途中、彼女が雑貨店の前で立ち止まった。

 新婚の頃、よく散歩がてらに二人で立ち寄った店だ。

 扉を開けるとカランとドアベルが鳴り、次いで「いらっしゃいませ」と聞き覚えのある甲高い声が聞こえてくる。妻のなで肩ごしに店内を覗き込むとレジの前でふくよかで真っ白な猫がニッカリと笑っていた。

 そういえばこの店は僕たちと同年代の夫妻が営んでいて、奥さんは色白ぽっちゃり体型の女性だったと思い出した。

 軽く会釈をすると白猫は意味ありげに髭をピクピクと動かし、その緑がかった瞳孔を大きく見開く。


「あら、いいわにゃあ。二人でおでかけ」

「うん、お花見に行くところにゃ」


 妻がはにかむと白猫はたっぷりとした腹を揺すりながら近づき、ピンク色の肉球を口もとに妻の尖った耳に当てて含み笑いを浮かべる。そのすがめた目がこちら向いているところを見るとどうやら話題のタネは僕らしい。

 きっと耳に入れば、おもわず僕が顔を引き攣らせてしまいそうなことを囁いているのだろう。

 けれど知らぬが仏、聞かぬが花だ。

 僕は彼女たちの後ろをすり抜け、細い隙間を掻い潜って奥のスペースに足を進めた。

 とはいえ雑貨などにさして興味があるわけでもない。

 所在なく陳列棚の小物を眺めていると、そっと肩に手を置かれて思わず跳び上がりそうになった。

 振り返ると少しばかり頭髪が頼りない小柄な男が背後に佇み、ちょっと困惑したような愛想笑いを浮かべていた。


「お久しぶりです」


 ご主人さんだ。

 

「あ、こちらこそご無沙汰しております」


 首筋を撫でながら頭を下げると彼はフッと切なげな表情を浮かべた。


「さてはあなたも……ですか」


 そう云われて思い当たることはひとつしかない。


「え、といいますと、もしかしてご主人も」


 慎重に尋ね返すと彼はゆっくりと噛み締めるように頷いた。


「いつからですか。いや、これはどういうことなんです? なぜ僕たちはこんなことに」


 思わずそう責付くと彼は人差し指を口に当て、店先で談笑に興じる猫たちに目線を送る。そしてあわてて口を手で塞いだ僕を目顔で背後に誘った。

 ご主人に続いて通路を奥まで進むと右手にこじんまりとしたティールームがあった。そして促されるまま僕は二人掛けテーブルの奥に腰を下ろし、向かいに座ったご主人に改めて訊く。

 

「いったいどうなっているのでしょう」


 すると彼は意外な言葉を口にした。


「もしかして奥さんが猫になったのは初めてですか」

「え、それはどういう意味……」


 絶句した僕を彼はしばし物珍しげに見つめ、それからゆるゆると首を振る。


「なるほど、それなら驚かれるのも無理はない。私なんかもう三回目ですから慣れっこになりましたけどね」


 そう言って寂しげな笑みを浮かべた彼は驚くべきその摂理を吶々と語り始めた。

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