4話 兎

 

 村を出て一週間程がっただろうか、俺はまだ森の奥深くにいた。


 夜空を見上げれば見事なまでに月が浩浩こうこうと輝いており、いつもなら焚火たきびをつけていないと自分のてのひらも見えない程真っ暗な森も、今日だけは明るく照らされている。


「腹減ったなぁ……」


 中身のなくなった保存食袋を眺めると思わずため息が漏れる。

 節約しながら食べていた干し肉もさっきのが最後。手元にはもう食料が何もないのだ。要塞都市まではそう遠くないはずだが、このままでは飢え死にしてしまう。


「……餅でもってこないかなぁ」


 ゴロンと寝転ぶと、木々の隙間すきまから顔をのぞかせるお月様と目が合い、腹が空いているせいか中心の黒い部分が、兎が餅つきをしているように見えてしまい自然とそんな言葉が出てきてしまう。……あぁ、村にいた頃に食べたヨモギ餅が懐かしい……。


 誕生日やお祝い事の時には決まって作ってくれたレイヤさん特性のヨモギ餅。

 外はもちもちで柔らかく、中にたっぷりと詰め込まれたあんこはとても甘くて、

口にほおばった瞬間思わず顔がほころんでしまう……いかんいかん思い出したらよだれれてきた。

 頬を伝う涎を服のそでで拭き、再び月に視線を戻すとある違和感に気付く。


「あれ、なんだかさっきより大きくなっているような……?」


 見れば、少し目立つ程度だった月の中の黒い兎が、月食の様に月を覆い隠し始めていた。

 だんだんと広がったそれは、やがて月の黄色い部分を完全に飲み込むと俺の視界を暗闇へと包んでいく。一体何だこれは……。


 腹が減りすぎて自分は幻覚でも見ているのかと目をこすり、辺りを見渡すと暗くなっているのは自分を中心とした周りだけだと気づきハッとする。


「!!」


 間一髪だった。足に全力を込め転がる様に横っ飛びすると、ズドン!! というすさまじい轟音ごうおんが響き、さっきまで俺がいた場所に大きな穴が空いていた。

 幻覚でもなんでもなく黒い兎だと思っていたのは、丁度月と俺の間にいた何かだったのだ。

 それがこっちに向かって飛んできたことにより、段々と俺の視界から月を覆い隠し月食の様に見えたのだろう。


「くそ! 一体何なんだ……」


 ゴロゴロと転がりながらもなんとか体制を整え、クレーターみたいになった穴の方を見据みすえるとぴょこっと兎の様な耳だけが顔を覗かせており、こっちに向かってお辞儀じぎしていた。


 ……おいおいまさかとは思うが月の中に兎がいるというのは本当で、餅が食べたいという俺の願いが通じ、わざわざ届けに来てくれたとでもいうのか? ……バカバカしい、そんなわけあるか。


 それにあのままあの場所に居たら餅を食べるどころか大ケガじゃ済まなかったかもしれない。

 大きく空いた穴の方を見てゾッとしていると、ノソノソと兎の様な耳を生やした何かが這い上がってきた。

 その姿が少しずつ月の下に明るみになるに連れ、俺の表情は戸惑いから驚愕に染まっていく。


 鋭い爪に頭から一本の角を生やした兎。……というよりは熊の様な獣。

 口から見える牙をむき出しにしたかと思うと、全身から黒いオーラを発しその赤い瞳で俺を睨みつけてくる。


「グォォオオオ!!」


「……え?」


 そんな戦意満々の獣とは対照的に、俺の口からは何故かまぬけな声が漏れてしまう。

 それもそのはず、現れた獣の姿は俺の良く知っているリードの親父が変身した姿にそっくりだった。



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