3−3 戦利品と契約の書類
ルフカレドはあまり家財にこだわらない質らしい。引っ越しの際は最低限の物――衣服や仕事道具だけをリヴェレークの家に持ち込み、あとは静謐の影のなかで長いこと眠っていた家具や魔法具を使うことにするという彼は、あっという間に生活の場を整えた。
伴侶の、住居に対する執着のなさは予想外で、魔女は首を傾げるばかりである。
「そもそも家に帰らないことも多かったんだ」
「そういえば、あなたは多忙なのでした」
日々国を落として回っているのだ。さまざまな均衡を保ち調整を行うルフカレドは、本来、リヴェレークの趣味に付き合う暇などないはずであった。
「まともに本邸を使うのは、夜会を開くときくらいだからな」
「戦火の夜会」
「ただそういった催しは今後もあちらで行うし、普段はなるべく帰宅できるよう考えているから安心してくれ」
誠実そうな笑みからはもう、いつかのような余所余所しさは感じられない。むしろ耳慣れぬ温かな音に、朝食のサラダを嚥下してもなお、リヴェレークは口をもぞもぞと動かした。
毎晩のように落とされる口づけと同様、こういった言葉に返す反応をいまだ見つけられずにいるのだ。
想いの通わぬ夫婦といえば、契約を結んだり仮初めの関係であったりというのが物語の定番であるが、リヴェレークはそれに当てはまらない。夫婦という関係性において得られる幸福を求めるからには、いずれ想いあうようになるのだろうという漠然とした思いすらある。
しかしまずは簡単なところから始めたい静謐の魔女は、そのあたりの知識を得ることよりも優先したい事項があった。
「以前より家で過ごす時間が長くなるのであれば、新しく必要なものも出てくるのでありませんか?」
「そうだな、ひとまずは足りている――」
ちょうど珈琲を飲もうと口の前へマグカップを持ってきていたルフカレドが「つっ」と声を上げる。彼の手から抜け出したマグカップは、中身を少し散らしながらリヴェレークの手にすり寄ってきた。
「は……」
どうやら家と仲のよい食器たちが、この聖人がいっときの客人ではなく主たる魔女と今後も暮らし続ける住人であることを知り、従順さを放棄したらしい。
マグカップに便乗してルフカレドを威嚇しだした皿やカトラリーたちに、リヴェレークは「こら!」と叱った。
「――……いや、新しい食器が要るな」
リヴェレークの家にある物は、糸屑拾いの作品を除けばほとんどが迷い路で得た戦利品だ。それがこのようすでは、いけない。
「わたしもお金を稼ごうと思うのです」
ややあって、静謐の魔女はそう切りだした。
前から考えていたことだ。これまでは金がなくとも問題ないような生活をしてきたが、ふたりでとなればそうもいかないだろう。
「はは、これくらい自分で賄えるさ」
「ひとまず食器はそうしてください。けれど、ふたりのものとしてこれから必要になるものもあるでしょう?」
「それでも俺は構わないが……そもそもあてはあるのか?」
「影のなかを見せたでしょう。売れる物はたくさんあるのです」
書の迷い路にてその物語の動機づけとなるような小物、迷い路の戦利品。これまで数え切れないほどの狭間に落ちてきたリヴェレークの、莫大で唯一の資産である。
売ればそれなりの値がつくことは知っている。むしろ過去には物が増え続けてもしかたないと業者へ持ち込んだこともあったのだが、リヴェレークのもとを離れようとしない戦利品が続出し、商売にならなかったのだ。
今も彼女が売却する気がある旨を口にした途端にカタカタ震えてみせ、情に訴えかけようとする策士すら出てくる始末である。
「これは異様だな」
「そういうわけで、質のよい買い取り業者を知りませんか?」
「……そうだな、俺の商会へ来るといい」
「知り合いに業者がいるのですか?」
「いや、戦利品はそのまま持っていてくれ。そうじゃなくて、君は魔法具を作れるだろう」
「ルフカレドを客に……あまり意味がないのでは」
リヴェレークは仕事をしたいのではなく、ルフカレドに頼りきりとならないようにするための金を得たいのだ。
しかしルフカレドは「その魔法具によって利益を出せれば意味はあるだろう」と言う。
「戦は好まないと思うが、実際はさまざまな要素が集まるものなんだ。ウェッヅリャーのような気質の者もいるし、新しく興味が湧くようなものがあればいいんだが」
そうして静謐の魔女は、戦火の聖人の職場を訪れることになった。
*
正面に「カスィヂワ商会」と掲げられた岩造りのその巨大な建物も、ルフカレドの家のひとつであるという。
主に組織を客とする商会だ。騎馬の魔女を表向きの会長とし、武器や戦時の物資、契約の立会や情報までをも商品として取り扱う。
「騎馬の魔女…………それはどのような魔女でしょう」
「君とは合わない気質だろうから会う必要はない」
魔女はみな人のかたちをしているはずだが、その名に引っ張られて姿を上手く想像できない。リヴェレークは四つ足の下半身に鞍を背負った女性を思い浮かべそうになる思考を早々に放棄した。
店舗になっている一階の裏口から入り、すぐ脇にある階段を上る。広い廊下の左右には扉が開いたままの執務室や反対に厳重な魔法鍵を施された部屋が並んでいたが、ルフカレドは一見普通の入口のようでありながら精緻な魔術と強力な魔法の込められた扉に手を触れた。
極力痕跡が残らないようにしているのだろう。わずかな光も、要素さえも動く気配のしない扉は、ただノブを回したことで開いたかのように見える。実際にどれほどの魔法が動いたのか、一度見ただけではわからなかった。
そんな扉を抜ければ、艶やかな濃紺の色彩が視界に飛び込んでくる。居間と執務室のいいとこ取りをしたような、穏やかで品のよい空間だ。
「ここは俺と、俺の直属専用の執務室だ」
つまり戦火にまつわる事象はこの場で調整が行われているということなのだろう。もちろん雷雲の妖精たるウェッヅリャーもおり、再会の挨拶をする。
「……会長の席すらないのですね」
「この商会において、あれは対外へ周知するためだけの存在だからな。彼女個人に大した力はない」
ただ、騎馬という性質上、人間が多く働くこの商会で彼らを率いることには向いているのだ。
執務室への出入りすら許されていない会長の代わりに、会長秘書である槍の聖人がやりとりをしているのだという。
褪せた銀の色彩を持つ槍の聖人は、鋭い顔立ちを快活な笑みで和らげ、しかしやはり軍人のようなきびきびとした所作で静謐の魔女への挨拶の口上を述べた。
戦に限らず、槍というのは古来より使われてきた品だ。その影響力を考えれば、騎馬の魔女よりも彼のほうが圧倒的に強い力を持っていることはリヴェレークにも簡単に想像がつく。
「俺でも勝てるかどうか、怪しいくらいだな」
「やめてくれ、ルフカレド。つい最近もお前に斬られたばかりじゃないか」
「はは、そう言ってもかすり傷だっただろう?」
「お前の言うかすり傷は俺の重症なんだよ」
男の友情を感じさせる、ウェッヅリャーとの会話とはまた違った雰囲気の気安さに、リヴェレークは伴侶の新たな一面を知った。
(こうしてさまざまな相手に調整を行うのは、なんと器用なことだろう)
和やかな空気は、しかし、頃合いをみて発せられたウェッヅリャーのひと声でぴりと引き締まる。
「では、話を」
「楔の契約の件だったか」
「ええ。やはりこのままでは崩れるのも時間の問題かと」
ウェッヅリャーに指示され蔵の竜だという女性がどこからか書箱を取り出した。契約書が収められていることを示す印以外はリヴェレークにもよくわからない魔法がかけられており、どこか執務室の隠匿方法と似たこの薫りは、蔵の竜によるものなのだろうと推測する。
「担当の妖精姫はとりわけ丈夫だったんじゃなかったか?」
「一族の者との関係が良好ではなかったようです。契約妖精の王族として認められるぎりぎりの魔法しか持たず、皆から疎まれてきたとか。今回も半ば無理やり楔にされた形跡があると、つい先ほど報告がありました」
「頑丈が聞いて呆れるな」
国交や大きな事業にて交わされる契約書には、契約妖精が立ち会う。時が経つにつれて効力を弱める契約を、彼らは育むことで保つことができるのだ。
とりわけ、後世にも失われてはならない特別な契約においては、妖精自身が楔となって契約そのものに囚われ、より強固に結ぶことになっている。この楔の契約を担当するのは契約妖精の王族に限られており、あらゆる害に耐える彼らの頑丈さは人ならざる者のなかでも頭ひとつ抜きん出るほどであると言われていた。
そのようにしてこの商会が仲介した不戦の契約なのだが、予想外に楔の妖精が崩れかけ、契約に綻びが出てしまっているという。
蔵の竜が困ったように首を振った。
「蔵の魔法で囲うにも、本質は保管ですもの。限界がありますわ」
「あなたはひとまず現状維持に努めるように」
「かしこまりました」
「それから楔の契約ではありませんが、以前に担当の契約妖精が損なわれる事態が発生した際は、完全に崩れてしまう前に契約の破棄を行いましたが……」
「そうだったそうだった。けど、今回のはあえて戦を起こすわけにはいかないんだったよな?」
「ああ、あの辺りで興ったばかりの国がもう少し育ってからでないと駄目だ。今は損なえない文化までもが蹂躙される可能性があるからな」
近いうちに契約の更新が控えているが、このままでは更新を待たずに戦が起きかねない。ここにいる者はみな戦に連なる存在だが、むやみやたらと引き起こすことを望んでいるわけではなかった。
(ルフカレドの好む戦火というのは、そういうものなのだ)
ある程度大きくなってからその国が戦火を見ることで、逆にその文化は強固な道を辿るのだという。
ところで、リヴェレークは迷い路に落ちることを趣味としている。
迷い路へ落とされないかと日々読書に勤しみ、迷い路に出会えば隅々まで堪能してきた。いわば達人だ。
厳重な魔法と魔術の施された書箱の中にある、契約書を直接見たわけではない。
(……けれど、おそらくは)
薫りというのは不思議なものだ。五感にも、知識や経験にも紐づくわけではなく、ただ無意識に手繰り寄せたかのようにそこにあった。
それはどれほどに曖昧なものだろう。
だからといって、たしかではないからと放置しておくほど、あるいは確信を得てからにしようとひとりで動くほど、リヴェレークは軽率ではなかった。
(有識者に確認せず動いて取り返しのつかないことになるのは、物語でよくある流れだ)
リヴェレークの持つ知識量は、同じ魔女でさえ到達できない域に達している。それでも、他人を巻き込んではならないからと自分だけで進めようとするのは無謀だ。
ゆえに、話をしようと思う。
機をうかがう彼女の視線に気づいたのか、ルフカレドは穏やかに笑んで首を傾げた。
「リヴェレーク?」
慎重に、正確に伝える必要がある内容だ。
静謐の魔女は、伴侶へそっと影を繋げた。
『その契約は、書の迷い路に変質している可能性があります』
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