カタリナ辺境編

第13話 辺境での出会い

 マルケスが帰ってこない。


 マルケスはわたくしと一緒に王都を追放された、書類上のわたくしの夫。なぜ書類上かと言うと、ある事情により、結婚後のわたくしとマルケスの間に男女の交わりがないから。

 言えないわ。マルケスのあれがあれであれだから役に立たないだなんて。


 彼とわたくしは、王都で"やってはいけないこと"をやってしまったらしく、辺境の城に送られた。


 美貌で知られた第一王女カタリナ、それがわたくし。

 華やかな王都とは違い、ここは辺鄙で貧しいド田舎。


 気候は厳しく、空は厚く重い雲で覆われがち。窓からのぞむ景色には、峻険な山々が白い雪を頂きに載せていて気が滅入ることこの上なく、はっきりいって劣悪!!


 初めて来たときは、なぜわたくしがこんな場所で暮らさなくてはならないのかと憤慨した。

 けれどどれだけ文句を言ってもわたくしの周りにいる下民たちはオタオタと慌てるだけで、わたくしを王都に返す力もすべも持っていない。


 彼らに出来るのはせいぜい、"精一杯"とかいうしょぼくれた食事を出してくることくらい。


 寝室は気に入らないし、調度品も古めかしい。

 何より、かつて砦として使われていた城だけあって、武骨な石壁が剥き出しで冷える!!


 わたくしは発狂しそうになったけれど、それ以上に喚いていたのがマルケスだった。

「貧乏くじを引いた」と王女であるわたくしにも乱暴な態度をとり、ひとしきり暴れた彼は「親戚に直談判してくる」と城を出た。


 人は、自分より荒れている人間を見ると、冷静になるものなのね。


 飛び出した彼をわたくしはあっけにとられたまま見送って……、以来、ずっと帰ってこない。


 土地勘も何もないマルケス。

 途中の山道で足を踏み外したのではと、人々は言っていた。


 けれどそれ以上に、わたくしを震え上がらせたのが。


 "人知れず消されたのだろう"という、使用人たちのヒソヒソ話。


 なんでも、地位を失って追放された人間は"生きていると邪魔になる"という理由で、病死したり事故死したりするものらしい。


 そんな馬鹿な! わたくしは第一王女よ?

 わたくしに手を出すなんて、王都の父王が黙っていないわ!!


 そのはずなのに、わたくしがこんなに困っていても父王は助けに来てくれない。呼び戻してもくれない。


 わたくしをマルケスに嫁がせた後だから?

 よその男の妻になったわたくしは、もう父王の娘ではないの?


 なら、わたくしもいつか、病死や事故死だと囁かれる存在に……?



 ブルルッと身体が震えた。



 怖かった。

 怖くて、マルケスがいなくなってから眠れずに、ひとり寝台で夜を明かす。

 食事も喉を通らず、目に見えて弱っていくわたくしに対し、無礼にも下女が声かけてきた。


「大丈夫ですよ、王女様。マルケス様はきっとお戻りになられます。その時に王女様がやせ細っておられては、マルケス様がご心配されましょう。何か召し上がってくださいませ」


 この下女、マリアは何を言っているのかと思ったわ。


 わたくしはマルケスを心配しているわけじゃなくて、自分自身が心配なのよ。

 マルケスだって、わたくしがどんな様子でも多分心配したりなんかしないわ。

 夫婦ってそういうものだって、王都の婦人たちの会話で知ってるのに。


 マリアは、使用人の数も必要最低限なこの城で、わたくしの食事をはじめ身の回りの世話をこなす平民の女。


 侍女でもなく、下女。王宮で大勢の侍女にかしずかれてきたわたくしなのに、ここでは傍仕そばづかえがひとりしかいない。


 近くの村の出身で、恰幅良く膨らんだ身体に、やや日焼けした肌。

 粗末な服を着て、常にエプロンを外さない中年女性のマリアは、今回の雇用で孫娘とともに城に住み込むことになった。

 城の隅の小部屋に居を移し、洗濯に掃除にと余念がない。


 

「わたくしにこんな貧しいものを食べろと言うの?! 馬鹿にするにも程があるわ!!」


 初日に出してきた食事をつき返しながら怒鳴ったら、"これが精一杯で、村では食事さえ満足にとれない人間が多い"のだと、思い切り悲しそうな顔をした。


 はああ? 嘘でしょう??

 ペットもそっぽを向くような、飾り気のないパンと野菜のスープ、申し訳程度の肉に玉子よ?

 これすら食べれないなんて、どんな村なの?


 それに。王女の前でそんなにはっきりと気持ちを顔に出すなんて、許されると思っているの?


 わたくしは彼女にも、彼女の村にも驚いてしまった。



 また、別の日。


「わたくしは本来、お前のような下賤なものが近寄って良い存在ではないのだからね!!」


 身の程を知らせてやろうと言った時には。


「承知しております。美しい王女殿下をお傍でお見上げすることが出来て、本当に光栄です。村で自慢させていただいております」


 ニコニコと満面の笑みで返された。


 違うわ。わたくしが言いたいのは、そういうことじゃない。でも。


 "美しい"、"光栄"。

 王都では当然のように言われ慣れていた言葉なのに、マリアが言うとなんだか、こそばゆい気持ちになった。何かしら、これ。


「……そ、そう? わたくしが美しいこと、村で自慢していいわよ」

「はい、有難うございます」


 ニコニコニコとマリア。


 ええと。わたくし、確か何に怒ってたんだけど。何に対して怒っていたのかしら。



 どうもおかしいわ。

 マリアと話すと、思っていたことと違う結果になっている。



 風の強い今夜もそうだ。


 外では魔獣の呻き声のような轟音が、絶え間なく響いている。

 風が力いっぱい走り抜けるとこんな音がするなんて、王宮では経験したことが無かった。


 夜に外が真っ暗になることも。

 王都ではどこかしら明かりが揺らめいていたから。


 部屋で音の凄さに身をすくめていると、マリアがわたくしの様子を見に来た。

 彼女はいま、寝台に横になったわたくしの手を、包み込むように握っている。


 知らなかった。


 こんな小さな部分が触れているだけで、力強く安心出来るなんて不思議で仕方ない。

 手から通して伝わる体温が、とてもとても心地良い。


 だからかも知れない。

 

 わたくしはかたわらのマリアに、ぽつりぽつりといろんなことを話し始めた。

 きっと半分以上、眠っていたのね。取り留めなくこぼす言葉に、マリアが丁寧に相槌を打ってくる。



「わたくしには、子どもの頃から世話を焼いてくれる男の子がいたの。困った時にはいつも助けに来てくれていたのに……。今回は、いつまで待っても迎えに来てくれないの……」


「そのお相手とは、マルケス様ではないのですか?」


「マルケスより前に婚約してた相手よ。名前はファビアン。でもわたくしがファビアンとの婚約を破棄したら、急に余所余所よそよそしくなってしまって」


「王女様が婚約を破棄なさったのですか?」


「ええ。わたくしから、破棄したわ」


「……王女様。偉い方々のことは私にはわかりませんが、婚約破棄をした以上、お相手の方はお迎えには来られないのではないでしょうか?」


「どうして? わたくしが困っているのに?!」


 びっくりして飛び起きたわたくしに、マリアは困ったような笑みを向けた。

 せっかく眠りかけていたのに、目が覚めてしまったわ。


「婚約者でもない女性のそばに、男性は勝手に近づけませんよ、王女様」


「でもこれまでわたくしのそばにはいろんな男が寄って来たわよ? 婚約者じゃなかったけど」


「それは……王女様がそれだけ魅力的だったからだとは思いますが……。ですが王女様。婚約者がいる女性に近づくなんて、節度がある行動とは言えません。何かしらの下心も勘繰るべきかと」


「下心?」


「たとえば、自分の欲求を満たして貰うためとか。王女様とお近づきになって名誉を得たいとか、美しい王女様を自分のものにしたいとか……。大丈夫でしたか?」


「!!」


 マリアの言葉に、わたくしは驚いた。


 確かに男たちは皆一様に「ああして欲しい、こうして欲しい」と希望を述べてきた。身体を重ねながら"叶えて欲しい"と懇願されると、可愛く感じてわたくしも便宜を図ってやったけど。

 あれは下心だったの?


 わたくしに自分の都合を要求しなかったのは、ファビアンだけ。

 公爵家だから困ってないのだと勝手に思っていたけれど、次男だったから不便はあったかも知れない。


 だけどファビアンはいつも堅苦しい顔をして、わたくしのやることなすことに苦言を呈してばかりで。


(そうよ。ファビアンが悪いのよ。昔はよく笑ってくれてたのに、いつの間にか口を開けばお節介やお説教ばかりを言うようになって)


 ふと気がついた。


 そういえば子どもの頃のファビアンは、マリアみたいに笑っていたわ。

 飾ることなく、嬉しそうに素直な目で。


(わたくしがマリアの笑顔に不思議な気持ちになるのは、そのせい?)


 顔かたちはまるで似てないのに。

 心地よい空気にファビアンを思い出す。


 ファビアン自身は、いつの間にかわたくしの前で笑わなくなっていた。


 ドレスを花で飾るため、一緒に育てた花をすべて切ったせい? 鳥の羽を帽子に飾りたくて、むしるように命じたせい?

 庭で飼っていた珍しいあの鳥を、ファビアンは遊びに来るたびとても可愛がっていた、気がする。


 むくろとなった鳥を見て、悲しそうに涙をこらえていたけれど……。


(でも! でもあの時は! そうしたほうが誰よりも目立つドレスになるからと侍女長が!)



 そうよ。"美しい"のが大事なのよ。

 第一王女は、美しくないと価値がないの。

 "誰よりも美しくあれ"と、ずっと言われ続けて来たわ。



 他にも何かあるたび、ファビアンが訴えてきた。

 辛そうな姿を何度も見た。

 婚約破棄を告げたあの日も。


 最初にファビアンの目に浮かんだのは──。



「もしかしてわたくしは、ファビアンを傷つけていた?」


 呆然と呟くと、マリアが控えめに言葉を差し入れた。


「王女様から婚約を破棄されたら、傷つかれたかもしれません。もう要らないと、お相手に宣言されたも同然ですから」


「!! そんなつもりはなかったのよ!!」


 わたくしは心底驚いてしまった。


 わたくしはファビアンを要らないと言ったつもりなんて、全くない!!


(結婚しなくても、ファビアンはずっとわたくしの傍にいて、それが当然で──)



 違うの??



「まさか……婚約を破棄したら、一緒にはられなくなるの」


 恐る恐る尋ねたら、マリアが頷いた。


 むしろ居てはいけないのだと。

 新しい相手がいる人間に近づくのは、失礼なことなのだと。


 それでわたくしが何度呼び出しても断られたのね。

 わたくしの隣にはマルケスがいたから、良識のあるファビアンがずかずかとやってくるはずはなかった。


 それに……。きっと怒ったわ。

 わたくしがファビアンを大事にしなかったから。



「……言ってくれないとわからないわ」



 言われても、わからなかったかしれない。

 わたくしはいつの間にか、ファビアンの言葉をうるさく聞き流すだけにしていたもの。



「じゃあわたくしが待っていても、ファビアンはずっと来てくれない?」


 小さく消え入りそうな自分の声は、取り残された幼子おさなごのようだった。


 マリアは眉尻を下げて、何も言わないままにわたくしを見た。

 それがすべての答えだった。


「う……、うわぁぁぁぁぁぁん!!」



 そんなつもりじゃなかったの! そんなつもりじゃなかったのよ、ファビアン!!



(ごめんなさい……)

 


 わたくしの泣き声は、風音にかき消されて、嵐の夜に消えて行った。

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