4−2 三人の迷い路と嫉妬の可視化

 光を孕んだ風が木々の抱える雪を散らしていた。

 真剣な眼差しでそのようすを見ているのは絵描き妖精の冬担当だ。時おり手もとの紙に書き込んでいるのは、彼らが初冬の風の材料にしている、木枯らし竜のため息とダイヤモンドの妖精の鱗粉の配分を決める計算についてだろうか。

「心が洗われるような風景であるな……――私まで落ちたのは想定外だが」

 冬の明星黒竜たるヴァヅラまでもが感心する、清涼な雪山。ようやく迎えた冬の始まりにふさわしい景色だが、ここは現実ではない、書の迷い路である。

 落下の発端は、クァッレがルファイにと用意していた本をリヴェレークが目ざとく見つけたことだ。密かにそわそわしていた彼女に、クァッレは気づかなかったらしい。調味料を切らしたと買い出しに行ってしまった。

 そんな店主のつかの間の不在を受けて「久しぶりに読んでみましょう」とこっそり読み始めたところで、空へ飛び立つ前にと顔を出しにきたヴァヅラが訪れた、わずかな時間。狙っていたのではと勘ぐりたくなるようなその一瞬のうちに、本は空間を歪めた。

 リヴェレークとともに本を読むことがどういうことであるかを理解していながら試し読みをとめなかったルフカレドはともかく、ヴァヅラは完全に巻き込まれである。

 初めての迷い路にもかかわらず、慌てず騒がず、用心深く周囲を観察する冷静さはさすが古の竜といったところか。

「雪の精が静かすぎるのではないか」

 音を吸収する雪の精は静謐に属すると思われがちだが、実際は噂好きでお茶目な娘たちの集まりだ。結晶の形状を軸にした、恋多き花の系譜なのである。

 そんな雪がいっこうに沈黙を破らないことを訝しんだヴァヅラであったが、真実を知るリヴェレークは首を横に振った。

「作業中の絵描き妖精を怒らせると、雪崩の竜を派遣されてしまうそうですよ」


 三人が落とされたこの物語は、絵描き妖精の奮闘を中心に据えた四季の成立について描いたものだ。

 景色から推察するに、このまま冬の成り立ちをなぞっていくか、季節の移り変わりを再現することを求められるか――といったところが迷い路から抜け出す流れとなるだろうか。

 季節そのものを育むことに熱心な秋担当とは異なり、冬担当はどちらかというと研究に没頭しがちな性格をしている。そのため、後者に近い流れを迎えるほうが終着点として有力であるように思う。

 と、そこまで考えたところで、リヴェレークは複数人で迷い路に落とされた際に重要な話し合いを忘れていたことに気づいた。

「なにに繋がるかわかりませんので、ここでは名を呼ばないようにしてください」

「ああ、理解している」

「ただ咄嗟に呼びかけが必要な場合もあるでしょう。彼はルド、わたしはヴェラ。あなたは――」

「いや」

 そこで割り込んできた声の主を見上げると、伴侶の視線を受けたルフカレドは喉の奥で笑いながら肩をすくめる。

「三人いるとややこしいからな。魔女、聖人、竜でいいだろう」

「まったく、そなたは……」

 はあ、と冬の明星黒竜の吐き出す息が、明確な白さで光を塗りつぶした。


 ひとまず雪山の頂上で冬の終わりの雪を探すことにした一行。それぞれが強大な力を持つ人ならざる者でありながら、道なき道を地道に登っていく。

 今いる場所は木こそまばらだが、なかなかの急斜面だ。リヴェレークは少しばかり、息を荒くした。

「ところで、迷い路というのは寒いところが多いのか?」

「いいえ。書物の内容に即するのですから、当然、暑い場所もあります。ここも、これから、夏担当の場に入る可能性がありますし、昨日はルド――聖人はいませんでしたが、地底火山でしたよ」

「そうなのか。あと別に、名前を言い直さなくてもいいんだからな」

 どこか落ち込んだようなルフカレドの視線は一瞬、リヴェレークの服へ向いた。

 迷い路の特徴を把握した瞬間に彼女が影の中から選んだのは、厚織りのニットワンピースと毛皮のポンチョだった。製作者はもちろん、かの五人家族。糸屑からどのように毛皮を織りあげたのかという疑問はさておき、袖や裾、首周りにはふわふわのファーがあしらわれており、凍てつく季節の気分を盛り上げてくれる素晴らしい作品だ。

 絵描き妖精と協力し、厳しい冬を生きる民の装い。新たな旅の仲間が加わろうと、迷い路を楽しむ姿勢を崩さないのが静謐の魔女なのである。

「暑いところをお望みですか? 最近は寒い日が、続きますからね……明日は、そのような書物を読みましょうか」

 それどころか、影の入り口を探れば、春から秋の場面にあわせた服もしっかり出番を待ち構えている。

 リヴェレークが内容を知っている本を読む際、事前に影の中を整理しておき、登場人物らしい服を取り出しやすい手前のほうに置いていることは彼女だけの秘密だ。

(もしかすると、もっといろいろな種類の糸屑拾いの作品を見たいのかもしれない)

「ああ、それなら海辺の――……いや」

 そのようなことは知らないであろう、提案に頷きかけた聖人が首を横に振ったのは、少し前を歩いていたヴァヅラに睨まれたからだ。

 リヴェレークはというと、海辺ならば出会ったばかりのころに遊泳着を見せたので予想は外れたようだと、伴侶の望みを理解しきれない自分の不甲斐なさを悔やんでいた。

 なにも理解していない夫婦になにを思ったか、歩みを止めたヴァヅラは身体ごと振り向いた。その威厳たるや、三人に興味を示していた小さな絵描き妖精たちがぴゃっと逃げ散らばるほど。

「迷い路はそのように気軽に向かうところではない。危険なのだぞ」

「わたしはいつ落ちても問題ないよう、きちんと備えています」

 胸を張る魔女に、冬の明星黒竜はまたしても白い息を吐く。そのまま厳しい顔を聖人へと向ける。

「そもそも聖人は守護の質を持っているのだから、魔女が迷い路へ落とされぬよう守れるはずだろう」

「ここでの彼女の笑顔を知ってなおそうできるほど、俺は非情じゃないんだ」

「趣味を理解してくれる伴侶で嬉しいです」

 そのような気遣いをされていたとは知らず、リヴェレークはごくわずかに跳ねた。

 しゃん、しゃりんと星の欠片の髪飾りが鳴る。

「処置なしだな……まあ、魔女には私の要素を持たせているから、いざという時は引き上げることもできるが」

「は? ちょっと、もう一度言ってくれないか」

「いざという時は私が引き上げると言ったのだ」

「その前だ。なにを、持たせているって?」

「……まさか知らなかったのか?」


 もう何度めかのヴァヅラのため息に、これは新たな冬の要素かと絵描き妖精たちが戻ってきた。

 内心では、先ほど怖がらせてしまったことが悲しかったのだろう。凛々しい表情が常である冬の明星黒竜も、このときばかりは小さな妖精たちを間近に見ることができて嬉しそうだ。

 いっぽう、黙り込んだままのルフカレドは、意気消沈といった無の表情。

 迷い路で続ける話でもないように思うが、無防備な男性陣の姿に気が抜けてしまったリヴェレークは、ひとまず伴侶の憂いを取り除く方向で会話を進めることにした。

「この髪飾りは星の要素だと言いませんでしたか?」

「竜のものとは思わなかったな」

「星の中でも最高峰なのですから、なにも問題はないでしょう」

「守護の問題ではなくて、知り合いのものであることが問題なんだが」

「むしろ安心できるのでは……」

「とにかく、迷い路を出たら新しい髪飾りにしような」

 ルフカレドはそう提案してくるが、リヴェレークにとっては友人が要素を込めてくれた大事な品。そう簡単に頷けるはずもない。

「嫌です」

「……ヴェラ」

 略称を好まないリヴェレークを慮ってか普段はあまり呼ばれない名が、甘い響きでもって口にされた。

 駄々っ子から一転、凄んだ彼は途端に聖人らしい男性的な気配をまとう。その艶やかさに揺らぎそうになりながらも、いやいやと首を振る魔女の頭にて星の欠片が音を立てる。

「はあ……魔女よ、この場合は伴侶の気持ちを考えてやることも大事であろう」

「伴侶の気持ち、ですか?」

 友人の助け舟を受け、じっとルフカレドを見上げると、彼は譲らないという雰囲気を保ちながらも気まずそうに目を逸らした。

 夫の不機嫌。友人の要素を含んだ品。

 物語にもこういう場面はよくあるような気がする。記憶を探り、比較的すぐに答えを見つけたリヴェレークは、その意外さをまさかと思い声に出してしまう。

「…………嫉妬?」


 ごお、と雪が鳴った。

 突然の、冬が崩れるような感覚に、三人は顔を見合わせる。

(絵描き妖精の物語に、このような場面はなかったはずだ)

 陽は翳り、暗がりのなかで光を孕んだ風が不気味にきらめきながら冷気を運んできた。そこに、なにかよくないものが混ざり込んでいる。

「くるぞ」

 戦に連なる者らしい研ぎ澄まされた感覚で、なにかがやってくるのを察知したルフカレドは、濃紺のケープマントを広げてリヴェレークをその中に迎え入れた。

 迷い路のようすがおかしい以上、たしかに普段通りの備えでは足りないかもしれない。

 これもまた、ルフカレドが先ほど見せた嫉妬と同じものを起因としているのだろうか。出会ったばかりの頃は他人事らしく各々でまかなっていたことを思えば、こうして当たり前のように内側へ入れてくれるようになったのは大きな変化だ。

 たしかに夫婦としての情が芽生えているのかもしれないと、リヴェレークは不思議な実感をする。

(このひとは、こんなふうに夫婦でいてくれるのか)

 そうして思考に浸りかけたのは一瞬。

 凄まじい勢いで、暴れ夏の竜がすぐ横を通り過ぎていった。

 三人のあいだに緊張が走る。

(物語にいない存在は出てこないから、現実のもので間違いない。でもなぜ、冬の始まりに暴れ夏が……)

 聖人と明星黒竜も、それぞれの感覚で異常事態を認識したのだろう。

 暴れ夏の竜は、真夏の災害と呼ばれるほどに厄介な生き物なのだ。このような場所で灼熱を撒き散らされたら、怒り狂う絵描き妖精がなにをしでかすか、考えるだけでも恐ろしいではないか。

「……魔女。私は本来の姿になるべきだろうか?」

「そうしてください。おそらく、迷い路そのものが崩れかけ、現実が入り込んでいるのでしょう。あなたにはここで冬を維持してもらい、わたしが物語の終着点を探しにいきます」

「了解した」

 ヴァヅラは少し距離をとるように山の斜面を登り、開けたところに出た。

 しゅうう、と雪煙が起こる。

 その向こうで、人の形をしていた影がぶわりと膨れる。

 白い幕が上がれば、冬の明星黒竜がそこにいた。

 大きな翼。鋭い角。漆黒の鱗をまとった強靭な体躯。わずかに開いた口からは白い吐息が漏れ、その奥に獰猛な牙が覗く。

 さらに鮮烈さを増した瞳は、どこからでも見ることが叶いそうな青い青い明星。軋みかけた迷い路が、増えた要素と調和してわずかに安定する。

 いつ見ても美しい友の竜姿にうっとりしかけ、これもまた伴侶の嫉妬を呼んでしまうだろうかと心配したリヴェレークだったが、近くで見たのは初めてであろうルフカレドもまた目を奪われ惚けているようだ。

「ルド?」

「美しいな……っ、ああ、俺も同行しよう」

「お願いします」

 迷い路の切れ間から、こちらを狙う者たちがいる。


       *


 姿を竜に変えたヴァヅラは、次々と迫りくる怪物をなぎ倒していく。

 その瞳は冬の明星だ。理屈の効かない暴れ夏の竜はともかく、いかなる季節の生き物であっても目指すべきものとしての道しるべに惹かれやってくる。

 にふさわしくない彼らを、片っ端から崩していく。

 リヴェレークたちのようすを見る限り、今の状況は普通でないのだろう。ならばその異常はどこからやってきたのだろうか。

(いつもと違うのは、私であるな)

 その可能性に気づくとともに、ヴァヅラは、終末の魔女を幻覚した。

(……まさか)

 いっさい表へ出てくることはない、静謐の魔女よりもさらに世界の底にて眠り続ける魔女だ。終末の薫りに喚ばれてもなお幻影しか結ばず、姿を表すときは世界が終末を迎えるときであるとすらいわれている。

 今ここで終わろうとしているものがなにか、その答えに気づいたヴァヅラは、慌てて口を開く。


       *


「ダイヤモンドダストの花が咲いていますね」

 それは、ダイヤモンドダストの妖精が余った雪の塵で気まぐれに作る花。可憐で清澄なさまは見る者の心を奪う美しさで、雪山での遭難の原因としても知られている。

 心を動かすことのできる、花だ。

 迷い路産であればまた違う効果もあるやもと何本か手折っていくと、ルフカレドが覗き込んできた。

「それが終着点か?」

「い、いえ……魔法具に、使えるかと思っただけです」

 そこで、咆哮混じりの呼びかけが飛んできて、呑気に楽しんでしまったリヴェレークはこれ以上の追求を逃れられそうだと、若干の後ろめたさを持ちつつほっとする。

 それから慌てて、雪山の頂上を目指した。


 手に入れたのは冬の終わりに降る雪。春眠りの薬にもなるその結晶は、季節が移り変わる指標だ。

 迷い路に、冬の眠りが訪れる。

 ――眠れば、きっと。

 そこには現実があるのだろう。意識を手放す寸前、魔女は野暮なことを思う。

(これは、いわゆる夢落ちなのでは……)


 しかして迷い路からもといた場所――クァッレのレストランに戻れば、腰に手をあて、頬を膨らませた店主が待ち構えていた。

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