第6話 死者の哲学 ②

「武市清蔵は、この空鳴市という街に多大な恩恵を齎した、我々の友人であります。彼は護民官という職を選択し、愛する家族と市民と——そしてこの街を護り導いて来た良き父親でもありました。

 彼はもはや、飢えることもなく、渇くこともありません。なぜなら、この地下の世界より遥かに自由で広がりのある世界に、全てが満ち足りた神の座す場所へと向かわれたのだからです」

 牧師が言い終え、遺札を彼の一人娘である武市棗の首に掛けると、堰を切ったように彼女は声をあげて泣く。

 崩れ落ちるようにして、武市護民官の妻も娘を抱き寄せながら泣き伏す姿に。参列した者達は気まずそうに目を伏せる。

「やれやれ……。気が滅入るな、これは」

 俺の隣で牧師の祈りの言葉を聴いていた賢木が、珍しく苦虫を噛み潰したような表情だ。

「市議会は?」

「混乱してるよ。何せ、空鳴市きっての英雄的護民官であった武市護民官とその部下瀬名護民官が二人して秘密裏に拳銃を所持していたのだからな。それだけでも、未曾有の大事件だ。その二人が、新市街調査の最中、撃ち合い、二人とも死亡したんだ。寧ろ混乱しない方がおかしい」

「新市街のニュースは一気にスキャンダルに変わっちまったな」

 空鳴市では、その余剰面積の少なさから墓地というものは存在しない。あるのは遺骨を加工して作られた掌サイズに収まる遺札のみであり、残る遺体は約二ヶ月をかけて微生物の仕事に任せ、堆肥に変わる。

 現実的な事情が、魂や死者への礼拝という儀礼的なプロセスを冒涜しているようにも思えるが、遺族への慰めが遺札という形で残る限り、我々はそれを受け入れなければならない。

 長年の間、空鳴市で続くこの葬儀に対して、虚しさを感じてしまうのは、恐らく俺の親父は慰霊碑という形で墓に近いものを建ててもらっているからこその感想なのだろう。

 どこかボーッとしながら、そんなことを考えていると、喪服姿の若い男がこちらに近づいてくるのを目の端で捉えた。

 振り返ると、野勢護民官が死者を悼み悲壮な雰囲気を漂わせている人垣から抜け出て俺の方へと向かって来ていた。

「どうにも葬儀は暗くて好きになれませんね」

「まぁ、遺族が明るく迎え出せるような葬儀は稀でしょうね」

「はははっ。まぁ、僕はそうありたいものですよ」

 爽やかな笑顔だ。

 とはいえ、野勢護民官という人間の若い野望のような物を、つい先日の新市街調査で僅かに感じ取っていた俺はあくまで対外的な笑みを崩さぬように心がけた。

 どうやら賢木も他の護民官に捕まっているようで、真剣な面持ちで何かを話し合っている。

 それに比べると、いくら付き合いで出席した葬儀とは言え、野勢護民官は気楽な表情である。

「野勢護民官は、今回の件、どう見てます?」

「やだなぁ、阿方さん。同い年の護民官同士もっと仲良くしましょうよ。ね?」

「……まぁ、別に構わないが……」

 ニコニコとした笑みを崩さずにそう言う野勢護民官に、俺は含みを込めて砕けた口調で答える。

 今回の件で何か関係があるとは思えないが、俺はあの調査の時に見せた表情から、多少の警戒はしていた。

「そういえば、野勢は何で俺のことを?」

 と言ったのは、俺が阿方謙三の子供だという事を知っていた件のことを思い出したからだが、本当のところは、共通の話題も思いつかなかったので場繋ぎ的な会話のきっかけに過ぎなかった。

「…単純な話です。僕は受領壁に興味がありましてね。その決死調査隊とも言うべきメンバーのことも、今担当している護民官のことも調べたからですよ」

「……あんな古ぼけた骨董品に?」

「一人くらい、あれに興味を持つ人間がいたって良いでしょう?アレはこの町で唯一の外の世界と接触している存在です。その為、昔からアレに運ばれてくる物資の管理はかなり厳重に行われて来ました。今、貴方の業務でもある、物資のリストアップは勿論、どれだけの数がこの街に届いて、それらが何処にどれだけ運ばれて、どれだけの数が実際に使用され、期限を過ぎてどの程度廃棄されたか。それは一つの差異無く正確に管理され続けています」

「……そのリストまで見たって言うのか……。並々ならない興味だな、そりゃ」

 確か、あの手のリストは公共福祉物資という名前で、物資名簿は分厚い書類束になって公文書館の地下書架に並んでいるので、申請さえすれば誰でも見れるものだ。

「ええ、よく言われますよ。変わってるって。ああ、そうそう、それで一つ気になってることがあるんですよ」

「……?」

「昔使われていた保管庫。鐘楼塔の地下格納庫でしたっけ?あそこに保存されていた物資まるまる、150年前に全て移送されているんですよ。なのに、肝心の移送先が申請されていないんです。何か知ってますか?」

「……廃棄申請と間違えたんじゃないのか?」

「ははは……まぁ、そんなところでしょうね」

 野勢は如何にも演技くさい笑い声を上げてから、僅かに顔を近づけた。

 同性で同年齢でもあるというのに、思わずドキッとしてしまうほどの端正的な顔が少し妬ましいくらいだ。

「ですが、あそこは、250年前の文化財保護法の申請が出された時点で、扉の蝶番の不調で開閉不可、と備考に書かれているんですよ?——これって、不思議ですよね?」

「……おい、野勢、お前……」

 まさか、コイツは俺が鐘楼塔に関わる事件の調査をしていることも掴んでいるとでもいうのか。

 警戒を緩め過ぎた、と睨みつけるように野勢を見ると、また先程までのヘラヘラした表情に変わった野勢が両手をヒラヒラさせて数歩退いた。

「僕からのヒントはここまでです。また、落ち着いたらお話でもしましょうよ」

「いいや……、アンタが何を考えて、何のために俺のことを調べてるのか、今ここで聞きたいものだな」

 と、俺は詰め寄るが、能勢はヘラヘラ笑う顔を崩さずに俺の後ろを指さした。

「ほら、僕になんか構わずに。貴方の教え子が待ってますよ?」

「教え子……?」

 口車に乗せられて振り返ると、そこには武市棗が俺の方へと歩いてくるのが見えた。

 そういや、武市の相談から、今回の件は全て始まったんだな、と思うと前回の政治学の授業が急に懐かしくなる。

 どうやら野勢は俺に何も言う気は無いらしく、俺が振り向いた隙にそそくさとどこへ去ってしまった。

 俺は溜息を吐きつつ、武市の方へと向き直る。

「先生……来てくれてありがとうございます」

「いや、俺もあの現場にいた人間の一人だからな。こんな事態になったのを防げず申し訳無かった」

「いえ、そんな……」

「お前はまだ子供だからな、無理する必要はないぞ。今回の件で多分多くの心無い言葉が降りかかるだろうが、少なくともお前の親父さんは立派な護民官であることは間違いない。世間を揺るがしている疑惑が、仮に疑惑で終わらなかったとしても、過去の功績全てが嘘になるわけじゃないしな」

 早くもマスコミは、今回の事件に関して多くの記事を重ね始めている。瀬名護民官の方が今のところバッシングは酷いが、その上司であり、少なくとも瀬名護民官に対しては確実に使われたであろう銃を所持していたのも確実なため、武市護民官の方に視線が向くのも時間の問題だろう。

「……それからな、お前が俺に警告してくれた件については、口外しないで欲しい」

「父が、賢木護民官を始末する、という話、ですよね……?」

「正直なところ、武市護民官にはその素振りが見られなかった。銃は確かに持っていた、が、それが賢木に向けるような意図は無かった」

 それは目の前の女の子に対する慰めのような言葉に聞こえるかもしれない。だが、事実として俺個人は武市護民官が賢木を始末するようには見えなかったのだ。

(元々そういう計画だったが、急遽変更したのか……。それとも、自衛のために、持ち込んだのか)

「あの……、もし、お時間があれば、明日か、明後日辺り。賢木さんの事務所に伺ってもよろしいですか?」

「……まぁ、構わないが」

「瀬名護民官は現場で自殺した、と聞き及んでます。私は父も瀬名さんも存じていますが、あの二人が何か個人的な確執があったとは思えないですし、仮にあったにせよ、私的な感情で殺人なんてしないと思ってます」

「……」

「私は、私の父の命を奪うに至った何か政治的思惑が絡んでいるのだと、考えているんです。目の前であらかた解き明かした賢木さんと先生なら、少しは何か知っているんじゃないでしょうか。それを、聞きに行きます」

 武市は、武市棗は。

 もはや、泣くだけの女の子だけでは無いようだ。少なくとも、理不尽な現実に対して、理不尽だと泣いて駄々をこねる子供では無かった。

 決意、というよりも、使命感に燃えた瞳は、どこか賢木に似ている。

「真相が分かったらどうするつもりだ。ただの子供じゃ、どうにもならない理不尽なことなんで、世の中には掃いて捨てるほどあるんだぜ」

 出来れば、彼女には首を突っ込んでもらいたく無い、と思ってた。

 俺も賢木も、今回の件に関しては、空鳴市が長年かけて巨大になった膿が躍動しているのだと、心のどこかで感じ取っていたからだ。

「真実を詳らかにするための力が必要なら、それを手にします。護民官の資格が必要なら、それを取ります。議員の権力が必要なら、それだって利用します。もし市長にならなければならないのなら、私は必ず市長になります」

「まいったね、どうも」

 武市棗は、賢木に似ている、という程度では無い。あまりにも似過ぎている。

 そして、俺はこういう女に弱いということも、変わっていない。

(武市護民官よ……。アンタは護民官の才能はあったみたいだが、親の才能はからっきしだったみたいだな)

 この世のどこに、自分の敵討を子供に望む親などいるのだろうか。

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