第14話 わたくしを探せ
一晩中泣いて、真っ赤に腫れあがった目の周りを、マリアが冷やしてくれている。
(夕べも思ったけど)
「マリア。お前の手は硬くて荒れてるわね。どうしてそんなに荒れているのよ。ちゃんとお手入れはしているの?」
傷だらけのマリアの手は、続く水仕事で荒れたらしく、隙間なく赤いし、酷いものだ。
「マリア、そこのクリームを取って。そう、その薔薇の模様のケースよ。それをお使いなさい。王都の高級クリームだから、きっとお前の手にも効くでしょう」
「え? お、王女様? そんなとんでもない。私には過ぎたお品で到底使えません……!」
「わたくしが嫌なの! 荒れた手で触れられたら痛いのよ! 良いこと? これでしっかりと保湿すれば、いくらかマシになるはずだからちゃんと塗るのよ?」
マリアは何度もお礼を言っていたけど、わたくしに
ある日、王都からお菓子が届いた。以前は毎日のように食べていたものが、ここでは滅多に口に出来ない。
それを有難がって食べるなんて、わたくしの誇りが許さない。
こういうものは盛大に、惜しげなく分けながら食べるものよ。
マリアの孫は六歳の女の子。だけどやせ細っていて、王女の従者の身内としてみすぼらしい。
お菓子を下賜すると、初めて食べたと目を輝かせていた。
甘いものは貴重らしい。
確かに普段の食事があのレベルでは、菓子なんて夢や幻の存在ね。
寒く乾いた土地では、砂糖の元になる植物も育たないだろうし。
でも、確か。
寒い土地で育つ甘味のある植物もあると……。
領地を豊かにするため、以前ファビアンが調べていたことがあったわ。
当時のわたくしは、"関係ない世界の野菜話なんて、つまらない男ね"と呆れていたけど、その植物がこの辺境でも育てば、村の食べ物ももっとマシになるかも知れない。甘味は高値でも売れる。
わたくしは王都の父王に手紙を書いた。
それから、しばらく。
マルケスは相変わらず戻らないままだったけれど、わたくしはマリアを通じて城や村の人間とたまに言葉を交わすようになっていたある日、事件が起こった。
「孫のアニタが、行方不明?」
何気なく呼んだマリアが蒼白な顔をしているので尋ねたら、ずっとアニタを探していたという。
「どうして早くわたくしに言わないの!!」
どうもアニタは、雪山に踏み込んでしまったらしい。
しかも神が住むと言われる、ビダの山。
怪我をした友達のため、薬草を求めて山に入った。
冬山で植物を見つけるのは難しい。きっと奥に奥にと入ってしまったのだろう。
「薬なんて、わたくしに言えばいくらでも持ってきているのに……」
このまま日が落ちれば、気温は急激に下がってしまう。
城に駐屯している兵たちの悠長な様子に激怒する!
「お前たちも捜索に行きなさい!」
けれどわたくしの命令に、彼らは驚くべき言葉を返してきた。
「無理をおっしゃらないでください、王女様。村の子ども一人のために雪山に向かっては、我らが遭難してしまいます」
「なんっ……! それでも行くのが大人じゃないの?」
「まさか。この貧しい村で人間が大人に育つのがどれだけ大変か。価値で申し上げるなら、子どもの命は軽く、我らの命のほうに価値がございます」
信じられない!!
「そう。王女の命令でも行けないと言うの?」
歯ぎしりする思いで、最終通告を出してみれば。
「申し上げますなら王女様。王女様が我らに命じる権限はないのです。王都からそう言いつかっております。王女様をお守りすることだけが、我らの職務でございますれば」
「王女様の無茶にはつき合わなくてよいと、上から言われております」
詰所の兵が、口々に言う。
「──!?」
わたくしに、命じる権限がない??
王族としての権力を取り上げられていることは知っていた。
けれど、こんな者たちにまで軽んじられるなんて許せない。
わたくしを! 第一王女を甘くみるとは生意気な!!
「命の価値だと言うのなら……! この中で、王女であるわたくしの価値が最も高いわ。これまでわたくしにかかっている金額は、お前たちが何千人かかっても賄えない額よ! そしてわたくしに何かあれば、お前たちもただでは済まない」
そこまで言って、わたくしは息を吸った。
「わたくしを守るのが職分であれば、わたくしを探しに来なさい!!」
バタン!!
思い切り扉を開き、外に飛び出す。
扉の外は風が強まり、雪が激しくなっていた。
「何を?!」
「王女様、どこへ」
「わたくしは子どもを探しに行く! お前たちは人手を出して、わたくしを追うのよ!!」
声を限りに叫んだ。
「いけません!」
「自殺行為です!」
止める声を背中に、わたくしは吹雪の中を進んだ。
羽織ったマントは薄く心もとないけど、派手な発色の赤いドレス。
雪の中では目立つでしょう。
わたくしを探して、そしてアニタを見つけると良い。
もちろんわたくしだって全力で小娘を探すわ。王都にはもっと美味しいものがあると、次の菓子でも威張ってやりたいもの。
どのくらい雪の中でいたのか。
まつ毛の雪も凍り、目を開けているのに耐えられなくなってきた頃、わたくしは岩の下に倒れているアニタを見つけた。
慌てて駆け寄って確かめると、息はある。
(すっかり身体が冷え切っている。このままじゃ時間の問題だわ)
運ぼうと抱き上げようにも、重くて無理。
肩の下に手を回し、どうにか担ぎ上げようとして、失敗した。
わたくしの身体も凍り付いたように、まるで力が入らなくなっている。
それなら……。
(あの時。マリアが暖かさを分けてくれたように、今度はわたくしが体温を分けてあげる)
岩影なら、直接あたる吹雪は防げる。
わたくしは冷え切ったアニタを包み込むように抱きしめた。
(ふふっ、このまま死んでしまいそうよ。だけどアニタ、お前はせめて助かって)
わたくしが死んでも泣く人間はいないけど、この子が死んでしまったらマリアが泣くわ。
数年前に娘を失くし、孫を大切に生きている女だもの。
マリアは流行り病で、娘を失くした。
(その娘って、わたくしくらいの年だったのかしらね……?)
わたくしのことも、世間では"人知れず消された"と伝わるのかしら。
どうしたらいいのかわからない。
こんな方法しか浮かばなかった。
わたくしが騒ぎを起こしたせいで、兵たちも巻き込まれて死んじゃうかしら。
やっぱりわたくしは酷い王女ね。
わたくし、知っていたの。
わたくしは頭が良くないって。
だから城の教育係はいつも言ったわ。
王女たるもの美しければ優れている。
一番きれいでいれば良いと。
だからわたくしは、ずっと美しくして……。
ドレスで飾って、宝石で煌めいて、誰よりも。
(王都から出たこともないような教育係の言葉を、どうして鵜呑みにしていたのかしら)
それだけわたくしの世界は狭かった。
わたくしの目は、何も見ていなかった。
見た目の美しさよりも、懸命に生きる輝きのほうがどれほど尊いか。
わたくしには何も出来ない。
小さな子を救うことさえも。
「神よ……、雪山の神よ……。小さな命を助けてやって」
力ない声は空気に散じ、音を結ばなかったはずだけど。
薄れいく意識の中で、わたくしは声を聴いた。
──氷のように硬く純粋で、寂しさを抱えた娘よ──
(誰……)
──助けてやろう。お前の心には嘘がない──
(あなたは、誰……?)
──お前がいま呼んだ、この山でお前たちが"神"と呼ぶものだ──
(……神……)
──以前来た男は、まだ駄目だ。あれは罪深い。贖罪を果すまで、解放は出来ん──
(以前来た男……?)
……!! まさか、マルケス?!
(マルケス、"人知れず消された"わけじゃなくて生きてるのね?)
ほっと吐息した中、わたくしの意識は閉じた。
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