第5話 新市街調査 ⑧

 瀬名護民官は意識を失ったようだが、それは失血によるものでは無く、疲労や緊張の糸が切れたからだろう。

 素人目から見ても、重症ではあるが命に別条は無さそうだ、ということが分かる。

 意識の無い人間を運ぶというのは、想像以上に骨の折れる仕事だ。背中が汗でべっとりとなって、息も上がって来たタイミングで俺は先を歩く二人に休憩を申し入れた。

「瀬名護民官の様子は?」

「寝てる……のかな。一応止血は出来てるみたいだし、呼吸も安定している。俺の方が呼吸が荒くなってるくらいだ」

「やれやれ、体力つけないといけないな。……で、菱川、まだ銃はあるな?」

 瀬名護民官は聞いてはいないだろうが、念の為か、賢木は声を落として菱川に尋ねる。

「ああ。まさかアイツを始末しろって?」

「そんな訳あるか。拠点に戻る前に、その銃は何処かに捨てておけ。新市街なら、適当に隠すだけでも見つからんだろう」

「はぁ?どうやって身を守るんだよ」

「瀬名護民官を連れて拠点に戻ったら、当然誰が銃を使ったのか、という話になる。所持品の検査なんか始まったら、共倒れだぞ?」

「……確かにな。貴重な銃を無駄にした、とかで報酬が減らなきゃいいんだが……」

 と言いながら、菱川は座っていた縁石のすぐ傍にあった側溝に銃を落とし入れた。

 想像よりも軽そうな音が僅かに響いた。

「次、菱川が運んでくれよ。俺は体力の限界だ」

 銃が無くなった以上、護衛の仕事は限られて来る。それならばせめて、瀬名護民官を運ぶ役割を交代してくれ、と思ったのだが、二つ返事で断られる。

「アンタも貧民街区出身なら多少は体力があるだろ?我慢しろよ」

「……はいはい」

 諦めて、俺は再び瀬名護民官を背負う。

 火柱が作り出す仄かな灯りは、確実に近づいていた。



 ひと足先に戻っていた倉持護民官が、俺達を見つけると、俄かに拠点は騒々しくなった。

 どうやら殆どの護民官達も銃声を耳にして拠点まで戻ってきたようだ。念の為、と同道していた治安維持軍の兵士達も背負っていたライフルを手にして警戒状態になっていた。

「おお……!戻られたか!で、後ろにいるのは……」

「瀬名護民官だ。一応手当はしたが、応急処置だ。直ぐに彼を市内に戻した方がいい。それよりも、武市護民官は?」

 賢木が走り寄ってきた倉持護民官に対して慇懃に答える。無事被害者を連れ帰ってきた俺達に一枚噛みたいという気持ちが露骨に見えたので、賢木も思わず態度に出してしまったようだ。

 瀬名護民官を下ろして、正規の医療部隊に引き渡すと、周囲をざっと見渡した。

 少なくともこの場に武市護民官の姿は見えない。

「いや……こちらには来ていない。他は全員戻ってきてはいるが」

「……そうですか。どうやら、瀬名護民官の話によれば、二人は何者かに襲撃を受けたようです。その後、武市護民官はこちらの方に逃げたようですが……」

 余計な混乱をもたらすので、襲撃した人間も武市護民官を追って拠点方面に向かったことは一先ず伏せておく腹積りのようだ。

(武市護民官が戻らず、それ以外の調査隊メンバーが全員ここにいるというのなら……)

 自然、武市護民官は既に始末され、白々しく犯人は拠点に戻って来たことになる。

 その可能性について、既に賢木は至っているようで、一人一人の反応を見極めようと目を凝らしている。

(人一人を殺して平然として居られるだけの胆力がある奴なのか……、それとも相当に演技の出来る人間なのか……)

 少なくとも、犯人がこの中にいるという前提で周囲を見回したが、態度や反応で疑いをかけられるような人物は見当たらない。

 倉持護民官は、例の高級そうなスーツのジャケットを脱いで、ワイシャツの袖を肘の高さまで捲り上げている。僅かに汗をかいているようだ。

(……気温も涼しいくらいだし、汗をかく程急いで戻ってきたのか……?それとも、悪路を選んで進んだのか……)

 疑わしい人物が見つからない以上、もはや言い掛かりにも近い些細な情報を収集するしかない。


 新市街には既に社会と呼べるものは存在せず、生きている人間が存在して居たとしても相当少数であること。

 この街はかつて150年前までは東金市という名前で社会活動がなされていたこと。

 そして、何者かによって、瀬名護民官と武市護民官が襲撃され、武市護民官が行方不明になったこと。

 一通り報告できることは以上だろうと、ざっくばらんな話し合いが終わる。

 話し合いの中で言葉数が少なかった賢木は、どうやら皆の発言を一つ一つ咀嚼しながら、思考に耽っていたようだ。

(……この場で犯人の特定をするつもりか?)

 それがどのような手段なのかは想像もつかないが、ここで怪しい人間を断定してしまえるのならしてしまえと言う、賢木特有の即断即決の精神が手に取るように分かってしまう。

 そしてそれが、底意地の悪い手段を用いるということも、彼女の口元を押さえて笑みを隠す仕草から理解してしまった。

「では……、その襲撃者から今も逃げておられる武市護民官の救出に向かいましょうか」

 賢木はさもそれが当然かのように、言う。

 当然、他の護民官達はその言い草に同意せざるを得ない。が、命を危険に晒してまで真相を究明する必要があるのかどうかという議論の余地は残したいようで、賢木は続けて発言する。

「幸い、今この場には、不測の事態に備えて治安維持軍の軍人さんが6名も参加していらっしゃる。安全、とは言い難いかも知れませんが、少なくとも今まさに命の危機に瀕している人間が居るのです。それを救わなくて、どうして護民官などと名乗れましょうか」

「……しかしだな、襲撃者の規模も分からないんだぞ。もし集団を組んでいたら、我々も同じく危機に瀕してしまう。ここは一度、街に戻って……!」

 兵頭護民官は慌てた様子だ。とはいえ、この場で日和見主義にも捉えられかねない発言をするというのは、相当に勇気のいる行為ではある。

 逆説的に、ここで悪目立ちするような人間が犯人である筈が無いので、兵頭護民官の疑いは自ずと薄まる。

「人一人が既に撃たれているのですよ。これは明確な利敵行為でしょう?まさか市政憲章を忘れた訳でもあるまい」

 強論にも程がある。

 それは誰の目にも明らかだっただろう。恰も賢木は義憤に駆られた若い護民官という体裁を演じながら、語気を荒げて揚々と語る。

「いやいや、少しお待ちを。ここで言い争っても益は無い。それよりも賢木護民官、貴方は今、市政憲章を引き合いに出されましたな。よもや、この場でそれを口にするとは」

 と、倉持護民官が肉付きの良い顎を撫でながら、不遜に賢木へと向き合う。

「おや、倉持護民官も、あれがカビの生えた古臭い法規則だとでも言うつもりですか?確かに、時代にそぐわない憲章だということで、近年幾度と無く改正案の提出が出されているが、今以て尚、まだ生きている。市政憲章第十条『当市に害する団体及び組織並びに個人に対し、独立と平和を保つ為の行為は市民の義務である』……貴方はこれを、反故すると言うのですか?」

「口を慎まれよ、賢木護民官。市政憲章の是非については、その対象が市民個人にあることこそが、問題そのものだと議論しているところでは無いか。市民個人に対して、市政運営の身に余る重責が、時代にそぐわないのは明白だろう」

 倉持護民官は、何を意識しているのか、芝居じみた口調で朗らかに反論する。

 まぁ十中八九、この後の調査報告で美談にするに違いないが。

 だが、賢木はそれでも鋭い視線を周囲に向けたままだ。

「では、我々は一市民に過ぎない、と?護民官は、大衆の一人として数えるべきだと言うのですね?」

「……何を当たり前のことを。政権者にでもなったつもりか?護民官はあくまでも、半私半公、公人の監視と私人の要求を答える存在に過ぎない」

「では、仮に数年前から議論の始まっている市政憲章の遵守を、議論の結論を待たずして反故にするのというのは一市民としては越権行為に過ぎないと、そうは考えられませんか?」

「……しかしっ!」

 煽る様な賢木に倉持護民官が言葉を詰まらせたかと思うと、今度は優男のような爽やかな笑顔を貼り付けた男が二人の間に割り込んだ。

「まぁまぁお二人とも、ここで言い争っても仕方が無いでしょう?」

 確か……坪井議員の担当護民官の野勢翔馬のぜしょうまと言ったか。俺達の依頼主である友永議員同様に、今回の市長選挙では勝ち目が薄いと目されている坪井議員はこんなに若い護民官に依頼していたのか、と今更思う。


「——ここは、阿方護民官殿の意見も聞いてみましょう。同じ議員の補佐、同じ事務所の後輩として、どう考えますか?」

「俺……ですか?」

 ここで俺に意見を伺う理由が理解出来なかった。

 だが、野勢護民官は、何かを待つように、俺の瞳を覗いていた。

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