第5話 新市街調査 ⑦

 かつてそこは、どのような未来を願って作られたのだろうか。

 そんな、望郷心にも似た、古臭くて哀愁にも近い気持ちが顔を出した。

 同じ護民官と言えど、阿方と私の着眼点は大きく異なるようだ。阿方は打ち捨てられた街に蔓延る死体を見つける度に、その背格好や体勢から死の瞬間を紐解こうとしている。

 一方で私は、人間の死体よりも街の死体の方が興味を惹いた。どのような歴史を歩んだのか、どのような社会を育んだのか。

 結果はどうであれ、我々と違う歴史と文化を築いたのであれば、我々とは異なる視点からこの世界の真実を解き明かそうとした形跡がある筈だ。

 もし、片言隻語だとしても、その類の情報が転がっていれば僥倖なんだが——と、周囲に眺めていると、不意に先導していた菱川が歩みを止めた。

「——まて、血痕だ」

 地面に染み込んで赤黒くなっているところみると、やはり数分程前に聴いた銃声が放った弾丸を受けて何者かが負傷したのだろう。

「少なくとも、直近に出来た血痕じゃない」

 既に血痕は乾き始めている。だが、だとしても、

「死体がここに無い——ということは、少なくとも即死では無かった訳か」

「どうする?血痕を追うか?」

 菱川のその言葉は最終確認の様な気がする。安全圏からとうに逸脱してはいるものの、ここから先は、十中八九命の危険が潜んでいるとでも言いたげな口調だ。

(ということは、なんだかんだ、私の意思を尊重する気はある、ということか……)

 とはいえ、菱川は法道を通して金で雇われている存在だ。最後の最後には、自分の命を優先する。

 いや、

(最後の最後まで護衛を続けてくれるなんて都合の良い考えは捨てた方がいいだろう。——知らぬ間に、私も絆されているな)

 と、自戒した。

 別に菱川を信用していないという訳でも、何か裏があると疑っている訳でも無い。

 人間の心理が、結局のところ完全に他人が読み切れることは無いと、経験から知っているのだ。

 行動理念がハッキリとした人間でも、気まぐれは起きるし、例外は多数あるし、心変わりなんてもののきっかけは幾らでもある。

 それらを全て勘案して、全てを予測のままに促すなんてことは、きっと全知全能の神だとしても無理な話だ。


 点々と続く血の跡の、その間隔からして、負傷した者は走り去っているらしい。

 とはいえ、私も阿方も、ましてや菱川も専門的な知識を有している訳では無いため、感覚的な物の見方になる。

「走れている、ということは撃たれた場所は脚では無いな」

「大動脈が通る様な場所でも無いだろうな、この失血量を見ると」

「銃声はまだ一発、まだ追いかけっこでもしてるのか?」

 動きは鈍くなる。

 当然、血痕を追うということは銃を持つ人間を追うということに等しいからだ。警戒心が、身体の動きを制限していた。

 だが、この静かすぎる新市街には、私達の声以外に響く音は無い。

「しかし、何故撃たれて奥へと逃げる?助けを求めるのなら、ベースキャンプのある方向へ逃げるのが自然だが」

「そこまで頭が回らないほど、焦燥しているのか……」

 それとも、或いはベースキャンプ——拠点から逃げようとしている?

「前方には摩天楼……という程では無いが、ビル群があって、背後には我々の拠点の目印である焚き木の灯りが見える。少なくとも、助けを求めるのなら、方向を間違えるということはないだろう」

「銃を持った奴が、それをさせないように動いている、とか?」

「いやいや、一方通行の小道ならまだしも、こんだけ開けている場所で迂回出来ないなんて事はないだろ。どう見たって、意図的に拠点から離れてるぜ、これは」

 血痕は、その間隔を広げていく。

 撃たれた者の速度が上がったのか、傷口から流れ出る血の量が減ったのか。

 銃創がそんなに早く閉じるとも思えないので、恐らくは前者なのだろう。


 そこから、数分としない内に、血痕は廃墟の建物の中に入っていく。

 念の為、阿方と菱川が建物の周囲をぐるりと一周して確認したが、血の跡はやはり内部から外には出ていない。

 つまるところ、結果がどうであれ、逃走はここで終わっているという事だ。

 慎重に、足を踏み入れる。

 菱川が警戒心を露わにしながらも、先頭を行く。

 人の手が入らなくなって、少なくとも百年は経過している廃墟だったが、ザラついた埃が溜まっているのみで、存外に立派なものだった。

 捨て置かれた旧式の端末や、ファイリングされている書類の数々に好奇心が疼くが、一度見て見ぬ振りをして、歩みを進めていく。

 血痕は二階へと続いている。階段の途中にあった白骨死体は、恐らく逃げ込んだ者が階段を登る最中に誤って踏みつけてしまったのだろう。骨盤が無惨にも粉々になっていた。

「……待て!撃つな……、何が目的だ!」

 階段を上がり切ったタイミングで、焦った様な、そんな声が響いた。

 懐中電灯を向けると、そこには瀬名護民官が壁に寄りかかっている。どうやら撃たれたのは脇腹らしい、手でそこを抑えてはいるが、少なくともまだ出血はおさまっていない様子だ。

「我々は銃声を聴いて救助に来たのです。医療隊員を引き連れて。菱川殿、彼に手当てを」

 一瞬菱川は恨めしそうに私を見たが、渋々頷いて背負った鞄から医療キットを取り出した。

「瀬名さん。貴方は誰に撃たれたのですか?」

「……そうか、助けに来てくれたのか…‥ありがたい。撃った奴の顔は見ていない。下手人の狙いは武市さんだ。俺が撃たれた後、武市さんは拠点に向かって走ったのを、俺を撃った奴が追いかけて行った」

「それで、貴方はその犯人と鉢合わせないように、拠点から離れた、と?」

「ああ……アンタらは拠点方面から来たんだろ?途中で武市さんには会わなかったのか?」

「……いや、銃声が聞こえてからは、誰とも」

 菱川が止血パッドを貼ってから不慣れな手つきで包帯を巻いている。

 どう見てもその手際の悪さは、正規の医療部隊ではないことが一目瞭然だが、失血により、意識の混濁が始まっている瀬名護民官に疑われる余地は無さそうだ。

(それにしても……武市護民官が狙われた?そうなって来ると、話が食い違う。まさか、我々と武市護民官以外に、新市街に銃を持ち込んだ派閥がいる?)

 そもそも、瀬名護民官は武市護民官が銃を用いて私を始末しようとしている計画を知っているのだろうか。

 知らぬというのなら、そもそもどのようにして私を始末する計画だったのだろうか。何と言って、瀬名護民官に対して言い包める予定であったのか。

「応急処置は一応した、これ以上の治療をするなら拠点に戻るしか無いが」

「ああ……済まない。阿方、彼を背負ってやれ。拠点に帰るぞ」

「分かった。瀬名護民官殿、立てるか?」


 少なくとも、武市護民官には、私を殺す以上の目的が今回の調査にあった。

 そうで無くては、拠点設置後の動きに説明がつかない。あれは何か具体的な目的があっての移動だ。

 そして、発見されたばかりの新市街が、誰も想定していなかったゴーストタウンという現状において、具体的な目的があったということは、事前に新市街の状況を知っていた、という訳である。

(……今回の新市街調査は、私と七緒が仕組んだことだ。とはいえ、私も七緒も都市らしき空間がある程度の情報しか掴んでいなかった)

 なら、武市はどこまで詳しく情報を知っていた?それはどうやって入手した?


 阿方にすら伝えていない、極秘のシナリオだった筈の今回の新市街調査。

 だが、私の思惑とは別の所でまた、何か大きな思惑が蠢いているのかもしれない。

 阿方の背中でグッタリとしている瀬名護民官を見ながら、警戒を強めた。

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