第6話 死者の哲学 ③

「……どういうこった?」

 あの新市街調査の後、俺は地下街区に身を潜めて法道からの連絡を待つ俺の元にやって来たのは、柳沢と名乗る男だった。

 そいつは妙に青白い肌をした、不気味な長身の男だった。肉体労働なんかとは縁の無さそうな、病的なまでに細い身体をしていた。

「法道さんは、アンタを信頼して、この街に留めておきたいらしい。この街で引き続き、賢木の護衛をしろだとさ」

「おいおい、待てよ。今回の件が終われば、俺を市街へと逃してくれるって条件は?」

「……違約金として、事前に通達した金額の三倍は手渡している筈だ」

「んなもん、金があったって捕まっちまったら元も子もねぇだろ!」

 裏切られた、というよりは騙されたという感覚が強く出る。その感覚は、元より信用はしてても信頼はしていなかったという心の現れだろうか。

 口では文句を怒鳴りつつも、あの法道なら何とかできるだけの手筈は整えていると、現実的な思考も働いていた。

 実際問題として、刑務所の中から護衛なんて出来る筈も無いしな。

「それについては、法道さんが既に手を打ってある。来栖桃花がアンタを責任もって保護するそうだ」

「来栖……?」

 法道が志した貧民街区の革命の意思は、その挫折後も幾つかの派閥に分かれながらも継承された。

 その中でも三大組織ともいうべき地下組織が今現在の貧民街区を牛耳っている。

 走狗党、木津組、そして来栖ファミリー。

 そのファミリーの長であり、構成員からはママと呼ばれ敬愛されているのが来栖桃花である。

 三大組織の中では一番法道の意思を純粋に受け継いでいる印象ではあったが、未だに法道との繋がりがあることに俺は驚いた。

「……運が良いよ、アンタは」

「どういう意味だよ」

 俺が来栖桃花について思案していると、柳沢は心の底から本当にそう思っているかのような声色で言う。

 皮肉には聞こえないが、それでも僅かに苛立つ俺は刺々しく聞き返す。

「会えば分かるさ、来栖桃花にな」

「……」


 ◇


 仕方が無いので、来栖ファミリーの根城とも言うべき波庭区へと足を運ぶ。

 既に話は通っているらしいので、素直に正面切って会うことにする。

 吉野川マンション。

 8階建の全60室を誇る巨大な建物だ。

 元は地下街区拡張工事の際に工夫達に割り当てられた炊事場兼宿泊施設であった建物を改装し居住施設にしたものだが、今では来栖ファミリーの構成員達が全室を住居登録しているため、来栖ファミリーの城といっても過言では無い。

 全ての土地は公共資産として市議会に厳しく規制されている為、厳密には彼らの私物という訳では無いが、事業所登録の出来ない彼らは住居登録することで無理矢理根城を作り上げている。

 吉野川マンションを見上げていると、エントランスからファミリーの構成員らしき強面の男が俺の方へと近寄る。

「菱川だな?ママが待ってる、ついて来い」

「……分かった」

 男のについていくと、そのマンションの内部がファミリーの手によって好き勝手に改築されていることがすぐ分かった。

 恐らくはワンルームか、それに近しい部屋が並んでいるだけのフロアの筈が、部屋を全てぶち抜き、だだっ広い空間が目に入る。

 エレベーターに乗り、最上階である七階もそれは殆ど同様で、幾つか機能的に利便性が高そうな部分の内壁だけは残している様だが、そこに居住空間としての機能性は失われて久しいのだろう。

「随分と良い暮らしをしてるみたいだな」

 案内の最中、安っぽいグレースーツに身を包んだ男に話しかけるが、男は俺を一瞥しただけで会話は成立しなかった。

 通されたのは応接間と書かれた木製のドアの先だった。堅苦しそうな革張りのソファと煙草盆の置かれたローテーブルしかない狭苦しい部屋だ。

 既に来栖桃花はそこに座っている。桃花などという可憐な名前からは想像のつかない三白眼が俺を一度見ると、僅かに彼女は頬を緩ませた。

 老練ではあるが、小狡い印象の無い女性ではあったが、それはあくまで世間の風聞の話だ。

 直接眼前にすると、そんな些細な印象はどこかへ吹き飛んでしまう。

 巨魁。

 その一言のみが彼女を表すのに相応しい言葉だろう。纏う雰囲気は異様で、異常だ。

「法道から久しぶりに連絡があったと思えば……、アンタみたいな野良犬の保護を頼まれるとはねぇ」

「そこについては、俺も異論があるがな。本来なら今頃俺は長嶺市で羽根を伸ばしていた筈なんだが」

 確か齢は50前後だった筈だが……。そんな年齢を感じさせない若々しさは、彼女がこれまでの人生で幾度となく行われてきた闘争の作用なのだろうか。

 今尚、表立って貧民街区の住人達の権利拡大を掲げて活動しているのは来栖ファミリーのみであるし、毎週日曜日に行われる貧民達への炊き出しや親を失った貧しい子供達の保護活動を行っているのも来栖ファミリーが中心だ。

(ま、その活動資金を得る為にエゲツないことをしてるっていう噂もあるが)

 故に、ママと呼ばれ慈愛の象徴かの如く尊敬されている彼女だが、一方で貧困層を牽引して議事堂前でデモ活動を行ったり、時には頻発する暴動を裏で仕切っているのも事実だ。

「まぁ、アンタからすりゃ、厄介ごとが舞い込んだだけだよな。そこは素直に謝罪しておくよ」

「……元々、アンタには興味があったから別にそれはいいんだ。空鳴市で唯一銃と対峙した男……いや、正確には銃を持った人間とまともに争った男、とでも言えばいいのかね」

「どこ行っても、そんな悪評がついて回るから、俺は嫌なんだけどな」

「なかなか面白い坊やだ。恩人の頼みということもあるし、私もアンタに頼みたい仕事が幾つもある。アンタは今日からアタシ達の家族だ。来栖の名前に賭けて、アタシの目の黒い内は、菱川に手を出させないよう保護してやるよ」

 頼みたい仕事、ねぇ……。

 俺は腹の中でそんな言葉を反芻しながら、来栖桃花を見る。

「何から何まで、心遣い感謝します、ママ」


 俺は恭しく謝辞を述べると、来栖桃花の後方の扉が控えめにノックされる。

 ノックの主は来栖の返事を待たずに扉を開けて、何やら彼女に耳打ちをしていた。

 俺は今しがた入室してきた女性の顔に見覚えがあった。

 監視カメラの映像で見た、走狗党から取引に使われるブツを盗み出した女である。


(走狗党の連中から銃を盗み出したのは、来栖ファミリーだった……?)

 法道の認知していない銃が空鳴市に入り込み、走狗党がそれを受け取る予定であった。

(そこまでは、なんとなく予想がついていた)

 だが、それを妨害したのが来栖ファミリーということになる。

 どちらも、法道の意志を継いでいると言われる二つの反社会組織。

 木津組は元々そんな大層なお題目を掲げて活動はしていないが。少なくとも来栖ファミリーと走狗党の二つは法道の名前を利用して、貧困層からの支持を得ている。

(ここまでの状況を見るに、来栖ファミリーは未だに法道の手足であるが……)

 既に走狗党は法道を見限り、好き勝手に活動している可能性が高い、ということになる。

 寧ろ、

「飼い犬に手を噛まれた、って訳か……」


 そうなってくると、自ずと来栖桃花の依頼したい仕事というのもなんとなく予想ができる。

 走狗党のメンバー以外で、党内部に顔が効く人間ってのは、そう多くはないからな。


 俺の呟きを聞いた来栖桃花は、殆ど分からないような僅かな表情の変化のみで、俺の皮肉を理解していると伝えた。

 厄介なオバサンだ。

 俺は口に出さずに、苦笑しながら出されたコーヒーを口に含んだ。

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