6話 生きている温度
バイロンに承知したものの、やはり部屋には入れたくない。
ソニをアパートに連れ帰る道すがら、トニーは代案を考えた。
人付き合いの少ないトニーだが、寝る場所をかしてくれそうな友人はいる。とはいえ時間が時間だ。プライベートな相手と特別な時間を過ごしているかもしれない。こんな夜更けに押しかけるのは忍びなかった。
十五分も歩けば、出張やバックパッカー向けの安いホテルがある。そちらにしても、いまから空室を探すのは面倒だ。そうこうするうちにアパートについてしまった。
部屋にはいって鍵をおとすと、もう観念して割り切った。教育係も報酬のうちだ。
次の問題は、寝る場所をどこにするかだった。ベッドのほかで眠れるのは……
察したソニが、
「わたし、ソファアです。寝ます」
却下した。ソファは第一候補だが、
「バイロンが用意してる第二研修所に、寝不足でクリアできるようなコースはない。ベットでちゃんと休め」
ソニにはベッドと決めていた。
まともに寝かさず、第二で悪い結果を出させれば、自然に追い出すことができる。しかし、そういった陰湿なやり方はしたくなかった。後味が悪い。
トニーは、着替えになりそうな衣類を適当に選んで手渡した。反論を封じるように、シャワー室へと押し込む。そうして自分の寝床を探しにかかった。
ソファアは三人掛けで、トニーには小さすぎた。床に寝ようかと思ったが、これまでの寝不足に加えて、アルバニア系レストランでの悶着。体力を回復させておくべきなのはトニーも同じだった。
トニーの視線がベッドに戻る。
一緒のベッドで妥協するしかないか……。
考えるのも面倒になってきていた。今日一晩をやり過ごすごして、また明日考えることにする。シーツをとりかえると一息入れようと、ベッドの端に座った。
視線が習慣となったところに動いて気付く。出しっぱなしにしていても、もう問題ないのだが、他人の目にふれさせたくない。
「忘れるわけじゃないから」
言い訳めいた独り言をこぼしつつ、畳んでしまいこんだ。
ほぼ同時にノックの音が三回。律儀な子どもに応えてやると、おずおずと入ってきた。
パジャマの代用としてわたしたTシャツを着ている。身長差があるからワンピース……には少し短かった。裾を引っ張っているところを見ると、ソニも落ち着かないらしい。
「先に寝てて」
ベットに潜り込ませ、メインの明かりを落としてやる。
トニーはシャワーに時間をかけない。一〇分かけずにすませると、濡れた髪を雑にふいただけでおわらせる。
この家にはドライヤーがなかった。寝癖は水で濡らせば事足りる。トニーにしてみれば、ドライヤーすら無駄なものだった。
早々に寝る態勢に入る。シーツをめくる前に、躊躇して手が止まった。
眠る目的のベットに、自分以外の誰かがいる……。
妹以外では、ありえないことだ。
フロラと生活をともにするようになった当初、ベットは別だった。一緒に寝るようになったのは、フロラが中学に入ってから。
フロラを守るためだった。
成長期に入ると、トニーの身長は一気に伸び、持ち前の運動神経と気性に腕力が加わった。力で抵抗できるようになったトニーが一緒のベットにいれば、父親はフロラに近付いてこない。
それでもドアの外で物音がするたび、フロラは身を強張らせた。
薄闇の中でドアを凝視し、傍らのトニーにしがみつく。そのたびにトニーは、ボロい家が
あのときのフロラではない。
同じ人肌の温度であっても、身体つきも、まとうにおいも。
まったく違うのに、ソニがそばで寝ていると、否が応でも妹の姿がよみがえった。
そのうえソニが身体をよせてきた。過去の記憶が覆い被さってくる。
苦しくなる前にソニから離れようとして、できなかった。
寝入っているソニが、レストランや<テオス・サービス>の地階で見せた、齢に似合わない毅然とした態度が嘘だったような仕草をみせてきた。
子ども返りをしたように、トニーにしがみついた。
ソニの過去を考えると、会ったばかりの他人の隣で、すぐに安眠できるはずがない。たとえ助けられた相手でも、簡単に信用できる生き方ではなかったはずだ。
これまでの話が嘘ではないのなら、それだけ信頼をよせている証になるのだが、こうまでなる理由がトニーにはわからない。
そこも幼かった頃のフロラと重なった。
会ったばかりのときこそ、子どもらしからぬトニーの険しい目つきに萎縮していたが、すぐ懐いてきた。
トニーは不意に気づく。
フロラを思い出すごとに胸に広がっていた苦いもの——してやれなかった後悔のあれこれが残っている。ソニが隣にいることで刺激されてもいる。
なのに同時に、それらを落ち着いて受けとめていた。いいことなのだろうが、そうなった訳がわからず困惑もする。
トニーは、要因となったものから離れようとした。が、ソニが抗った。
抵抗に狼狽えつつ、面映さも感じる。ふれあって共有された体温で、リラックスしているのは確かで——
その後いくばくもなく、トニーは寝入っていた。
ソニは、生まれた国からも離れて、ずっとひとりで闘ってきた。人の死が間近にあり続けることで、死ぬことへの恐怖も
そんななかでトニーと出会ったのは、偶然でしかなかった。
生きている人間は温かい。
トニーとベットで並んでいると、そんな当たり前のことを思い出した。
その実感が嬉しくて、歳も忘れて抱きついてしまった。女の人の身体は、こんなに硬いものだったろうかとも思ったが、比較対象が乏しいので正解はわからない。
トニーが着替えるときに見えた背中は、細いながらも筋肉がつき、薄くなった傷痕がいくつかあった。穏やかな生活から遠く離れたところで生きてきたトニーを垣間見た気がした。
この街は十二月ともなると、夜の気温が五度ぐらいにまで下がる。寒さに負けたふうを装ってトニーに抱きついた。
抱き枕にされたトニーが「暑い」と鬱陶しそうに
しばらくすると、ゆるゆると肩に手が回ってきた。
言葉はなく、引き寄せる動きもない。肩の後ろに手をおいているだけ。
それだけだったが、体温以外のものも伝わってくる気がした。
受けとめてくれる存在があることが嬉しかった。
心地よさのまま眠りに入りたいと思ったが、ソニには確かめなければいけないことがあった。忘れるわけにはいかない。
ベッド脇にある、サイドテーブルが気になっていた。
下段には雑誌がきっちり並べて納められている。その一部が少し乱れ、あいだに何かが差し込まれていたからだ。
大きさと材質から、思い浮かぶものがあった。
シーツの衣摺れすらさせぬよう、ゆっくりベットを抜け出した。トニーが寝入っていることをもう一度確認。足の裏に床の冷たさを感じつつ、手を伸ばした。
やはり、フォトフレームだった。
常夜灯となっている小さなフットライトに近づけ、写真に目を凝らした。
ソニは、鋭く息を吸い込む。フレームの中のツーショットに愕然となる。半ば覚悟していたとはいえ、声を失った。
あの子がいた。
裏通りの路上でソニが見た顔より、いくぶん幼い顔立ち。その子に腕をからめとられて、隣に立っているのは——
本人は笑んでいるつもりなのかもしれない。頬を引きつらせている微妙な表情は、トニーだった。
トニーの姓が、ブックマーカーのイニシャルに入っていなかった理由はわからない。それでも、たとえ家族でなかったとしても、ふたりが親密な関係であることは、トニーが他人に見せることがないだろう写真の中の表情から伺えた。
遺品となったブックマーカーの刻印が思い出される。
——「I’ll never forget you.」
贈ったトニーが、別注で入れたのだと思う。
手書き風のフォントで綴られたメッセージが、いっそうソニに重くのしかかった。
法外な生き方は刹那的になる。なのにトニーの部屋は、必要最小限の家具があるだけで、すべてがきっちり整理され、酒瓶一本すら見当たらない。
いままでいた組織で散々見てきた、ギャンブル、ドラッグ、乱行、鯨飲といったものとは無縁にみえた。
そんなものなど比べ物にならないほど、写真の子を拠り所にしていたのかもしれない。
暗鬱とした気分にふさがれた。
倒れたあの子を見かねて足を止めたのは、間違いだったのか……。
ソニは頭を振ると、あの子から引き受けた役目を思い出した。あの子が伝えたかった言葉を伝えなければいけない。きっとトニーも、直接聴ききたかっただろう言葉を。
伝えることがソニにとって、どれほど苦しいことでも。
いままでいた組織では、無茶な命令もこなしてきた。そんな仕事より、ずっと難しい。
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