の隠し口座に流し込んでいたのがばれた。
速攻で逃げ出した。どんな結末がくるのか目に見えていた。
脱出に手を貸してくれたのは、対抗していた組織のひとつ。どこから嗅ぎつけたのか交渉をもちかけてきた。会計資料をもってくれば、うちで雇うと。
止むに止まれぬ事情で盗んだ少額だった。しかし、どんな事情だろうが、はした金だろうが、組織の金に手を出すような会計係を信用してくれるはずはない。欲しいのは資料だけという可能性が強いが、腕のいい会計係としての自負もあった。
賭けは六分四分といったところ。形勢に不安があるが、このまま逃げ続けるよりは先があるかもしれない。交渉に賭けることにした。
指定した一室で待機する。今日の午後、拾いにきてくれる約束だった。
物音——
高橋は、びくりと両肩をはねあげて目を覚ました。
ドアをノックする音だった。疲れと睡眠不足から、椅子でうたた寝をしていたらしい。頭をふって眠気をふりはらった。
再度のノック。はやる気持ちでドアに向かう。ドアノブを握る寸前で思いとどまった。
ドアの前にいるのは、味方とは限らない。
「ごめんなさい。どなたかいませんか?」
まさかの細い声に眉をひそめた。
ラブホテルで他人の部屋を訪れるなんてことはない。かなり若い女のようだが、用心は怠らなかった。ベルトに差し込んだままだったリボルバーを抜いた。
このホテルのドアには、集金用の小窓が切ってある。ドアノブの横にある紐をひっぱり、小窓を静かにあけた。
息を押し殺して小窓を覗く。
まさしく女の子が立っていた。年の頃は十代。
女の子は見られていることにも気づかず、ドアを見上げたままでいる。気づかなくて当然ではあった。こんなところに小窓があるのは、刑務所の扉ぐらいのものだ。
家族連れでの利用客か? 髙端はため息を吐いて武器を下ろした。面倒くさいが子どもを放っておくのも気が引ける。小窓をそっと閉め、仕方なく声をかけた。
「迷子にでもなったのか? フロントにいけ。カウンターに電話があっただろ? 受話器さえとれば従業員が出てくる」
「違います。落としたお金、ドアの隙間に入ってしまいました。とってもらえませんか」
棒読みのような口調より、「金」という言葉に反応した。足元に視線を落とす。
安普請なドアと床の隙間から、岩倉具視が高端を見上げていた。
五百円札かよ……。
はした金に反応した自分に舌打ちしながら、札を拾い上げる。銃をスラックスの腰に戻すと、ロックを解いてドアを開けた。
「ほらよ。もう落とすんじゃないぞ」
「高端容一さん?」
「そうだが……なんで、おれの名前っ——⁉︎」
問い返す間もなく、高端の視界が突然ふさがれた。
反射的にリボルバーを抜く。見えないままトリガーを絞る。
撃てなかった。
対象を確認すると、ソニは行動を開始した。
持っていたキャンパス地のバックを鋭くふる。最短距離で高端の顔面へと叩きつける。視界を束の間奪った。と同時に、一歩下がる。
トニーが入れ替わる。
高端の正面から、リボルバーのシリンダーを左手で握り込み固定。発砲を防いで、右の掌底打を高端の顎へ。そのまま後方へとなぎ倒した。
仰向けに倒れこませた衝撃を利用する。高端の銃をテコの要領で奪った。ソニへとパス。
空けた両手を高端の喉の前でクロスして、シャツをつかむ。頚動脈を圧迫して動きを封じる。意識を失わない程度に絞めあげた。
「おま……誰……だ」
「この場所を売ったやつからの伝言」
トニーは一方的に告げた。
「おまえ、やっぱりいらないんだって。ネコババする会計係なんて、また面倒おこすだけだとか言ってた」
「くそっ、やっぱり売りやがったか。今度は、あんたがおれを雇ってくれんのか?」
ヤケクソのように訊いてきた。手前勝手にされることも承知だったか。怒らなかった髙端だが、
「おまえには出頭してもらう」
トニーの台詞には吹き出した。
「警察いけっていうのか? 同業者に自首を勧められたの初めてだぞ」
「組織の弱みを握っている人間をファミリアは放っておかない」
トニーは絞めている手に力を加える。呼吸が不可能になった高端の顔が歪んだ。すぐに手を戻し、脳への血流を少しばかり再開させてやる。
「湾の底で魚に食われたくなかったら、警察に行くしかないだろ? おまえの
高端から奪ったリボルバーを手に、ドアの外をうかがっていたソニが小声で警告した。
「敵、来ます。二人」
「うちのボスにとっては、あんたが報復で殺されるより、警察でネタを披露してくれる方が有益なんだって。ということで、さっさと決めて。あたしは面倒くさいのキライだから、わざわざ警察まで送ってやるより、このままファミリアに始末されてほしい気分」
掴んでいる襟元を再び強く絞めた。答えを催促する。
高端が慌ててタップした。トニーの手をぱしぱし叩きながら、喉の奥から苦しげな返答をおしだす。
「いく! 警察いく、殺さないでくれ」
トニーは高端の胸ぐらを掴み直し、強引に引きずり立たせた。ソニにアイコンタクトを送る。すでにベッド周辺を整え、スタンバイを終えていたソニが頷き返してきた。
不安も危惧も感じさせない表情に、トニーの胸が騒ぐ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます