第6話 死者の哲学 ⑧

 死者は雄弁家で、非常に饒舌だ。

 その死が自然死でない、人の手によるものならば尚更である。

 阿方の報告と鼎との会話を整理してから、深く思考の海に沈むと、予感でも予想でも無く、紡が殺された理由が単なる個人の諍い程度では無いということが分かる。

 問題は紡が何を探り、何をしようとしていたのか、では無く、タイミングだ。

 市長選の二ヶ月前、あるいは、新市街発見の三日前。

(……受領壁から空が降りてくる、一日前)

 これらは偶然なのか?

 全てに関係するとまでは言わないが、これら特異な事象のタイミングと何か関係しているのでは無いか。

 特に新市街の発見には大きく関わっている可能性は高い。今川食糧公社という、空鳴市きっての公的企業を中心に、新市街で起きた事件と紡の事件は細い繋がりを保っているからだ。



「今日は——雨だったか」

 頭の中で情報を整理していると、窓を打つ音が聞こえた。

 阿方は山野辺から借り受けた惜別小説を静かに読んでいる。

 空の方は、武市棗と何やら端末のゲームで遊んでいるようだ。

 武市棗は、何か父の死について進展があったのかと尋ねてきたらしいが、空の遊び相手をしてもらっているので助かっている。

 全く進展がない訳では無いが、彼女に話せるようなことが少ないのが気の毒だが。

 少し頭を整理するためにコーヒーを飲むか、と席を立ち上がった時、「空を騙る」という名の惜別小説を読んでいた阿方が、目配せをする。

 何か気付いたことがあるらしい。

 自然に給湯室へ行くのを装って、彼女達に声の届かない場所まで移動すると、阿方も着いてきた。

「……何か分かったのか?」

「ああ……。この小説は実在する空鳴市を舞台にしたフィクションだが、それ故に、おかしいところがある」

 阿方は珍しく興奮した様子だ。まさか、今しがた読んでいた惜別小説がおもしろかったという理由ではあるまい。

「この小説だと、『鐘楼塔の地下室は受領壁からの物資を保存する場所として有名であり、その地下室は空鳴市の歴史を知る上での史料として見学が可能である』——200年前の小説がこう書いてあるんだ。おかしいだろ?」

 中に保存されていた物資は、野勢護民官によると150年前に移送申請がされていたらしい。彼が指摘した矛盾——つまり、移送申請先が記述されていないことと、250年前の文化財保護申請の資料に記載されていた蝶番の不具合による開閉不可という報告——も確かに、公文書館で確認出来た。

 単なる手違いか、それとも何かしらの真実が隠されているのか。

「ああ……確かにおかしいな。だが、それはフィクションだ」

「フィクションだからこそ、現実と異なる部分にはそれなりの記述をするはずだ。なのに、さも当たり前のようにこう書いているんだぜ?」

「いや、そこは疑ってないさ。恐らく、その小説の出版当初は、本当にその扉は開いていたんだろう。だが、そんなフィクション小説を証拠に文化財指定されている鐘楼塔の地下格納庫の扉を無理やり開ける許可は降りんだろう」

 ……とはいえ、紡が死の直前までその小説を探し求めていたのは事実だ。

 私としては、そういう些細なものでは無く、もっと大きなものがあると、感じていた。

「その小説のストーリーは?」

「……?ああ。実は鐘楼塔は地下の各都市に存在していて、この塔こそ地下市民を監視する装置、っていうオチだ。惜別小説のジャンルの中じゃ使い古された、地下市民の正体は罪人だったっていうありきたりのものだったよ」

「案外、そのストーリー通りだったりしてな」

 紡は何を求めていたのか。

 考えを巡らせても、旧友の紡の思考へと辿り着けない。

 まだ何か足りないピースがあるのだろうか。


 足柄紡は職場である今川食糧公社からの帰り道に殺された。殺害現場は鐘楼塔の近くで、その付近を警邏するドローンはその現場付近になると謎の不調により、映像を残すことがなかった。

 その足柄紡は殺される直前に、黒江先生を経由して私宛に今川食糧公社の資料を託した。その殆どは、歴史的価値はあるものの資料としてはありきたりなものばかり。

 だが、今川食糧公社の資料、という点であるならば、武市護民官の死後、わざわざ白河議員が足を運び彼の書斎から持ち出したという新市街を巡る事件との関連性もある。

 そして足柄紡は、来栖ファミリーの首魁である来栖桃花と何かを画策していた形跡があり、その来栖桃花の師である法道宗光は、私の警護という理由で、菱川を護衛につけ新市街調査に同行させた。

(全てが細く、薄い糸で繋がっている……?)

 いや、そもそもの始まりは。

 空を見る。

(受領壁から彼女が来たこと。それはすなわち、受領壁の上には、人間がいるという証左だ)

 だが、受領壁の上に行った調査隊は誰一人として戻ってこなかった。



(今川食糧公社と鐘楼塔、か……)


 足柄紡が今川食糧公社に就職が決まった日のことを思い出す。私も紡も鼎も、誰が言い出したのかは最早覚えてないだろうけど、紡の新しい職場である今川食糧公社を見学しにいった。

 印象的なのは、紡が今川食糧公社の近くに建っている鐘楼塔を見て懐かしむように目を細めていた光景だ。

『こんなに近いもんなんだな』

 そこから僅か200mも離れていない今川食糧公社への道すがら、鼎が言う。

『どっちも市政初期時代の重要建造物だからかな、なんか初等部の頃に習った歴史の授業を思い出すよ』

 と紡は笑う。

 たった8年前の記憶だ。

 それを思い出した私は、懐かしむよりも、その記憶にこびり付いた映像に違和感を覚える。

 違和感の正体は……。



「阿方」

「……何か思い付いたのか?」

「足柄紡の今川食糧公社から殺害現場迄の足取りを追えるか確認出来るか?」

「……映像は、食糧公社の建屋から出るところをロビーに設置された監視カメラでしか捉えられていない。そこから鐘楼塔までは、目と鼻の先だ、足取りと言っても精々200m程度歩いたくらいだろ?」

「だが、その監視カメラの映像だと、私に宛てた資料を入れた封筒を持っていたはずだ。だが、食糧公社から鐘楼塔までの道に、郵便差出箱は無い」

 そう、郵便差出箱、つまりポストはあの付近には無いのだ。郵便物も多く、社員も多い今川食糧公社の敷地内にそれがあるからだ。


「——紡はどこであの資料を投函した?」


 つまり、それを投函した郵便差出箱のあるルートこそが、生前の紡が通った真の道筋ということになる。

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