3−2 甘い装いと特別な結び

 ユスタッチェ国立書庫を出て、静謐の影渡りを挟めば、そこはもうロッタ国の中央街だ。

 リヴェレークは相変わらずこの場面でしか使用しない、そもそも持ちかたからしておかしい逆さ箒を影の中へしまった。書の迷い路での疲労をほぐすように肩を回しているルフカレドの隣に並ぶ。

「今日はまた一段とおかしな趣向の迷い路だったな」

「芸術系統の書物ではよくあることです。掲載された芸術そのものにも魔法や魔術が込められていることが多いので、ただでさえ揺らいでいる空間がさらに歪められますから」

「なるほどな」

 つまるところ芸術書というのは魔導書と同等の危険を孕んでいるわけであるが、あまり危険視されていないのは書の迷い路との遭遇が一般的ではないからか。

「さっきのドレスにくっついていた絵画たちはどうしたんだ?」

「以前に迷い路で手に入れたのです。実在する絵もあれば、迷い路の限定品もありますよ」

「限定品」

「気になるなら、あとで見せましょう。ちなみに額縁は糸屑拾いが作ってくれました」

 ルフカレドが書の迷い路に同行したがるのは、静謐と戦火、二つの要素を馴染ませるためだという。しかしこのところ、やけに迷い路での装いについて訊ねてくるため、彼の真の目的は糸屑拾いの作品である服を見ることなのではとリヴェレークは考えている。

 とはいえ本人から申し出がない以上はあまり突っ込んではいけないと思うし、できることといえば丁寧に説明をしてやることくらいであった。

「ああ……そうだな。とりあえずクァッレのところへ向かうか」

 書庫からの帰り、夕飯をともにするのも定番になってきた。

 空からは賑やかな陰りがおりてきて、街路樹が葉を落とす手伝いをしていた。

 その下を、ゆっくりと歩いていく。

 レストランのすぐ近くではなく、少し離れたところへ影渡りをするのは、街の季節感を楽しんでからのほうがより食べ物を美味しく感じられるという持論があるリヴェレークの習慣だ。

 雲鳥の子どもらは秋にやんちゃな時期を迎え、誰がいちばん高く飛べるかを競いあう。今年はとくに尾長すじ雲鶏の子が暴れん坊のようで、空模様は絡まりがちであった。

 ちらほらと冬担当の絵描き妖精を見かけるようにもなり、さらに影の増えていく、素敵な変化が見られる日も近いだろう。

 そうしてレストランの前に到着すると、ガチャリと内側から扉が開いた。

「……っと、失礼」

 出てきたのは浅い色彩を持った青年だ。こちらに気づいても驚くことなく軽い会釈をし、すぐ人混みに紛れていった。

「…………純粋な人間に見えたんだが」

「珍しいですね。トーン・クァッレに訊ねてみましょうか」


       *


「恋人なの」

「え」

「は?」

「冗談よ。この前の仕返し」

「仕返しって、リヴェレークはなにをしたんだ……?」

「では、友人でしょうか」

 来店するなり今出てきた青年は誰だと聞いてきた彼女は、古の竜が営むレストランにまさか少しの混じり気もない人間がやってくるとは思わなかったのだろう。

「さ、当ててごらんなさい」

「人間が、ここへ来る理由……」

 聖人の疑問など気にも留めず、いつもの戯れを続ける女性ふたり。

(またしょうもないことを……)

 そう眉間にしわを寄せているのは、秋の夜空へ遅刻しがちな同族を急かす役がすっかり板についてきた冬の明星黒竜である。

「まさか新しい客ではありませんよね」

「そうねえ、客ではないわね」

「ますますわかりません。前にあなたは、純粋な人間は壊れてしまうからと、レストランには入れないと話していたはずです」

「ふふ、じゃあもう正解を言うわよ。彼は見込みのある料理人で、魔術師。私に師事したいと少し前に押しかけてきたの」

「トーン・クァッレが、弟子を……ということは明星の要素を――」

「それはまだよ。服の中にたくさん魔術具を隠し持っていて、それでこの魔法濃度から身を守っているみたい」

 なんとなく同情を覚えたらしいルフカレドに目を向けられ、ヴァヅラは力なく首を振った。

 傍目にはそうでもないように見えても、内心では大いに楽しんでいるのだ。このような状態のクァッレとリヴェレークをとめる術を、あいにくヴァヅラは持ち合わせていない。

「彼はね、儀式としての共食の魔術を、もっと気軽に取り入れられないか研究しているの。レストランでも、料理を決まった順番や配置で出すことによって魔術的な意味を持たせられないかって」

「面白いことを考えますね」

「そうでしょう? 最初のうちはなにを企んでいるんだろうって警戒してたのだけど……でもあまりに真剣に魔法のことを聞いてくるものだから可愛く思えてきちゃって」

 明星黒竜というのは総じて、弱く可愛いものを愛でる習性がある。その方向性には多少の差異こそあれ、季節を冠するクァッレとヴァヅラも例外ではない。

 ヴァヅラはふわふわした小さな妖精をとくに好ましく思うが、クァッレはというとその対象は人間であるらしい。

 ルファイという人間の魔術師の、こんなところが可愛い、あんなところが守りたくなる、と声を弾ませるクァッレの話をリヴェレークが真剣に聞いているようすはなかなかに面白い。

 このようなとき、ヴァヅラは、静謐の魔女がただ俗世を厭っているわけではないのだと安堵に似た気持ちを抱くものだ。

 しかし今はまず、言うべきことがある。

「クァッレ。まずは客を席に案内するようにと、何度言えばわかるのだ」


 少しばかり秋の要素が減った店内に、やわらかな香りの湯気が漂う。

「あれは、恋仲になるのも時間の問題であろうな」

 クァッレを夜空へ送り出し、ヴァヅラは客たちに料理を提供してやっていた。下ごしらえさえきちんとしてあれば、明星黒竜として牧場や農場を扱う彼もまた、それなりの調理が可能なのだ――もっとも、その事実を知る者は限られているが。

 挽き肉や野菜のごろごろ入ったオムレツはリヴェレークの好物だ。初めて食べるという伴侶にソースや付け合わせの説明をしていた彼女は、ヴァヅラの言葉に手をとめる。

「そうなのですか?」

「ルファイのほうはそのようなつもりで接しているわけではないのだろう。だが、クァッレのあれは愛でる対象へ向けるものにしてはいきすぎている」

「もしや、最近デザートが余ったと多めに出してくるのは……」

「あの人間に喜んでもらおうと試行錯誤しているようだな」

「彼女が明星黒竜として他者と関わるところは何度も見てきましたが、より個人的な、特別な関係というのは不思議な気分がします」

 そこで微かに笑んだ静謐の魔女。その凄絶なまでの清さに気を取られ、ヴァヅラは、もうひとりの客がどのような表情をしているのか、見ていなかった。


「デザート、か。そういえばリヴェレーク。この前着ていた菓子でできた服なんだが、あれも糸屑拾いが作ったのか?」

 急に話を振られたリヴェレークはゆっくりと目を瞬いた。ヴァヅラの口も、呆けるように開く。

 連想しただけといえば、たしかにそうなのだろう。しかし明らかに強引な話題転換だ。魔女の興味をこちらから奪うようなその声色は、伴侶としての牽制にしか聞こえなかった。

「あれも、お菓子は迷い路で得たものですよ?」

「糸屑拾いはずいぶんと君を気に入っているようだ」

「たしかに、他のものと組み合わせてまで作ってもらえるのは贅沢なことかもしれません」

「……まあ、精霊だからいいんだろうな」

(無自覚なのか……?)

 はたして夫婦としての仲が育まれているものか、微妙なところだとヴァヅラは思っていた。だが、意外にもルフカレドは、義務感からではなくまっとうな関係を進めていくことに乗り気であるらしい。

 戦火の聖人は派手好きで軟派な男。それが世間一般の認識であったはずだ。

 カウンターの向こうで伴侶が話すのを満足そうに見つめている彼は、いつのまにその無垢な甘さをまとうようになったのだろう。

「もっと昔にはここまでの技術はありませんでした。家族構成を変えながら、彼らも成長しているのでしょう――」

 リヴェレークは、ルフカレドが糸屑拾いの話を聞きたがっていると勘違いしているようだ。彼女の説明は、その意匠や着心地などという自分が身に着けるものとしての視点ではなく、作り手の成り立ちに偏っている。

 それでもこれは、この聖人とともに歩むため、真摯に向き合い続けるひたむきさゆえの語り。

 以前よりも飲む速度があがった彼女のグラスに新しく酒を注いでやりながら、ヴァヅラはそんな古くからの友人を愛しく思う。とはいえそれはどちらかというと父から娘に向けるような慈愛で、けっして聖人が警戒すべきものではない。

 しかし長い付き合いのある友としての目には、リヴェレークはいまひとつ関係性の違いというものを理解していないように――知識としては理解しているが、自分事として当てはめていないように映る。となればルフカレドの警戒もあながち間違いではないともいえるだろう。

 彼女の振る舞いは、友人ヴァヅラに向ける愛情と伴侶ルフカレドに向けるべきものの違いを意識していない証拠。

(私が口を挟むことではないが、ルフカレドが気づかないまま暴走しないか心配ではある)

 クァッレを例に出して、伴侶は友人とは違うものなのだと伝えれば、リヴェレークは理解するだろうか。あるいは理解の及ばない彼女にルフカレドが気づいてくれさえすれば――


「――ルフカレド。わたしの友人に冷たく当たらないでください」

「はは、君の夫は俺なんだがな」

「今さらなにを言っているのでしょう。酔ったのですか?」

 盛大にため息をついた聖人と、首を傾げる魔女。

(なぜこうなるのだ……!)

 秋の夜空を飛ぶ同胞がこの惨状を知れば大笑いするに違いない。


 そもそもヴァヅラがふたりの行く末を気にしているのは、もちろん大事な友人のためでもあるが、それが魔女と聖人の婚姻だからでもある。

 単純に血を交えて繁殖する竜や妖精とは異なり、世界を変質させる力を持っている。彼らの婚姻は、互いの要素を練り、馴染ませ、新たな事象を生むことすらあるもの。

 特別な結びなのだ。

 加えて、二つの要素が離れていればいるほどに交わることは難しくなる。かといって交わらないでいれば要素は安定せず、それこそ崩壊を招きかねない。

 静謐と戦火の結びが真の意味で成れば、広く、そして深く世界が変わりゆくことは確かであった。

(なんにせよ、静謐そのものが壊れるようなことはないはずだ。だが……)

 ただ欲望のまま交わる性急さではいけない。ゆっくりと気持ちをすり合わせるような時間を大事にしなければ、この繊細な魔女は心を損なってしまうだろう。

 意識すれば、褐色の肌のなかでヴァヅラの瞳は青を極めた。

 ふたりの客が揃って息を呑む。

 元来、星とは苛烈な性質を持っているものだ。

 冬の明星黒竜たるヴァヅラもまた、苛烈。静かでありながら鮮やかに夜を灯す彼は、道標として強い成就を引き起こす。

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