第12話引用と解説

 ⒈ちくま学芸文庫 史記Ⅰ史記本記司馬遷 

  小竹文夫・小竹武夫訳 殷本記第三より 引用し要約


紀元前11世紀中頃、殷王朝時代末期。

殷の第30代最後の紂王ちゅうおうは暴君であり民衆に重税を課し、諫言かんげんする者や反対する者を容赦なく処刑した。⒈

一方の周国の文王(紀元前12世紀~紀元前11世紀ごろ)姫昌きしょうは、殷王朝の3つの最高位官職三公さんこうの一人でした。⒉⒊

 姫昌は、五つの徳目(仁・義・礼・智・信)を政治で実践していて、殷王朝の諸侯は姫昌を慕い聖人として崇めて帰順していた。

がしかし紂王は、姫昌に嫉妬した。

姫昌の長男の伯邑考はくゆうこうは、殷王の首都殷墟いんきょに人質として差し出されていた。⒋⒌

紂王は、伯邑考を謀殺した上に姫昌を幽閉し領地である渭河北岸雍州周原しゅうげんを没収した。

姫昌が、捕らえられ幽閉された事を知った諸侯は、紂王に貢物を贈って姫昌を解放してもらうように願い出た。  

 紂王は、姫昌を許し渭河北岸領地を返しまた、新しい領地として雍州渭河南岸付近を与えた。

さらに紂王は、姫昌に河西地域、渭河流域地域、隴西、隴南地域そして雍州、梁州を統括する西伯の爵位を与えた。

姫昌は、帝辛に恭順することを装って、復讐することなく、五つの徳目の政治の実践を渭河北岸の雍州周原で再開した。

こうして、黄河中流域や西方などから多くの民衆が周国に移り住み、人口が増え始めたのです。


 出典 フリー百科事典Wikipedia姫昌⒉

 文王(紀元前12世紀 - 紀元前11世紀ごろ)は、中国殷代末期の周国の君主。姓は姫(き)、諱は昌(しょう)。在世時の爵位から「西伯」「西伯侯」「西伯昌」とも呼ばれる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%8E%8B_(%E5%91%A8)


 出典 フリー百科事典Wikipedia三公(さんこう)⒊

 中国およびその影響を受けた東アジア諸国の前近代の官制において、最高位に位置する3つの官職をいう。その起源は周王朝に始まるといわれる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%AC


 出典 フリー百科事典Wikipedia伯邑考(はくゆうこう)⒋

 周の王族。文王の長男。武王の同母兄にあたる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%AF%E9%82%91%E8%80%83


 出典 フリー百科事典Wikipedia殷墟⒌

 殷墟(いんきょ)は、古代中国殷王朝後期の首都の遺構。河南省安陽市の市街地西北郊、殷都区に位置する。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E5%A2%9F


 出典 フリー百科事典Wikipedia麒麟⒍

 王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%92%E9%BA%9F#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%BA%92%E9%BA%9F

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