5−5 穏やかな魔女と苛烈な聖人

 それは時の魔女のいたずらだろうか。

 リヴェレークが誓った瞬間、すべてが静止したように祝福は凝り、単にきらめきと言い表すには惜しいほどの光を伴って五人の上に降り注いだ。

 熱を湛えた焚き火色の瞳が、じっとこちらを見ている。

「ルフカレド。わたしは、あなたと幸せになりたいのです」

 ちゃんと伝わらなかっただろうかと、もう一度誓いを口にすれば、はあ、と天井を仰いだルフカレド。

 そうしてしばらく放心していたかと思えば、ぐっと引き寄せられ、呼吸を奪うように唇を合わせられる。その深さにめまいがして、リヴェレークはぺしぺしと夫の背中を叩いた。

「……こんなところで、ふ、深すぎます」

「そうだったな、続きは家でしよう――……いや、俺の館のほうがいいか」

 リヴェレークとて羞恥心くらいは持ちあわせている。さすがに友の前ではとそちらを見やれば、恥ずかしそうに目を逸らすヴァヅラと面白そうに見つめるクァッレは対照的で、またルファイは人ならざる者たちの不思議な結びに芸術作品を鑑賞するような瞳を向けてきていた。


(ああ、結びが始まる)

 窓の外、津々と。

 時波がさざめいている。

 静謐と戦火、ふたつがこれから真に繋がりを持つことを察した世界が、そわそわ準備をしているのだ。

「これほど大きな事象の結びは久しぶりであるからな……」

「そうね。規模もそうだけど、ここまで質の離れた要素どうしというのは初めてじゃないかしら」

 魔女と聖人の結びとは、互いの要素を掛け合わせること。

 明星黒竜たちの言葉に心配が滲むのは、その均衡が崩れるとどちらかが削れてしまう可能性もあるからだろう。友人としても、世界を導く明星としても、見過ごすわけにはいかない。

 死闇の魔女の崩壊により、ただでさえ揺らいでいる時波。

 彼らは、リヴェレークたちが結ばれるこの夜をしっかり見守ることにしたようだ。

「もしもがあってはいけないものだ。ルフカレド、そなたには好ましくないかも知れぬが、リヴェレークに明星の祝福を持たせることを許してもらおう」

「はは、そこまで狭量じゃないさ」

 ヴァヅラは額へ、クァッレは頬へ、それぞれ軽く口づけてリヴェレークを守る祝福を与える。ついでにルファイにも与えてやっているのを見ながら、ルフカレドはやれやれと肩をすくめた。

「まあ、事象の大小で言えば、静謐より戦火のほうが小さいんだがな」

「国落としの神がなにを言ってるのよ……あら、そうだわ。ルファイは家に籠もっていなさいね。よく戸締まりをして。私も空で調整をするけれど、相当揺らぐと思うの」

 その真意がどこにあるのか理解したのだろう、ルファイは仕方がないといったふうに、しかしどことなく嬉しそうに「わかった、そうするよ」と頷いた。

「トーン・クァッレも見守ってくれるのですか? なんだか子供ができそうですね」

「リヴェレーク!?」

「まったくもう……」

「秋の明星黒竜が示すのは豊穣なのですから、豊かに実をつけるという意味で正しいのでは」

「あのな」

「それに魔女は出産をするわけではありませんし、大変なことではないのですよ。ただ身体を重ねるだけ――……なんでもありません」

 最大級に呆れた視線が突き刺さり、リヴェレークはそっと窓の外を見た。

 目に映った時波のさざめきすら、心なしか生温い。

「はは……行こうか。そろそろ俺も限界だ」


       *


 初めて訪れる夫の正式な家、そしてその目的を思えば、リヴェレークも緊張してくるというもの。

 しかし、落ち着かない気持ちで寝室に足を踏み入れると、先に入りながらも妙な位置で立ち止まったルフカレドにぶつかった。その背中から室内を覗いて、リヴェレークも固まる。

「なんでここにあるんだ……?」

「……家の特定および無断侵入の機能付きなベッドでした」

 なぜか、糸屑拾いの作品であるあのベッドが、あった。

 この寝具に意思があるのか定かではないが、青みがかった火の色の毛布の艶やかさを見せつけながら、「さあお使いなさい」とでも言うかのように鎮座している。

 寝室の本来の主役だったであろう天蓋付きのベッドは隅に追いやられたようだ。

「これは使ってあげるしかなさそうですね」

「まあ……そのために作られたんだろうしな」


 ベッドの、突然の自宅訪問によって微妙に緩んでしまった空気のままなだれ込むわけにはいかず、ふたりはそれぞれ湯浴みをしてから仕切り直すことにした。「なんとも締まらないな」とルフカレドは悔しさを滲ませるが、リヴェレークはそんな始まりもよいだろうと思う。

 そうだ、このひとと幸せになるのだと、なんだかんだ愉快そうに瞳の奥を揺らしながら笑む夫の姿に、実感が湧いてくる。

「少しだけ、話をしましょう」

 当然のように用意されていた揃いの寝間着を着て、ベッドに並んで腰掛けた。腕や太ももの当たる距離の近さにそれとないくすぐったさを感じながら、ほつほつと言葉を落とせば、ルフカレドも似た温度感で言葉を返してくる。

「静謐から生まれたからこそ、君は、話をしようと考えるのかもしれないな」

「そうなのかもしれません。わたしは、痛いほどに透明な水に、素敵な色のインクを垂らして……そうして、透明が色づいてゆくのを見たいのです」

「それは比喩か?」

「比喩でもあり、いつかの現実に望んだ夢でもありました」

 透明な水の中。

 ひりつくような孤独しかなかった、果てのない時波。

 友ができても根本が変わることはなかったそこへ入り込んでくる、熱を湛えた火の色。

 ぽつんと、ぞっとするほどに深い青を垂らしてみる。

「ルフカレドは知らないかもしれませんが、わたしは、あなたに焦がれるような想いも持っているのです」

「……奇遇だな。俺も、いっしょだ」

 囁くような、低い呟き。

 戦火の聖人とはこんなにも穏やかな声で話すひとなのかと、リヴェレークは心地よさに目を細めた。

 そっと、はめたままにしていた指輪を外す。

「どうでしょう。わたしの想いはこんなにも燃えているわけですから」

 透明な石の中で、静謐の青と戦火の赤が暖かく揺らいでいる。その炎のようなきらめきがリヴェレークの意思だというならば、自分のほうがよほど苛烈なのではないかと思うほど。

 ルフカレドの左手を取り、裏返した手のひらに指輪を乗せた。

「これはルフカレドにあげます。わたしがあなたと幸せになるのだという、証拠に」

 喜んでくれるだろうかと顔を覗き込めば、ルフカレドはしかし、右手で口もとを覆ってあちらを向いてしまう。

「ルフカレド?」

「……っ、そんなに見ないでくれないか」

「難しいお願いですね」

 気づいていたのだ。

「あなたの瞳の中に、わたしの瞳の色が映り込んでいるのです。それが綺麗で、嬉しくて……っ!?」

 塞ぐことが目的のように触れられた唇がいちど離れ、ふたたび、今度は優しく触れられる。

 甘やかな雰囲気に溶かされそうになるリヴェレークは、まだ言いたいことがあるのだとルフカレドの両頬に手を添えながら顔を離した。

「初めて口づけられたとき――」

「あれは……悪かった」

 心底後悔するように眉を下げた彼に、いいえと首を振る。

「本当はあのとき、安堵したのです。もしかしたら、あの透明も染まるのではないかと……そう、思わせてくれたから」

 戦火の聖人はいつの間に、静謐の魔女をこんなにも愛おしげに見つめるようになったのだろう。

 渦巻き、こちらを引きずり込む感情はなにをきっかけに生まれたものか。

 リヴェレークにはわからない。わからないのに、自分も同じ感情の渦のなかにいることがひどく嬉しかった。

「……静謐と戦火を混ぜたなら、どうなるのでしょう」

「試して、みるか?」

 頷ききる前に、リヴェレークの呼気は奪われた。


       *


 リヴェレークを囲っていた透明な水が、深く震えている。

 丁寧に触れてくる指も、唇も。その優しさとは裏腹に、触れられたところは戦火を刻まれたかのように熱を持つ。

 得も言われぬ情動が湧き起こるのを、リヴェレークは静謐の魔法で抑えようとして、しかし有無を言わさぬルフカレドの視線に縫いとめられた。リヴェレークの反応すべてを捉えようとするその瞳の鋭さにはやはり、敵わない。

 どちらからともなく溢れた要素が、煽り尽くすように互いを染めあった。

 ぱちん、ぱちんと泡が弾けるような浮遊感がする。

(なんて不思議で、なんて幸せな時間なのだろう)

 身体が悦ぶたび、とめどなく溢れる静謐のすべてを、戦火が絡め取ってゆく。それはどこまでも執拗で、決してもう静謐を孤独にはしないと宣言するよう。そんなルフカレドの執着さえ心地よかった。

 リヴェレークの内側に灯る熱の色はもう、なにも映すことのなかった透明ではない。


 かの静謐と戦火が真に結ばれたその晩、明星の聖人――すなわち世界で最後の聖人は誕生したという。

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