第5話 新市街調査 ⑥

 重みはある。

「アルジラ」と呼ばれる銃は、この狭隘な世界において、最もスタンダードだとされるモデルだ。

 都市連合において、アルジラを含めた銃火器の起源は鈴代市にある。元来、工業施設と共に市政を始めた鈴代市には、数種の銃火器の設計図とその生産能力が備わっていた。

 それ故に、鈴代市は血生臭い歴史を残してしまっている。

 無論、都市連合発足後、他都市がその生産設備の技術譲渡を迫ったことは言うまでもなく、幾ら平等な連合組織とはいえ、流石の鈴代市も強固な態度でそれらの要求を拒否した。

 唯一都市連合には加わることの無かった木立市に対する優先的防衛措置の条項と、他工業設備の技術譲渡が鈴代市を巡る技術交流条約の落とし所となったのだが、唯一銃火器を生産出来る鈴代市の発言力は依然として高まりつつある。

 そんな都市連合の銃火器を巡る歴史の中で、最も引き金を引かれた銃は、このアルジラで間違い無いだろう。


 強化プラスチック製なので製造コストは他の銃と比べて断トツに優秀である。およそ銃とは無縁の素人でも、十数分も弄れば分解と組み立ての方法を直感で理解出来るだろう。

 俺は時々、この銃を設計した人間は悪魔なのでは無いだろうか、と思う時がある。

 複雑な機構の簡素化、省略化は、人類が文明を発展させる上での大きな要因の一つだ。だが、これは違う。

 命を奪う行為の簡素化・省略化は、間違いなく人の道を外れた行いだ。

 例え善意があっても、今懐にあるアルジラの重みは、罪禍の重みだ。

 銃とは縁遠い世界に身を寄せていた俺にもハッキリと分かる、命を奪うに足る重みだ。それが、歩みを進める度に、何かを訴えかけて来ている。

 その重みが、俺を過去に追いやっていく。


 ◇


 菱川春樹という男がいた。貧民街区に存在していた救貧院の院長で、俺はその男に拾われたので、夏樹という名を与えられた。

 当時の空鳴市は、四半世紀前に実施された人口増加政策の皺寄せが貧困層を苦しめていた。

 偏にそれは、労働力の計算違いが原因であった。食糧生産工場、巨大なプランテーションの運営にはより多くの労働力がいる。当時、空鳴市の主要輸出物は巨大なプランテーションで生産される新鮮な野菜や果実の数々と、食糧生産工場にて生産される豊富な種類の人工肉であった。

 技術交流と技術譲渡によって、それらの生産は他都市でも可能になったものの、プランテーションに関しては必要な土地面積も膨大であり、既に都市計画を終えてしまった他の都市達には空鳴市の保持するプランテーションと比較すると圧倒的に小規模な生産能力しか持ち得ることが出来なかった。

 故に、輸出品目として食料品は、生産すればする程に外貨を獲得出来る金の卵であったのだ。都市連合の発足によって、それまで存在しなかったマネーゲームという概念は、単純かつ明快に、労働力確保のための人口増加政策を推進した。

 今でこそ松永派閥は当時の失策を、黒江元市長の責任だと喧伝しているが、人口増加政策事態は黒江元市長よりも数代前から行われていた政策であり、実際に問題として顕在化したのが黒江政権時代だっただけだ。

 では何故人口増加政策は失策だったのか——。

 空鳴市の可住面積が不足していた、という訳では無い。無論、不足していることは事実なのだが、それは地下街区を拡充することで解決の見込みはあった。

 問題というのは、資源が有限であることを忘れ去ってしまっていたことにある。

 プランテーションには、当然、栽培物の生育に多くの水資源を必要とする。人口が増加すれば、当然その分飲み水の確保が必要である。

 だが、人口増加による水資源の提供水量の増加を、長嶺市は拒否したのだ。理由としては、これ以上空鳴市に融通する水資源の余裕が無い、と言うことであったが、都市連合間を絶えず循環する水資源の総量を公表していないので、それが真実であるかどうかは分からなかった。

 だが、都市間共通の資源である水を盾にされて仕舞えば、空鳴市としては泣き寝入りするしか無い状況だ。

 当然ながら、空鳴市の発展を阻害する長嶺市の陰謀だとか、他都市へ内密に水資源を融通しているのでは無いかとの憶測が市内に流れたのだが、結果として人口増加政策は空鳴市最大の失策としての烙印を押されることになったのである。

 そして過剰な労働力は、地下街区の整備が終えると同時に泡となって、余剰労働力として多くの貧困者を生み出した。

 地下街区の整備に従事していた労働者の多くが、そのまま貧民街区とあだ名される地下街区の住人になったというのは、余りにも皮肉の効いた話である。まさに、墓穴を掘っていた、という訳だ。

 そして、俺、菱川夏樹が生まれたのは、そういう時代であったのだ。


 貧民街区は、その誕生から既に貧困者の棄民政策的な側面があったかの様に思われる。

 故に、自然発生的に反社会組織の温床となったのは言うまでもないだろう。

 俺が育った救貧院には多くの子供達がいたが、その大多数はマトモな道を選べなかっただろう。その中で俺も例に漏れず、14歳の頃には立派な反社会組織の下っ端として働いていた。

 俺が所属していた山猫という組織は、当時の裏社会では新進気鋭の歴史も浅い団体だった。

 主な収入源は人材派遣。政府からの助成金を資本金として、労働者達に労働を分け与える仕事をしていた。

 故に、俺は真っ当な善行をしているものだとばかり思っていた。選挙権を持つ者達の支持を得難い貧困者への救済政策は、頭の悪い俺でも貧困者全員を救えるとは到底思えない程の微々たる補助だった。

 だが、それでも俺は自分達の得にもならない政策を行なってくれている政治家が一人でもいるのだと、心の底から信じていた。

 だが、現実は違っていた。

 政府からの助成金は、とある議員の懐に殆ど入っており、山猫はその議員と結託したただの反社会組織であったのだ。

 後に山猫事件と語られるこの事件は、当時この政策を提出した杉本議員による大規模な汚職事件として処理されることになるのだが、山猫という組織は、再び地下に潜り活動を続けた。

 もはや、貧民街区に住む貧民ですら、貧民街区をどうにかしようなどとは考えていなかったのだ。

 山猫は、再び品行の悪い市議会議員と接触して悪事を働こうと試みていた。貧困ビジネスを利用して、自分達だけ救われようと、盲目的に躍起になっていた。

 俺はと言えば、勝手に蒙昧的に善行だと信仰しながら、その悪辣さを曝け出した山猫に対してあまりに青臭すぎる憎悪を持っていた。

 救貧院の清廉な教えは、全くの嘘偽りだったのだろうか、と自問すらせずに、俺は山猫を憎んだ。


 ——そして、初めて銃と対峙した。


 空鳴市で唯一、銃を持った人間と真正面から対峙した男。

 なんていう、不名誉極まりない実績が広まったのも、この頃だった。

 そうだ、賢木道枝という護民官の噂を聞いたのも、この頃だった。

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