第6話 死者の哲学 ⑤

 或いは、それを恐怖と呼ぶ。

 そこに都合不都合の差異は無い。あるのは時間の長短のみだ。

 真実を詳らかにすることへの恐怖は、その時間的距離の違いによってのみ左右される。

 長年目を逸らし続けてきた地下世界の真実は、そういう種類の恐怖が伴って、人々の心を硬直させている。

 長年封されていたものだから、それだけの理由が、その存在すら疑わしい恐怖に慄いているのだ。

 だからこそ、私はその恐怖に立ち向かうと決めていた。それは恐怖なんかではなく、幸福への道筋なのだと示す様に。

 秘め事の開示に恐怖するのは、その真実が秘められる間の既得権益を貪る連中なのだと。

 そう信じていた。


 今川糧食公社。

 官製の食品会社であり、空鳴市最古の企業でもある。市政の始まりからその大規模食品生産工場は存在していたと伝えられ、かつては市民の食卓の全てを担っていた。

 併設されている農業プラントから収穫された作物を全自動で生産ラインに載せていく機構があり、そこで作られる数種の食品は全て農業プラントで収穫された大豆・トウモロコシ・小麦によって作られている。

 稼働予定なのか、それとも我々に道を指し示すためなのか、その工場地下には数千種に及ぶ食物の種とその生産方法がまとめられた備蓄庫があり、それらから再現された地上の食物達が今の我々の食卓の主役になって久しい。

 かつての市有企業であった今川糧食公社だが、今現在は民間企業として扱われている。

 だが事実として、市民にとっては懐かしくもあり古臭くもある変わり映えのしない製品を作り続ける今川糧食公社の負債が運営維持にまで影響を及ぼす金額になった際には、空鳴市の財源から特別補助金として拠出された歴史もあり、事実的には市営企業の側面が強く存在する。

 紡は、そこの生産ライン計画の業務に携わる傍ら、貧民層向けの高栄養価で低価格の食品開発の研究をしていた筈だ。

 彼女が殺される直前、私宛に黒江元市長の元へと送付した数々の資料——自身の命の狙われる理由がそこにあるのだと言わんばかりの資料に再び目を通しても、やはり私にはそこに原因を見出せずにいた。


 今川糧食公社は自社社員が帰宅途中で殺害された事件については、特に声明を出しておらず、一方で捜査進展の無い状況に対しては、市民の視線が新市街へ向いたために、現状、足柄紡殺害事件への世間からの注目は低く、その所為もあってか私が献花に訪れても、人の姿はあまり見えなかった。

「まさかお前が、こんなに早く亡くなるなんてなぁ」

 松永派閥が糧食公社関連で請け負った職務履歴を辿る業務の途中、私は気まぐれに献花すること思いついた。かつては地上で咲き誇っていたらしい花を模した造花だが、それでもこうして死者への手向けに花を贈るという文化自体が、間違いなく地続きの歴史があるのだという証明のような気がしていた。

「学生時代、いつか酔った勢いで話したことがあったな。空鳴市が隠している何かを突き止めて見せる、と」

 今はもう懐かしい思い出だ。幼い頃に抱いた好奇心と恐怖心の混合物が、私の原点だと、そう語った懐かしい日々。

 あの頃の日々、そうまだ世の中を知らない学徒だった私の横には、足柄紡と——そして、

「……なんだか、久しぶりに顔を見たな」

「出不精のアンタが、わざわざ紡を弔いに来るとはね、鼎」

 もう一人、神津鼎こうづかなえが居た。


 肩まで伸びた髪を掻き上げながら、鼎は献花台に造花を捧げると、数秒にも満たない時間、目を閉じた。

 鼎は鼎なりに紡へ伝えたいことがあるようで、振り向いた時には何処かすっきりした様な顔をしていた。

 目頭には僅かに光るものがあり、少しばかり涙で滲んだようだ。

「半年ぶりかな、久しぶり道枝」

「ははっ……。もう、私を道枝と呼ぶ人間は鼎しかいなくなってしまったな」

「寂しい人生だねぇ。とっとと男の一人でも捕まえなよ」

 言いながら鼎は懐からタバコを取り出す。つられて私もタバコを口に含むと、何やら妙な寂寥感が表出した。

「私達がタバコを吸うと、紡はいつも嫌な顔をしていたな」

「あの顔を見れないとなると、寂しいもんだ」

「……で、道枝んとこじゃ、どこまで掴んでる?」

「……紡の事件か?」

「私のとこの部下が捜査してるとこに、アンタの所の後輩が来たらしいな。護民官が首を突っ込むとなると、大抵は誰かの依頼だろうけど……あの初動の速さ、紡の遺族が警察の正式な発表を待たずに依頼したとも考え難い。つまるところ、お前が個人的に動いたってことなんだろ?」

 中央犯罪情報局の課長職である神津鼎なので、当然私の動きが把握されているのは予想していた。

 だが、彼女は第一課の課長である。いつか、阿方が報告した五十嵐とやらは、彼女の部下になるということは、突然第一課になる。

 私はその違和感に気付かずに、口を開きかけるが、思い止まる。

「……待て、紡の事件、お前の部署が担当してるのか?中央犯罪情報局は、アレを政治事件だと捉えている……?」

「ふふん。担当刑事の所属の確認を怠るなんて手落ちだな。無論、お前も阿方とかいう後輩も」

 何処か得意気に口角を上げる鼎は、紫煙を吐き出す。

「ドローンの一件で、中央犯罪情報局が駆り出されたと、本当に思っているのか?」

「……何を掴んでいる?」

「……私達が掴んでいるのは、アレが個人的な私怨による反抗じゃ無い、ということだ」

「……どういうことだ?」

「紡の自宅端末に残る通信履歴には、幾度も来栖桃花とやり取りした痕跡が残っていた」

「来栖ファミリーの首魁か……。紡が何故、あの地下組織と?」

「分からん。分からない、が、どうにもとある議員事務所に忍び込んで何かしらの資料を盗み出す算段を来栖と計画していたらしい」

「資料……?」

 まさか、例の資料だというのだろうか。

 だが、あの程度の資料ならば、議員事務所ではなく、それこそ食糧公社の資料室に眠っているのが自然な筈だ。

「さてな、それは分からん。私は元々、そのとある議員——白河議員からの訴えでその窃盗犯の捜査に当たっていたんだが、まさか紡が犯人とはな」

 あの資料は元々白河議員が持っていた……?

 そうなるといよいよ理解が及ばない。

 あの資料が白河議員にとって何かしらのメリットになり得る情報があったというのか。

 或いは……

(あれが公の場に出るとマズイことになるのか)

「ここからは私の見解だが……。もしかしたら、紡は触れてはいけない何かに触れてしまったのかもしれないな」

「……白河議員が、その触れてはいけない何かを抱えている、と?」

「いや……松永派閥、もしかすると今の政府が、かもな」

 鼎はタバコを吸い終えると、携帯灰皿に吸い殻を放り込む。

「まさか、綾田市長も関与してる、と?」

 政府の長が殺人事件に関与しているとなると、過去に類を見ない政治事件だ。政治の長が、私怨で犯罪を犯すなど考え難いからだ。自ずとそこに何かしらの政治的やり取りの何かが出て来る。

 そこに、血が流れた経緯があるとなると、癒着どうこうの話では無い。

(下手を打てば、今の政体そのものが崩壊するぞ……)

 私は僅かに震えながら、鼎を見る。

 彼女はすでに踵を返している。

 もう伝えることはないと、言わんばかりだ。


「鼎」

「うん?」

「中央犯罪情報局は、何か思惑を持っているか?」

「道枝にしては直球勝負だな。ははは。一つ言わせてもらうとするなら、今の局長は現場から叩き上げの珍しい人だ。それこそ、今の都市体制が崩れようと、不正を許すことはないだろう。ま、その所為で、議員連中からは煙たがられているがね」

「……そうか」

 それはそれで厄介な人間だ。


 そろそろ阿方が資料庫からデータを持って来る頃合いだろう。

 私はそれを期待して、阿方の端末に連絡を飛ばす。返事が返って来るのが先か、それとも私のタバコが燃え尽きるのが先か。

 そんな事を思案しながら、紡に献花された花達を眺めていた。

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