第6話 死者の哲学 ⑦
あるがままを、あるがままに。
恐らく人類史においてここまで特異な歴史を歩んでいる事例はないであろう地下世界に、文明や文化の類が全く持って芽生えてこなかったという訳ではない。
朧気な記憶のままである地上世界の文化や文明を手探りに模倣しながらも、独自のそれらは微弱ではあるものの生まれつつあった。
その中の一つとして数えられる惜別小説というものがある。何故人類が地下世界に引っ込む必要があったのか、そもそも今現在人類が地上で暮らしているのか。
それらの理由について想像し、妄想し、夢想してストーリーを描くものだ。地上へ出る術を探ることはタブー視されているものの、これらのジャンルは一種のフィクション作品として昔から人気のあるものとして根強い。
それらを想像、妄想、夢想の類で堰き止める事で、地上をフィクションとする。故に、惜別小説と呼ばれる。
年間、何百とこの手の作品は媒体を問わず発表されてはいるが、近頃これらの作品に対して奇妙な現象が起きつつある。
というのも、これらのジャンルの中で幾つかの名作と呼ばれるものが聖典のような扱いを受け、熱狂的なファン達が一種の信者のようになりつつあるのである。
要するに、フィクション作品として書かれたそれらの作品を、一つの真実として受け止め、その作品の中から教訓を受けようとしているのである。
地下世界に明確な宗教はない。
婚姻式も葬儀も、全て朧気な記憶を紡ぎ合わせて模倣したパッチワークのようなもので、そこに何かしらの信仰心がある訳でもなく、そういう事をするべきであると、形骸的に考えているだけだ。
そういう事実を鑑みると、彼ら惜別小説フリークともいうべき彼らは、地下世界において史上初である宗教を生み出しつつある。
と、興奮気味に目の前の男は語る。
俺は苦笑しながらも、その男の手に持つ小説に目をやる。
『グランドリオ』。
古典の惜別小説だ。
確か、何度か映画化もされているし、遠い昔に読んだ記憶もある。
「そ、それにしたって……。わざわざ護民官が、ぼ、僕を訪ねてくるということは、やはり、瀬木先生の説は正しかった、という訳ですかな?」
山野辺敬介。
今俺の前にいる男の名前がそれで、惜別小説フリークの間では有名人らしい。余程のマニアのようで、彼の自宅は惜別小説で埋まっているという話すらもある。
メガネの奥から興奮したような色が見える。
「いえ……。ただ、ネットの書き込みで気になることがあってな。アンタなら知ってるだろうと訊ねただけだ」
「阿方殿のご子息が訪問してくれるなんて、ははは、仲間に自慢できるな。そ、それで、聞きたいこととは?」
「待て、アンタは俺の親父を?」
「世の中の真実を探究するために、受領壁の奥へ行った探索隊は、我々にとって英雄ですよ。微村先生の著作だと、あの崖の上は地上に繋がる場所である、と断言されてるし」
「……はぁ。そういうことか。まぁいい。それで聴きたいことは、一つだ。鐘楼塔について、書かれている惜別小説はあるか?出来れば200年程前の作品があればいいんだが」
「……鐘楼塔ですかな?確かにあれは市政の始まりから建っていたと聴きますが……あれを主題に置いた惜別小説は少ないですな。7、80年前に流行った文化影響派の説だと、あの鐘楼塔こそこの街が地下世界に造られたのではなく、地上世界にあったこの都市が地盤沈下で地下に沈んだ証拠だと言ってましたな」
山野辺は顎の肉を揺らしながら笑う。
脂ぎった顔を手の甲で拭いながら、何が面白いのか甲高い声で笑い続けた後、鞄から端末を取り出す。
「そんな荒唐無稽な説はどうでもいいんだが」
「ははは。荒唐無稽。確かに荒唐無稽ですよ。ですが、我々惜別小説フリークは、そういう荒唐無稽を好むのもまた事実。現実離れした荒唐無稽さを、もっと粗雑な設定で無理矢理こじつけるのがいいのですよ。その中に、真実の一片が隠れているのだと、信じていますから」
「で、そういう惜別小説は?」
「……あるには、ありますよ。そりゃ、何千何万とこれまで作られ続けてきたジャンルですから」
山野辺は幾つかの作品を諳んじる。
聞いたことある作品名はひとつもなく、そのどれもがマイナーな作品であることは理解出来たが、俺の目当ての名前は出てこない。
公文書館から戻った俺は、資料についての結果を賢木に報告すると、五十嵐から連絡があった。
足柄紡の端末から、とある一つの惜別小説について検索していた結果があったという話だ。
それも約半年にわたって、それを入手出来る方法を探し続けていたらしい。
ネット上の情報では200年前近くに発行されたもので、鐘楼塔を主題に置いた惜別小説ということしか書かれていない。
著者も不明で、現存しているかどうかも不明である。そもそも、それについて書かれたネットのページも、十数年前のオークションサイトのキャッシュのみであった。
それを半年の間、探し続けていたという。
五十嵐はその情熱と、鐘楼塔という殺害現場に程近い建造物から何かあると踏んだらしい。
彼なりの刑事の勘、という奴なのだろう。
俺はその線を調査することにして、賢木から山野辺を紹介してもらった。
僅か三時間前には聞いたことすらなかった作品名を、今こうして探しているという事実に護民官という職業の節操の無さに俺はため息をつく。
「——ああ、それから『空を騙る』って作品もありましたな」
「ちょっと待て、空を騙るって言ったか?」
「え、ええ。200部も売れなかったマイナー小説です。あまりに現実的過ぎて、私としても駄作としか思えませんが」
「それを持ってるか?」
「……家に戻れば、多分。探すのに少し時間掛かりますけど」
「それでいい。見つかったら連絡をくれるか?」
俺はタバコを灰皿に押し付けて、席を立とうとする。
山野辺の分のコーヒー代をテーブルの上に置くと、それを遮るように山野辺は立ち上がった。
「か、代わりといってはなんですけど……、交換条件が……!」
「金か?ある程度なら賢木の方から出せるが」
「あ、いえ!こう見えても私、大学教授ですからお金には困ってませんよ。そうではなくて、阿方さん、新市街調査に行かれたんですよね?そこら辺のお話を是非」
「……ははは。そうか、アレも一つの隠された真実だもんな。そりゃ、惜別小説フリークは知りたがるか」
「ええ!大御所も新人も、今は皆新市街をモチーフにした惜別小説を執筆し始めてますから。お話ししてくれるのなら、明日にはお渡ししますよ」
「ま、緘口令は敷かれているが、話せる部分ならな。じゃあ、頼んだぞ」
「ええ」
と、俺は今度こそ店の扉を開く。
すっかり夜半となった店外だったが、それでも人通りは多い。
そうか、明日は祝日だったな、と思っていると、またもや山野辺が慌てた様子で店から出てきた。
「今度はなんだ?」
「一つだけ、思い出したことがあるんです。空を騙る、その小説は一貫して一つの語句を繰り返してるんです」
「それは?」
「——あるがままを、あるがままに」
山野辺は何が面白いのか、また俺には理解出来ないままに、笑う。
「この言葉は、我々惜別小説マニアの間の合言葉のようなものです。真実は隠されるべきではない、そういう言葉ですな」
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