3章 有能だから不安

1話 Daily life<墓掘り人>の日常生活

「牛乳、キライなの?」

 ソニと朝食をともにする四度目のテーブルで、トニーは初めて訊いた。

 トニーの朝——といえない時刻の日が多い——は、いつも全粒かライ麦のブレッド、果物、卵、牛乳の朝食。気が向けば紅茶が加わる。

 栄養バランスと用意が簡単なことしか考えられていないメニューは、新しい同居人にも適用された。

 好き嫌いを言わないソニだが、牛乳を飲むときだけは決意を固めたような表情になる。最初こそ気にしないでいたが、毎日同じ表情を見ていると構わずにいられなくなった。

 第二研修所でつけたスリ傷が消えかけている頬っぺたを引き締め、ソニが答えた。

「飲む、できます。頑張ります」

 トニーの口から、ため息がこぼれた。

「それをキライっていうの」



 ソニの同居は、なし崩し的に決められた。

 本人はひとりで大丈夫だと言い張ったが、どこでお節介の目に入るかわからない。

「児童保護局に通報されると面倒になる。ソニも懐いているし、このままトニーの部屋においておく」

 第二研修所の結果報告を届けた場で、バイロンからさらなる憂いごとを言い渡された。

 ちなみに第二での結果は、荒削りではあるが標準以上。最後通告のために立ち寄った事業所でも、ソニは終始落ち着いていた。

 あちらのテリトリーで、人数でも負けている。その状況でも慌てることはなかった。子ども相手となめてかかってきた単細胞をあっさり片付け、残った有象無象の両手をあげさせた。

 トニーは、ささやかな抵抗をボスに試みる。

「教育係はやるけど、プライベートは別にしたい」

「ソニ、家事はできる?」

「洗濯、掃除、できます。料理、少しです。もっと覚えます」

「よし」

「『よし』じゃない」

 部屋の主をおいて話を成立させることに反対しても、バイロンには通じなかった。

「家庭内労働で、トニーへの誠意を示せ」

 そうしてトニーに視線をやり、

いて金を貯める必要は、もうなくなったでしょ。これからは仕事の範囲もひろげて、自分の適正をつかんでおけ。これから先、かならず役に立つ」

 わかっている。なのに素直にうなずくことができず、トニーは黙ってしまう。

「もう」、か……。

 妹の埋葬には関わらなかった。張夫妻から葬儀の連絡をもらったが、行かずじまいだった。バイロンの言葉は、それを含めてのことだ。

 信仰の有無に関係がないところでの、葬儀の重要性を知っている。生者から死者となった区切りをつける機会を捨てたトニーに、妹のためにやっていた蓄財行為をあらためさせ、その代用をつくろうとしていた。

 すなわち、妹が亡くなった現実を受け入れろ。

 働き始めてからのトニーは、表向きの葬儀業はもちろん、<ジュエムゥレェン(掘墓人)>の仕事からはいる報酬も、そのほとんどを貯めていた。自分が使うのは、最低限の生活費のみ。住居も、最初のワンベットルームの部屋から動いていなかった。

 すべて妹の、フロラのこれからの学費のために使わずにいた。

 大学に行きたいと聞いたわけではない。けれど一緒に暮らしていた過去、料金滞納で電気を止められても、懐中電灯で勉強をしていたフロラなら、きっと望んだはずだ。 

 やりたいことを存分にさせてやりたかった。 

 大学にいかないのなら、別のことに使えばいい。金はあって困ることはない。

 いつかフロラのことを真剣に思ってくれるパートナーと一緒になって、あるいは気のおけない友人たちに囲まれて、満ち足りた生活をおくるために。

 いままで取りこぼしてきたぶんも幸せになるために、金ぐらい用立ててやりたかった。

 不安も、暴力も、貧しさも、いっさい無縁となった生活をさせてやりたかっただけなのに——。

 金の必要がなくなっても、トニーの規則正しい生活はそのままだった。 

 父親で散々な目にあってきたから、ドラッグは厭悪している。<ジュエムゥレェン>に入ってしばらくすると、酒やタバコすらいっさい呑まなくなり、十代より健全になった。

 かわりにトレーニングに熱中した。自重を利用した筋トレや、ストレッチ。仕事が入っていない限り、年中欠かさない。

 徹底した節制は、自分は自分である証だった。

 継子けいしに手を出そうとし、家族に酒瓶と暴言の限りを投げつける、あんな男父親とあたしは違う。血が繋がっていたとしてもだ、と。

 そして完璧な体調管理は、バイロンへのアピールでもあった。報酬の高い仕事を任せてもらえれば、そのまま妹の将来のために積み立てることができた。

 妹を亡くし、ひとりになっても変わる気配がないのは、金銭面も含めた節制がすっかり習慣になってしまっていた。

 無駄を好まない性分も、多少は関係があるだろう。だから部屋もシンプルなまま。

 これは、いつ〝おわり〟がきても、他人の手をわずらわせることがない、安心のためでもある。無様な残骸を残したくない見栄があった。

 生活スタイルを変えないにしても、バイロンのいうとおり、転換点にきたことは確かだ。いつまでも引きずっていられない。

 その手始めが、拾った子どもの教育係とは思いもしなかったが。



 ソニを初めて部屋に招き入れたとき、新たにわかったことがある。

 部屋をひととおり見て回ったソニが、不思議そうな表情になった。

 ——家のなか、壊れてるもの、ありません。きれいです。

 食器が割れれば片付けるし、家具が壊れれば修理する。この当たり前がソニにはなかった。

 初めての朝食の席でも、妙な質問をしてきた。

 ——食べるもの、同じ。いいですか?

 ——食事のテーブル、一緒で食べる、ですか?

 ひとつだけ残っていた卵をボイルドエッグにして、気まぐれでソニの皿に置いてやると、

 ——卵、わたしのところにあります……何しますか?

 これにはトニーのほうが質問の意味をはかりかねた。自分だけ与えられるものには、卵一個でも返礼を要求されていたのか?

 生家や、以前いた組織での生活のことは聞いていなかった。けれどこういった一連のことで、ソニが帰郷への思いを見せない理由がわかった気がした。


   *


 起床後、自室でのトレーニングからトニーの一日は始まる。

<ジュエムゥレェン(墓掘り人)>構成員としてバイロンに評価されるために、不可欠なことだった。

 初日は見ているだけだったソニが、二日目からは並んでするようになった。さすがに同じメニューを同じ回数とはいかないが、六割ぐらいはついてきている。

 小一時間ぐらい動いたあとで朝食をとる。初日と二日目はバテて食べづらかったようだが、三日目からはそうでもなくなった。ただし、牛乳は除く。

 なかなかの基礎体力。負けん気もある。それだけに三日目からは、トニーのほうから制約をかけた。

「身体がまだ成長途中だから、あまり無理な負担をかけないほうがいい」

「できない、だからこそやれ、言われました」

「以前のとこで? 限界を超え……えっと、できないのは気持ちが怠けてるだけだとか?」

 トニーは平易な言葉に言い直して訊いた。

「苦しくする、レベルアップできる、言われました」

「あたしと、あんたの前の組織が言ってたこと、どっちが正しいかじゃない。バイロンの組織に入ったんなら、バイロンの部下であるあたしの指示に従え。OK?」

「わかりました」

 放置しておくつもりが、つい口を挟んでしまった。世話焼き体質は、妹限定で出てくるものだと思っていたのに。

「パン、少しです」

「……ん?」

 四回目の朝食のあと、少しずつ食事づくりを手伝うようになっていたソニが、おずおずと切り出してきた。

「パン、買うが必要です……わたし、行きますか?」

 なんでもこなそうとして、役に立つアピールをしてくるソニだが、ひとつだけ厭がることがあった。

 ひとりでの外出だ。

 逃亡中の身の上だから当然であるし、むしろ用心を怠らないことが好ましい。トニーはすぐに了承した。

 不憫だとは思わなかった。公的機関に保護を求めて、足を洗うチャンスを自分から蹴っている。公的機関があてになるとは限らないから、ソニの生き抜く本能は確かだ。

「あとで買い物に出る。一緒にね」

 ひいきにしているベーカリーがあった。

 気安いところだし、ソニの好みで選ばせるのもいい——そんな考えが不意にうかんだのは、日常の充実が仕事につながるからだ。

 トニーはそう考えようとする。

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