第5話 新市街調査 ⑤

「……菱川、マズルフラッシュは見えたか?」

 俺達とは異なり、我々の身の安全を第一に周囲を警戒していた菱川ならば、今しがた耳に届いた銃声の位置を、閃光で視認しているかも知れない、と期待して菱川を見たが首を横に振った。

「銃声は、さらに奥の方から聞こえてきた。拠点方面に今銃を使用した人間はいない」

 どうやら、大抵の調査員は我々の目の前に聳える巨大なビル群を目印に歩いてきたらしい。

 銃声に驚いたのか、僅かに付近がどよめいたかと思うと、近くを調査していたらしい慌てた様子の倉持護民官が飛び出してくる、傍には同じ護民官事務所に所属する長谷部護民官の姿もある。

「賢木さん……。今の、聞きましたか?」

「ええ……銃声、ですよね」

 狼狽している倉持護民官は、二重顎を忙しなく動かしながら、銃声のあった方向を凝視している。

「まさか、この街に生き残りが……?」

 そうか。

 俺達は武市護民官か瀬名護民官——要するに松永派閥が銃を手に入れ、賢木を狙っているという情報を持っている。

 だが、そんなことを知らない倉持護民官からすると、考え得る一番の可能性が新市街の先住民族が生き残って先鋭化しているということなのだろう。

 思考の下地として、そもそも銃火器というものは、外の世界の物だという認識があるのだ。仮に、そういう類の常識のベールを取り払ったとしても、考えられるのは治安維持軍が厳重に管理している物程度しか空鳴市には存在していなという事実のみだ。

 隠れ難い、或いは逃げ難い環境だからこそ、空鳴市は異様な程に暴力への忌避感を増長させ、武力の所持という圧倒的優位さを排除する為の相互監視的な視線が蔓延っていた。

 故に、倉持護民官の想像は脊髄反射的な速度を持って脳裏を掠めた筈だ。

 思慮の差、情報の差。

 これは、留意すべきことの一つなのかも、知れない。

「さ、賢木さん。一旦皆で拠点まで戻りましょうか。あそこなら、派遣されている治安維持兵も居りますし」

 双眸を銃声のあった方向から頑として離さない賢木に対して、そう促すが、当の賢木は首を横に振った。

「いえ、我々は現場へ向かいます。幸い、私の持病を気にかけ、同道して下さる医療隊員の菱川殿もいらっしゃる。万が一、我々の同志たる護民官が撃たれたとなれば、応急手当ての一つも必要でしょう」

 と、芝居地味た口調でキッパリと言い放つので、倉持護民官は内心汗顔の思いだったに違いない。

 護民官としての正道を後輩たる賢木に説かれるとなると、倉持護民官の立場的には辛いものがあるだろう。

 市民とは、清廉さを好む傾向にある。次いで評価するのは、分かりやすい正義感である。

 そして、何かを正義だと断定した時、人は正義とは異なる者を探し出す性癖があるのもまた、事実である。

 もし、この状況で、賢木が撃たれた誰かを危機一髪救い出したとして、それが美談として広まれば、一方で命惜しさに拠点へ戻った倉持護民官は大なり小なりバッシングを受けることになるだろう。

 彼らを非難する市民達ですら、倉持護民官の判断は正解では無くとも誤りでも無い——と言った程度の理性的な思考は持つ筈だ。

 だが、それはそれとして、一方を称賛する際にもう一方を非難するというのは、最早生理現象に等しい反応であり、当然、護民官として、そういう市民感情の流れを知り尽くす倉持護民官も、賢木が現場に向かうと発言した瞬間、そういう未来を予想したに違いない。

「……そこで、倉持さんには一度拠点へ戻って貰って、情報を纏めて欲しいのですが。無論、倉持さんがそこの菱川さんを連れて救援に向かうというのなら、私が拠点の方へ知らせに戻りますが」

 と、賢木は狼狽している倉持護民官にとっては救いとも言える提言を示す。

 これは、命惜しさによる退却では無い。今まさに発生した変事を報告する為の重大な使命なのである。賢木は言外に、このようなつまらない事で貴方を弾劾するつもりも無ければ、市民達にそれを伝えるつもりも無い、と伝えているのだ。

 飛びつくように、その提案に乗った倉持護民官は、長谷部護民官を連れて拠点の方向へと大急ぎで戻っていく。


「……発砲のタイミングで、運良く倉持護民官と合流できたのは僥倖だったな」

 そんな倉持護民官の後ろ姿を眺めながら、賢木は言う。

 その発言の真意は兎も角として、どうやら賢木は今の発砲音に関して、どうにかして具体的に何が起こったのかを知りたいようである。

 あらゆる可能性と意図を含んだその発言は、俺を呆れさせる一言でもあった。

『松永派閥が今回の発砲の件を、私達が引き起こしたものだと、そう虚偽の報告をされる』という可能性を考えているという証左であるからだ。

「銃を用いて始末する……それは何も、命を奪う以外の方法もあるって訳か……。しかし、賢木。それは流石に回りくど過ぎるぜ」

「……そうか?仮に松永派閥が、我々に虚偽の告発をして、私達がそれを否定する。目撃者も居らず、証拠たり得る銃の行方も分からなければ、水掛論になる。市民にとっての英雄である松永派閥と木端護民官である我々、どちらか不利なのかは考えなくとも分かるだろう?」

 天網恢々疎にして漏らさず——、そんな言葉の天の位置に自分を置こうとするかの如き緻密さを持ち合わせている性格にも思える発言だ。

 だが一方で、一定のラインを超えると、其れ迄の緻密さとはなんだったのか、と思わせる程の大胆な行動に傾倒することもある。

 賢木の中には彼女なりの行動理念というものが確固として存在しているのかも知れないが、側から見てそれを理解出来るものは少ないのだろう。故に天真爛漫と、故に狡猾老獪と、そのどちらにも映るのだ。

「少しは護衛の俺の身にもなってくれよ……」

「護衛というからには、君は銃を持っているんだろうな?」

 歩みを進める俺達の後ろを着いてくる菱川が嘆息気味に言うが、それをまるで気にしていないかの素振りだ。

 だが確かに、護衛というからにはそれなりの自衛手段は持ち合わせている筈だ。

「法道から持たされている。とはいえ、最終手段だぞ、これは。アンタの命を守れても、俺とアンタの関係が明るみに出たら、共倒れになるからな。それに、最初に言っておくが、金を稼ぐ為にこの仕事を受けたんだ。アンタと一緒に共倒れになるつもりは無いからな」

「それはそうだろう。むしろ、そう言ってくれた方が、俺達としても信用し易いしな」

 その辺のバランス感覚というか、自身の立場を明言するやり方は、やはり貧民街区出身らしい物の言い方である。甘言で近づいてくる人間を何より警戒するし、自身に何一つメリットの無い提案をする人間を決して信用することはない。

 貧民街区なりの、生き方の心得のような物だ。故に菱川の言葉はすんなりと受け入れられる。

 こんなタイミングで一蓮托生だなんだと言い出される方が、俺にとっては判断が難しい状況になるところだった。

「ふむ……。であるならば、菱川の持つ銃の流通経路は訊かないでおこう。私からすれば、原則持ち込みを禁じている筈の銃火器が、こんなにも簡単に持ち込めている事実自体が頭痛の種なのだけどね」

「そいつは助かるな。だが、心しておいてくれ。マジで危ないタイミングでしか、俺は銃に頼らないからな。何せ、所持だけで終身刑なんだ。今懐に忍ばせているだけでも、かなりのリスクを背負っていると考えてくれ」

 余程のリターンが確約されているのだろうか。菱川が命と社会的制裁の危機と天秤に掛けられるほどのリターンとは何かは知らないが、ここまで間の行動で、菱川は決して無鉄砲で浅慮な男では無いということは分かっている。

 菱川の今の言葉から透けて見えるのは、そういう慎重な男を動かせるだけの報酬を用意できる法道宗光という男の力そのものだけであった。


 そういう男が、一方的に庇護するというこの状況は、もしかしたら松永派閥に命を狙われているという状況なんかよりも厄介なのではないだろうか。

 今頃になって俺は、そうした恐怖に慄いていた。

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