7話 ブレッド、ブラッド、ブリット〜Bread,Blood,Bullet〜
眠りが浅くなってくる早朝。
トニーは、すぐそばに人の気配を感じて飛び起きた。
一拍遅れてソニも飛び起きる。
「寝過ごしましたか⁉︎ 出る用意、します、すぐ!」
ベットから飛び降りたソニを慌ててとめた。
「違う! 寝過ごしたんじゃなくて、あたしが寝とぼけた、ごめん」
ソニと一緒に寝たことをすっかり忘れていた。半覚醒で感じた気配に反応してしまっただけだ。時計を確かめて息をつく。
「あと一時間は大丈夫だから、ゆっくりしてて」
「お茶、淹れますか? コーヒー、つくれます」
「自分でやるからいい」
必要とされない不安を感じたのか。ソニの表情が会話の流れにそぐわない深刻なものになった。
まだソニに信用をおいていない。自分の口に入れるものを任せたくない——ということは口に出さずにごまかした。乱れたシーツを直し、ベッドをぽふぽふ叩いた。
「休める時に休む。聞いたことあるでしょ?」
ようやくソニがベッドに戻った。
トニーが起きたままだからか。ヘッドボードに背中をあずけて同じように座った。
「寝起きがいいね」
「目覚まし時計、いりません。起きる時刻、言ってください。起きる、できます」
言葉そのままでとられてしまったが、まあいい。
ソニの起き方は、寝起きがどうのというレベルではなかった。
飛び起きたトニーの動作を異変として察知して跳ね起きたのだ。優れた危機対応能力の片鱗といえる。第二研修所にいく必要がない気がしてきた。
「行きます。行って良い結果、出します。そうしたらボス、ひとつ認めてくれます」
「重ねて訊くけど、バイロンに認められた先のこと、わかってるんだよね?」
ソニが視線を合わせて、うなずいた。
トニーは、自分がバイロンに勧誘されたときのことを思い出す。ほかに行く場所などなくて、選択の余地がなかった。
ソニの場合も同じといえるのか……?
詮索しそうになる思考をとめた。関わって、どうしようというのか。この先でソニが共にいるとしても、仕事仲間にすぎない。
「このまま突き進むでも、逃げるでも、あんたが思うようにしたらいい」
紅茶でも淹れて気分をかえよう。ベッドから足をおろそうとしたところで電話が鳴った。動きがとまる。
こんな時間にかけてくるのは、夜通し呑んだハイテンションの同僚か、あるいは……
後者のような気がする。
「電話、わたし、とりますか?」
「いい。あたしが出る」
しぶしぶとった電話は、二分とかからず終わった。
「バイロンだった。第二から戻ってくるとき、配下の事業所に寄って、正しい経理ファイルの提出を言い渡してこいって」
「わかりました」と応えたソニの表情が、すぐに訝しげなものにかわった。
「まだ、朝の五時。ボス、すごい早起きする人ですか?」
「いや、寝てないね、あれは。なんせ〝
「悪魔……?」
「ある意味あってるかも。それより体調は? 違和感を感じたら必ず話して。あたしは、その……そういう責任を負わされたから」
「正直、します。まだ疲れてます。食事、睡眠、不安定ずっとでした。でも、ベットで眠れました。元気、戻ってます。少し」
「なら、いい。ただ——」
トニーの言葉が切れた。どうしたのか? という表情を見せながらも、ソニがじっと待つ。
「部屋に帰ってくるまで、気を抜かないで」
「はい。安全な場所、戻ってから安心します。気持ち、緩めません。ボスに注意された。同じことですね」
「そう、同じだ」
ソニの勘違いをただすことなく、トニーは視線を外してうなずいた。
ファイル提出要求は実際の仕事であり、建て前でもある。
第二研修所のあとに、密かな本番をバイロンは用意してきた。
ついてくるものには報酬を惜しまないが、裏切り行為には容赦がない。ファイル提出を電話ですませるのでなく、<武装係>であるトニーが直接いって伝える。これは事業所への最後通告にほかならなかった。
従わなければトニーが<武装係>として行動する。そして一緒にいるソニは、その補佐をすることになる。
底意地の悪い試験だった。
帰り道の途中となれば、研修所を終えた安堵感で、ソニの気が抜けるタイミングだ。受験者の実力をはかる、またとない機会になる。<武装係>のトニーにまわしてきたのは、相手が抵抗してくる可能性が大きいからこそでもあった。
バイロンのお眼鏡にかなわないほうがいいのかもしれない。
消極的な選択でバイロンの元に身を寄せたが、いつの間にか拠り所となった自分と違って、ソニにはほかの生き方を。
銃弾を生きる手段にするのではない生き方を——
しかしこれは、他人が口を出すべきではないこともわかっていた。決めるのはソニ自身である。
トニーは、ビジネスライクであろうとする。すべてを明かさないのは、実力を見極めるためなのだと。中途半端な能力で構成員になれば、ソニが早死にするだけになる。
「少し早いけど、着替えておいて。あたしは朝食の用意をする」
逃げるようにキッチンへとむかった。
部屋を出ていく背中を見送ったあと、ソニは小さく息を吐き出した。
隠されていた写真を確かめたあと、どんな顔でいればいいのか、わからなくなっていた。トニーが寝ぼけたおかげで、うやむやに流れてほっとした。
ベットをおり、トニーのTシャツを脱ぐ。自分のものより、ずっと大きなそれを丁寧にたたんだ。
このTシャツを着る次の機会があるのか、わからない。
今日の研修で不合格になれば放り出されるし、残れたとしても、明日も生きているとは限らない。
否応なしとはいえ、こういう生き方になり、こういう生き方しか知らない有り様になっていた。
<テオス・サービス>の地階で、ソニはバイロンに話したなかに嘘を入れていた。
バスの乗客同士でやらされた殺し合いでの
忘れてしまいたいほど悲惨な出来事だったことに違いないが、忘れることなどできない人との出会いがあった。
その人——〝先生〟の存在を話していなかった。
殺し合いをさせられる乗客の何人かには、それぞれマフィアメンバーがついてアドバイザー的なことをやった。勝ち目がとてもないソニには、誰もつかないかに見えたが、始まるギリギリになってから名乗り出たメンバーがいた。
ソニが殺し合いという究極の暴力場面で生き残れたのは、そのメンバーのアドバイスのおかげといえる。腕力がなくてもできるダメージの与え方を教えられたまま、従順に実行した。
相手を殺すには力が足りず、ソニもぼろぼろだったが、準構成員として取り込まれた。乗客同士の殺し合いは、構成員の見込みがもてる人間を選抜して取り込む、手っ取り早いリクルートだった。
組織の下働きをするようになってからも、アドバイザーをしてくれたメンバーが常にソニを指導した。
決してやりたい仕事ではなかったが、生きていたければ最初から選択肢などない。ほかに親しくなるメンバーがいないなか、その人との師弟関係ができていった。
そして組織内で、子ども相手でも邪な感情をもつ男から守ってくれたのは、そのメンバー——先生だけだった。
そこからさらに、先生として従う気持ちが強化された。肉体的にも精神的にもつらいなか、先生との関わりがソニが生きている中での、すべてになっていく。
先生に親というものを投影してみることもあったが、すぐに自制した。きっと甘えが出てしまうから。
ソニにとっての日常生活は、学校にかよって友だちと遊ぶことではなく、大人たちに混じって銃やナイフを手に、命令のままに動いてパン《糧》を得ることだった。
仕方ないからはじまった血に濡れた生き方が、自分の本質になりそうな恐れを抱きつつ。
そんな生活も、一本のブックマーカーが終止符を打ってくれそうだ。
なぜ、あの子の最期の言葉を伝える役など、やろうとしたのか。
無理難題でも役割を負うことで、生き足掻こうとしていた。ブリット《銃弾》を糧にする生き方など、いいわけがないのだから、釈明として。
そうして生き延びてきたいま、もう充分な気持ちになっていた。
ここにきて初めて、いい思い出ができた。預かったメッセージを伝えて、離れていたふたりを繋ぐ。この役割さえ果たせば、満たされた気持ちで終われそうだ。
ソニは、この部屋にいた痕跡を消すかのようにベットを整える。
寝室を出た。
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