第四章 ダイヤモンドダストのオルゴール
4−1 訪い夜と心の向く先
訪い夜。それは扉の向こうから死者たちがやってくる夜だ。
クァッレが重ねてきた豊穣の要素がもっとも濃くなる、秋の終わりの夜。生きているうちに長命な生き物との繋がりを得た彼らは、時波を漂流する豊かな灯りに誘われてこちらを訪う。
生者はそんな彼らを特別な料理でもてなし、ともに語らい、死者の魂が本当の意味で死を迎える手伝いをする。
「今夜は本邸に灯りを用意したから、俺はそこで死者を迎えるよ」
しかし近頃は、長命な生き物に壊された死者が、復讐のために訪い夜を利用することも増えた。この夜だけは自分の命を奪った相手に触れることができるので、報復が叶うやもと期待してしまうのだろう。
力の強さとはおおよそ生きる時間の長さに比例するものだ。けっきょくのところ裏をかかない限りは敵うはずもないのであるが、彼らの大暴れ具合を考えると、壊したことを忘れるなよという意味あいでも使われているのかもしれない。
「では、帰りは遅くなりそう――……もしや、帰ってこられないのでは」
とにかくそういうわけで、戦火の聖人として多くの存在を屠ってきたルフカレドには毎年相当数の復讐者がやってくるのではないかとリヴェレークは予想していた。
復讐が目につくようになってからというもの、彼女自身も含め、長命の生き物に仇なす客の多さには辟易とするばかりだ。
「はは……まあいつもどおりだろうからな」
これはどかんと火を放ってしまうのだろうなと想像できる、相変わらずの薄い笑みである。
「君は?」
「トーン・クァッレのレストランへ行きます。さすがに秋の最終日に空を不在にはできませんから、毎年わたしが店番をしているのです」
「料理はやめとこうな」
「失礼な、作り置きですよ。そもそもわたしには繋いでおきたい相手などいません」
「……なるほど、クァッレのところでは本来の意味で行われるのか。羨ましい限りだ」
(やはり……)
本来の意味でやってきた死者を守りながら報復のためにやってきた死者を退けるのは、なかなかに骨が折れる。
だが対象だけを静謐の影へ落としてしまえるリヴェレークはその限りではないため、ルフカレドを店に呼び、まとめて片付けてしまってもよいという考えもあったのだ。
(だからここで、わたしたちのところへも望まぬ客は来るのだと、その対処もわたしがするのだと、教えてもよかった)
しかし今年は、どうしても呼べない――呼びたくない理由がリヴェレークにはあった。
*
「ルファイですね。どうぞ中へ」
「……どうも」
頷いた茶髪の青年がこぼした無愛想は、クァッレの事前説明によれば、緊張を由来とするものであるらしい。当然といえば当然の反応だ。ただの人間が生涯で古の魔女に出会う可能性などないに等しい。先日すれ違ったときはまだ互いを認識していなかったため、実質これが初対面である。
いっぽうでこの店へはもう何度も訪れているらしく、彼は慣れたようにカウンターの席に座った。
店内は普段よりもいくらか照明が落とされ、代わりに紫焔菊を生けた花瓶と提灯カボチャの装飾品がほのかに照らしている。
この紫と橙という独特な色の重ねが、訪い夜の特徴だ。
リヴェレーク自身も、訪い夜にあわせた装いをしている。提灯カボチャの皮を結晶化させた、大小さまざまな橙の石を縫い合わせたドレス。きゅっと絞られた腹の位置からふわりと広がるスカート部分はランプの傘を模しており、内側で灯る紫焔菊を透かしてステンドグラスのようにきらめいた。
漂流物の灯りに自分もなりきるというのが、この魔女の静かな遊び心である。
ほどよい間をおいてから、リヴェレークはクァッレがいつもしてくれるように、酒の入ったグラスを出した。
中身は森待ちの帆船が抱えていたと言われる伝説の樽で作られた蒸留酒を、飲みやすいよう果汁で割ったものか。伝説はともかく、その樽が漂流物であることは間違いなく、軽く香りづけられた酒は訪い夜の始まりに出すものにふさわしいといえよう。
「魔女のもてなしなんて贅沢ですね」
「用意したのはトーン・クァッレですよ」
静謐の魔女が料理を得意としていないことを、彼は知らないらしい。
ただそこで、気難しそうな口もとが少しだけ緩むのを、リヴェレークは見逃さなかった。これは友人の恋路に期待することができるやもと浮き立つ。
紫炎菊は豊穣の祝福を浴びてもなお妖しく光り、しかしそれは害をなすものではなかった。あちらとこちらの境を曖昧にする道しるべだ。
正式な道を通りレストランを訪れた死者には、訪い夜特製の料理をふるまう。そのほとんどが生前はこのレストランの常連だった者たちだ。クアッレ本人には会えないが、彼女の料理を懐かしみ、またかつての常連仲間と会えることを楽しみに、彼らはやってくる。
反対に、リヴェレークたちに復讐をはたそうとやってくる死者については、レストランの外縁に用意した罠に触れた瞬間、影へ沈んでいった。
古の竜らしく、クァッレはかなり慎重に繋ぎを与える者を選別している。ゆえにリヴェレークにも見分けがつきやすい、簡単な分別作業だ。
「……悪しき客が多いな。あなたを訪ねた者ですか?」
「どちらの客であるかを気にしたことはありません」
「なるほど」
静謐の魔女にしても明星黒竜にしても、己の要素を妨げる相手に容赦はしない。この方法をとるのは、ふたりの意思なのだ。
そうしてまた騒がしい客がやってきたぞと凪いだ表情で窓の外を見やった魔女に、はふはふと提灯カボチャのグラタンを食べていた死者のひとりが、笑い声をあげた。
『美しい魔女のもてなしが羨ましいんだろう』
「どうでしょう。なんにせよ、死者になってまで騒々しい魂など、まとめて沈めるほかありません」
『静謐さんの料理を食べれば、静かになるかもしれないよ』
「漂流物としての気配すら消えてしまう可能性がありますが、試してみる価値はありそうですね」
レストランの常連が多いということは、リヴェレークの顔見知りも多いということ。淡々とした軽口の応酬に目を瞬いたルファイには、他の死者がなにやら解説をしてやっていた。
『静謐の料理、それもまた静謐となる』
「それはつまり……」
『無味』
『にんげん、めずらしい』
「僕も、備えがないとこのレストランには入れないよ」
リヴェレークの弱点を暴露されている気もするが、仕方あるまい。訪い夜は、長命な生き物を通じて、異なる時代を生きる者たちが交流する場でもある。ここでも秋の明星黒竜に心を傾けられた者どうし、波長が合うようだ。
いくらか表情を和らげたルファイの横顔を見ながら、リヴェレークは時の流れに思いを馳せる。
(いつか、死者となったこの人間を、わたしはここで迎えることになるのだろう。そのときトーン・クァッレは、どのようなもてなしをわたしに要求するのか)
客席からは見えない位置にある棚の中には、本日提供するものがぎっしり並んでいる。
これは
いくら静謐の魔女の料理が静謐を辿り味を失うことになるといえど、酒を注いだくらいではなにも起こらない。だが、それほどにこの人間を丁寧にもてなしたいのだと思えば、友人の気合いの入りようが微笑ましいではないか。
時おり外のようすを気にしている、ルファイのやわらかな茶色の瞳は、秋の明星を映してはいないようだった。
それでも彼のまとう空気はとろりとした雰囲気となってきており、そろそろ頃あいだろうかと、リヴェレークは問いかけるような視線を向ける。
「……いや、生者のための料理が少なくなってきたので。遅れている者は満足できないのではと」
「トーン・クァッレが死後の繋がりを望んだ人間は、ルファイだけですよ」
「そんなに僕の魔術を気に入ってもらえていたとは」
嬉しそうだがそうではない、と静謐の魔女は一丁前にも小さく首を振る。
ヴァヅラが言っていたように、彼女もまた、クァッレとルファイの恋を予感していた。もちろん無理強いはよくないが、なかなかに微笑ましい関係でありそうなところを見れば、少しくらい後押しをしてもよいのではなかろうか。
(友人の幸せを願うこともまた、幸せなことだ)
「魔術だけではありませんよ」
「……静謐さん?」
「貴重な魔術に、魔法。食材であっても。ただそれだけであるならば、彼女は明星黒竜としての顔を崩すことなく、心を配るだけに留まるのです。トーン・クァッレは秋の道しるべ。簡単にその祝福を偏らせるわけにはいかないのですから」
もとより率直な言葉を好むのが静謐の魔女だ。死者たちと同じようにリヴェレークを「静謐さん」と呼ぶようになった人間にはもう、下手に遠回しな表現を使う必要はないのだろう。
「それ以上に特別な意味があると、そう言いたいんですか」
疑いの意が乗せられた問いかけに神妙な面持ちで頷くリヴェレークには、しかし、その違いを説明することが難しい。
彼女は実感としての恋を知らない。適切な言葉選びをしていても、細かな色あいが持つ温度感までは伝えられないのである。
そのことにルファイも気づいたのか、まるで兄が妹を諭すような微笑みをこぼした。
「あなたの勘違いだよ」
(もどかしい)
言葉を交わすことは大事だ。その思いが変わることはない。
しかしそれだけでは伝わらないこともあるのだと、リヴェレークはここ最近で実感してばかりだ。
(ルフカレドはそれを理解していて、要素の――身体の交わりを求めたのだろうか)
ある程度料理を提供し終え、帰路につく死者たちも出てきた頃。リヴェレークも自分の食事をとりながら酒を飲むことにし、グラスを傾けながら、ルファイが考案したという料理の魔術の話をする。材料の集めかたから始まり、緻密に計算された調理法、料理を出す順番にテーブルの配置、空間を彩る音楽まで。
まだこちらに残っている死者たちも交えれば、大会議の始まりだ。
リヴェレークやクァッレからすると短命だが、純粋な人間であるルファイからすれば彼らもまた貴重な叡智を持つ存在。それも、生前は豊穣の祝福を得てなにか大きな事を成した者ばかりだ。
今夜のこの場は、可愛らしいと慈しみを向ける人間が新たな知見を得られるようにという、秋の明星黒竜の願いでもあるのだろう。
ルファイはさほど酒に強くないらしく、初めは淡々と語っていた口調には次第に熱が入る。
「ああ、今宵ならばやはり、豊穣を願うあの歌がいいだろう……」
わずかに潤んだ瞳は窓の外、今度こそ、悠々と夜空を射抜く黄金色の明星に向いていた。
その口からやわらかな旋律がこぼれる。
「霜降のいざよう、黄金垂れる日よ……――」
人間という生き物は本当に、どこまでの激情に身を焦がし続けるものか。彼らが皆、星に憧れるというのも納得だと、リヴェレークは大事な友人を敬う声の心地よさに耳を傾ける。
心を揺らし、身体にも影響を与えるような歌だった。死者たちの輪郭が美しくぼやける。魔術師として、おそらくかなり優秀であろうルファイの歌には魔術が混ざり始めているのだ。
リヴェレークは、書の迷い路にて人形となることでようやく聞くことのできた、眠りオルゴールを思い出す。
「……あなたのその歌は、いつか、大きな繋ぎを作るでしょう」
そこには少しばかり、羨望の思いが込められていた。
まさか古の魔女からそのような目を向けられるとは思わなかったのか、ルファイは驚きを隠さず、しかしほどよく酔いの回った思考で親しげな情を見せる。
「静謐さんが繋いでおくような相手はいないのですか? 伴侶がいると聞きましたが」
「彼は戦火の聖人ですから、繋きが必要なほど簡単には失われません」
顔にかかった横髪を耳にかければ、本日は顔の横でまとめられた髪飾りがしゃりんと鳴った。
夫による髪結いにも慣れたものである。
結びを求めて触れてくる手は、リヴェレークを実感へと導く手だ。そうして少しずつ、夫婦の情が、幸せへと続く道が、形づくられてきた。
たとえばこの意外にも穏やかな日々が失われたとして。それが命の終わりによって分かたれたものではないのだとしたら。
――ルフカレドが、静謐との繋ぎを厭うようになったなら。
(そうならないように、心を染めかえてしまえるだろうか。たとえば、オルゴールを使えば)
眠りオルゴールは、聖人にまで影響をおよぼしたのだ。
そんなふうに考えてから、リヴェレークは、自分の内からそのような思考が生まれたことにひどく驚いた。
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