4−4 愛らしい静謐と恩恵
冬を取り戻した時点で責任を果たしたことになり、リヴェレークとルフカレドはようやくひと息つくことができるようになった。しかしヴァヅラについては、長い夜を終えれば当然、多方面に謝罪と感謝をしにいかねばならない。彼が休めるのはまだ先の話である。
「巻き込んだのはわたしなので、トーン・ヴァヅラだけを向かわせるのはなんだか心苦しいです」
「いいのいいの、今回のことは一族の中でもいい教訓になったし。だいたいリヴェレーク、あなた大勢に詰め寄られるなんて嫌でしょう」
「それはそうですが」
事態がある程度収まってから、律儀にヴァヅラと謝罪まわりをすると言い出したリヴェレークは、しかし皆の反対にあっさりと引き下がった。彼女には大雑把なところがあると知っているルフカレドは、行かせればむしろ騒ぐ者をまとめて影へ落としかねないと心配していたので、周りの言うことを聞く素直な魔女でよかったと心から思う。
「ほら、ルファイも待たせているのよ。早く行きましょ」
クァッレは秋の者として活動をしてしまうとせっかくの冬作りに影響があるためレストランを閉めており、とはいえ個人的な宴であれば問題ないだろうということで夜空の下にて食事をしないかと誘ってくれた。
ロッタの中央街の外れにある丘。さほど離れてはいないが、街明かりの届かない絶妙な位置にあるため、知る人ぞ知る星空観測に適した地である。
「こんばんは。はじめまして、戦火の聖人さま。料理の魔術師ルファイです」
そうしてカトラリーを並べて待っていたルファイに挨拶を受けたルフカレドは、気づかれぬようほんの一瞬だけ、目の前の人間を観察した。以前クァッレから話を聞いたときは魔術師らしい狡猾さと凝り性のありそうな印象だったが、どちらかといえばそれは料理人としての気質であるらしい。
つまり自分とリヴェレークに害はないと判断した彼は、比較的友人へ向けるものに近い笑みを浮かべる。
「ああ、気楽にルフカレドと呼んでくれ。敬称もいらない」
「っ、わかりました……ルフカレド」
(まあ、なんというか……)
少しばかり顔を赤らめた人間の魔術師の少年らしさを見て、聖人は明星黒竜たちの好みに納得したのであった。
すでに冬の料理で埋め尽くされたテーブルは、レストランに出されるものとはまた違った温もりに満ちていた。
今夜の料理は、クァッレとルファイが一緒に作ったものであるらしい。普段よりも乳製品を使ったものが多いだろうか。とにかくそのすべてが、溢れるほどの星灯りを浴びて輝く。
冬の始まりを彩る、美しい晩餐の場だ。
「本当は前に話した料理の魔術を試してみたかったのだけど」
「まだ完成してもいないのに、こんな不安定な夜に出せないよ」
うんうんと頷いているリヴェレークは話の内容そのものよりふたりの恋に興味津々のようだ。彼らのやりとりを見る限り、まだ関係の構築中といったところか。
それでもルファイは、朝の短い時間だけだが、レストランで働くことになったという。
『これは結ばれる日も近いのでは……?』
『……楽しそうだな』
『物語では、なんでもないと言いながらも縮められた距離に、胸を高鳴らせる者も多いのですよ』
このような推測を伝えるためだけに伴侶の会話を使う妻に、笑みがこぼれる。出会ったばかりのころであれば意外だと感じただろうが、この読書家の魔女は、物語で知った出来事を実感したり実体験したりすることがとても好きなのだ。
さて、本日の料理もたいへん美味である。ルフカレドは炙ってとろとろになったチーズをかけた厚切りのベーコンを気に入り、リヴェレークは豆や野菜の形がなくなるまで煮込まれた保温性の高いスープを気に入ったらしい。
「静謐さん、まだスープのおかわりがありますよ」
「もらいます」
わかりやすく減っているのを見て苦笑したルファイが提案すると、リヴェレークは嬉しそうに器を差し出した。
(静謐さん……?)
耳慣れぬ呼び名に対する疑問を口にしかけたところで、そういえばクァッレとルファイの関係であれば訪い夜に招待されていたのだろうと納得する。そこでなんらかの交流があったに違いない。
できれば自分もその場にいたかったものだが、やってくる死者の数と質を思えば致し方ないだろう。
「……ん」
考えごとをしながら口に含んだ料理の思いがけない味に、ふと視線を皿の上へ落とす。見たことのないものだったので少なめに取っていたが、食材自体の味には覚えがあった。
「沼鮭の……これは、発酵漬けか?」
「そうよ。苦手だったかしら」
「……いや。沼鮭はあの独特な臭いが嫌いだったんだが、むしろこれは癖になるな。こうして食べれば美味いのか」
「わたしもこれは初めて食べました。いっしょに美味しいものを知っていけるのは、幸せなことですね」
はっとして、ルフカレドがクァッレへ視線を向ければ、クァッレもまた驚いたようにこちらを見ていた。
リヴェレークが、未来にあるものとしての幸せを望む言葉ではなく、このように現在の幸せについてはっきりと口にしたのは初めてではないだろうか。
(クァッレの驚きようからしても、珍しいんだろう)
そんな言葉を引き出せたことを、ルフカレドは純粋に嬉しく思う。
なにからどのように連想したものか、続けられた言葉もまたルフカレドを浮き立たせるものであった。
「そういえば髪飾りは、いつ新しくしてくれるのですか?」
「あら。変えちゃうの?」
ちらりと意味ありげな視線をよこしてきたクァッレには余裕の笑みを返し、あらためてリヴェレークに向き直る。
「今夜に――と言いたいところだが、ちゃんと準備をしたいからな。それとなんだが、まるきり変えるんじゃなく、ここに、俺の要素を足すことにしよう」
伸ばした手の指先で、とん、と小さな星の欠片に触れる。
髪飾りの仕掛けを教えてくれた当初は、それすら居心地悪そうにしていたものだ。けれども今は違う。
「いいのですか?」
「妻が大事にしているものを奪う趣味はないからな。まぁ、戦火を主にさせてはもらうが」
それは当然だというふうに頷く魔女は、同等の立場である異性から要素を受け取ることの意味をわかっているのだろうか。
(わかっていて、わかっていないんだろうな)
ヴァヅラのようすから推察するに、この魔女の髪飾りは、竜らしい親子の情に似た庇護欲によって贈られたものなのだろう。大事な娘のような友人が危ない目に遭わないように、遭ったとしても救えるようにと。
しかしこれからルフカレドが贈ろうとしているのは、それだけの意味に留まらないものだ。
「あらあら。リヴェレークがねぇ」
冬空の下、どこか生温い空気が流れる。にやりとする竜と人間を一瞥した魔女は、少しばかり目を泳がせてから早口でこう告げた。
「仮初めの関係でもないのですから不仲を疑われても困るだけでしょう」
言い訳めいた言葉に、場の空気がさらに緩む。
そのことに気がつかないほど静謐の魔女は鈍感ではなく、だからこそ、静かな慌てっぷりが可愛らしい。
「る、ルフカレド、雪玉の菓子は食べましたか?」
とはいえ、友人もいる席でこれ以上に虐めるのは勿体ないという思考を持つルフカレドは、分が悪いと感じているらしい伴侶の話題変換にも快く応じてやるのだ。
「いや、まだだ」
「絶対に食べてください。トーン・クァッレの作るこの菓子は、さくふわでとても美味しいのです」
「ふわ……?」
雪玉の菓子は木の実の粉を丸く練りあげてクッキーのように焼いたもので、仕上げに砂糖をまぶした見た目がまさに雪玉という菓子だ。
さく、という表現しか聞いたことのないルフカレドは首を傾げた。
「うちの冬が妖精にあげたいというから、試行錯誤したのよ」
明星黒竜たちの、庇護対象へと向ける愛情のかたちは非常に謎めいている。
戦火の聖人は、美味しそうに、小さく口もとを綻ばせながら菓子を食む伴侶を見つめていた。
(リヴェレークは知らないだろう)
この婚姻がどれほどの恩恵となっているか。
ルフカレドはリヴェレークと出会ってからの数々の会話を思い出す。もちろんそのすべてが琴線に触れたわけではないが、はっとさせられた言葉は多い。
代わりがあり得たからこそ大事にする――そう語った彼女に救われたようだった。
たしかに最初の時点でルフカレドは、条件さえ合えば相手は誰でもよいと考えていたし、リヴェレークに至っては婚姻の必要すらなかった。彼女の言う通り、互いに代わりの選択肢などいくらでもある状態だったのだ。
(とはいえ今まで関係を持った女は皆、壊してきたからな)
ルフカレドは、苛烈な聖人だ。ひとたび情を向ければ、その熱さえ戦火のごとく暴力的な力を持つ。それは、ただ美しく派手めな恋人が欲しいだけの者には重く映り、堅実に生きようとそれなりの力しか持たぬ者には耐えがたい。
ずっと、壊してしまう心配のない愛が欲しかった。
この魔女は、壊れないのだ。火の中でも崩れないどころか、むしろ戦火との結びを考慮したうえで嘘偽りなく幸せを掴みにいこうとしているくらいに。
それは静謐という要素ゆえの強さだけでなく、彼女がこれまでに歩んできた道の――おそらくは思考の、強さなのだろう。
「空透かしの酒はそのまま飲んでももちろん美味しいですが、凍った星灯りのジュレにかけると結晶ができてとても綺麗なのです」
過去にリヴェレークが作ったのか、飾り気のない保冷用の箱から、クァッレが星灯りのジュレを取り出した。凍らせたことでシャーベット状になっており、異なる色の層がこのままでもすでに美しい。
薄く酒をかければ、ジュレに触れたところから霜が走り、星に似た結晶ができあがる。
「わ……」
小さな歓声をあげたリヴェレーク。
続いてクァッレたちも感嘆の声を漏らす。
強く冬を宿した夜空を映すシャーベットの変化は、非常にきらびやかであった。
結晶から冬の星らしい滲みが生まれ、霜の線が結晶と結晶を繋ぐ。ざあっと光の波がたつたびに、その繋ぎの組み合わせが変わる。意味のある形に見えるときもあれば、でたらめな形に見えるときもあった。
「これは初めて見たわね……ルファイ」
「うん、記録してる」
星空を象るシャーベットを食い入るように見つめるリヴェレークの横顔はひたすらに静かで、しかしぞっとするほどに青い水底色の瞳は星を含んできらめいていた。
とても、楽しそうに。
今後もずっと、貪欲に幸せを掴もうとする彼女を見ていたい。
そんな願いが湧きあがる。
伴侶として、などというのは都合がよすぎるのだろう。けれどもリヴェレークは、同じ気持ちではないだろうが、それでも夫婦として歩もうとしてくれる魔女なのだ。今はその隣で、そして彼女が望んだ通りふたりで、幸せを掴めたらと思う。
(いや、俺はすでに得たも同然だから……)
となればやはり、苛烈な明星黒竜と同じように、静謐の魔女の幸せを願うばかりであった。ひとつ異なる点があるとすれば、そこには自分もいるべきだという確信があること。
ルフカレドはもう、静謐を交えたあの戦火を、いっとうに愛しているのだ。
気づけばずっとリヴェレークへ視線を向けていたらしい。
「あなた、相当の独占欲ね」
クァッレにはそうからかわれ、ルファイにすら呆れた表情を向けられる。とくに隠すつもりもなかった、どちらかといえばリヴェレークの情緒を育てる意図もあったルフカレドは肩を竦める――というふうに余裕でいられたのはそこまでであった。
「そうなのです」
「は?」
「え……」
「ちょ……っと、リヴェレーク……気づいてたの?」
「瞳の色ですよね? 出会ってから毎日のように会っているのですから、気づかないほうがおかしいでしょう」
ほら、とこちらを覗き込んでくる魔女は、むしろわざとであってほしいと願うほどに無垢な表情で「今はそうでもないようですが」と調査結果を報告してきた。
(そろそろ我慢ができなくなりそうだ)
ついで、聖人の生態に興味を示してしまった人間は放っておけるが、豊穣を宿した憐れみの目というのもなかなかにくるものがある。
だがその前に。
心のうちで、ルフカレドは切り捨てるべきものを意識した。
毎晩リヴェレークが不要なしがらみを落としてくれるようになってから、よりいっそう際だつようになった灰色の気配。
誰もがやがて辿りつく事象ゆえに、気づけないもの。
そこにあるとわかっていても、対処できないもの。
以前は伸ばされる手を振り払うだけで済ませていたものが、今は存在を感じるだけで煩わしい。
――ああ、そうだ。死闇の話をしなければ。リヴェレークが自分と歩く道を模索するように、ルフカレドもまた、そうありたいと思っているのだから。
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