第5話 新市街調査 ④
「……で、どうするんだ?」
取り敢えず新市街に生きた人間は居ないものだと断定し、疎に他陣営の護民官達が各々調査を行うために拠点から離れていく。
新市街は暗い為、例え遠くまで行こうと、建物の影に隠れない限り拠点で大きく火柱を立てている焚き火の灯りを頼りに戻って来れることが、人々の勇壮さを奮い立たせているのだろうか。
予想に反して、武市護民官はどの陣営よりも早く瀬名護民官を引き連れて何処かへと去っていってしまった。
「連中が姿を眩ませたのなら、ここに居ても仕方が無いだろう。産業設備や、工業調査は他の陣営が血眼になって行ってくれるだろうし、我々は他の連中を出し抜くために、視点を変えた調査を行おうか」
「……おいおい、武市が俺たちの動向を陰から監視してるかもしれねぇぞ。そんな悠長なことをしていて良いのか?」
「悠長?何が悠長なものか。例え命を狙われていたとしても、その情報や状況すら利用しなければ護民官として失格だ。それに、ここで無意に時間を潰す方が悠長だろう?他の陣営は甲斐甲斐しく依頼主の為に情報集めに勤しんでいるんだぞ?」
菱川の忠告は賢木の耳には届かなかった。それどころか、狙われているというのなら、その状況すら武器になると踏んでいるらしい。恐ろしく肝の座った人だ、と俺は改めて思ったが、同時にそういう勝気な判断がいずれ取り返しのつかない選択をしそうで危うさも感じた。
「——で、視点を変えるっていうのは?」
「何故、この街が滅んだのか、だ」
それは——。
と、俺は口を開きかけたが、上手い言葉が出てこない。そこら辺に落ちている人骨達は、少なくとも埋葬する暇すら与えられずに死滅したことを意味している。
「致死性のウィルス……?」
「まさか、それって俺らもヤバいんじゃねぇのか!?」
菱川が足元に転がっていた白骨死体から少し距離を取る。
そんな様子を見て、賢木は少し笑う。
「もし理由がウィルスだとしても、死体を見るに数百年前の話だ。宿主を殺し切った哀れなウィルスは、もうここには存在しないさ」
「ウィルスの変異性にもよるが、大抵は空気中に一週間もいれば死滅するからな」
地下世界という環境において空気というのは、恐らく地上世界のそれと比べても簡単に供給を断つことが出来るという一点に於いては、非常に重大な役割を占めている。
市内の空気の循環、酸素濃度——これらのバランスが少しでも崩れれば、市民は死に絶えるであろうし、強力なウィルスや病原菌が蔓延すれば、あっという間に死の街が出来上がる。
都市連合では、そういった最悪の想定を考慮し、唯一の連絡通路と上下水道を循環させるパイプ以外の経路を遮断した。共倒れするリスクを減らす為だが、同時にそれが決定的な功利主義的な関係の構築を促進させたのも間違いではない。
「——争った形跡も無いし、市内の建造物も特別壊されたりした形跡も無い。となると、やはりそれ以外に考えられるのが……」
俺は、そこまで口にしてから、一つの可能性の思い至る。
それこそ、今まさに考えていたリスクが牙を向いたのでは無いだろうか、と。
「酸素生成装置に不具合か何かがあって、市民が全滅した可能性もあるな」
それならば突発的なので、こうして死体が街中にいくつも転がると言う状況に納得がいく。
空鳴市周辺の都市は、水を電解して水素と酸素を生成する設備が整っている。この都市にもそれがあるのならば、酸素濃度の低下による窒息の可能性は断然高くなる。
分解されたもう一方の水素は、人工光合成設備の稼働エネルギーとして使われ、都市内の二酸化炭素量を調節している。
その副産物として出されるオレフィンは、プラスチック製品の材料として安価で企業に流れているというのが、現在の都市生命維持システムの循環機能だ。
しかし、そんな俺の予想は賢木によってあっさり否定される。
「自動修復が機能し、問題無く稼働している場合を除いて、今は酸素は存在しているし、その線は薄いだろう」
「じゃあなんだってんだ?毒ガスでも撒かれたみたいに、人が道端で倒れてる以上、突発的な原因だとしか考えられないぞ」
俺は言いながらも、我ながら結論を急ぎすぎているな、と自戒した。
それを調べる、と言っているのに、予想だけで議論するのは明らかに時間の無駄だ。
とはいえ、突発的な何かが発生したという見解に関しては賢木も同意見のようで、腰を屈めて足元の白骨死体をまじまじと眺めた。
「もう少し見て回ろう。もしかしたら、何か記録があるかもしれない」
俺たち三人は、懐中電灯の灯りを頼りに細い路地を進む。遥か後方の篝火の揺らぎだけが遠ざかっていく。
「街の中心のビル群に殆どの護民官は向かっていそうだな」
今歩いている場所は新市街の端の方だった。岩壁が近くに見えており、まるでまとわりつく様に岩壁に沿って家屋が並んでいる。
「空鳴市は市域拡張の折に、岩壁に近い建造物は一旦撤去したからな。ここは、市域を拡張する気がなかった、ということか」
それどころか、端の方へ向かえば向かうほど、白骨自体の数も少なくなっていく。そもそもとして、この街は人口増加による土地不足とは無縁の環境だったのかもしれない。
「どうやら経済体制としては我々でいうところの配給制のようなものだったみたいだ」
賢木は躊躇いもなく捨て置かれたポーチの中を弄って、一枚の紙片を取り出した。
「配給券……細部のデザインは異なるが、学生の時に開拓博物館で見た空鳴市の配給券と似てるな」
「余裕がなかった……って訳か?」
菱川は三白眼を忙しなく動かしながら辺りを警戒しているが、ようやく人気の無い事を確認したのか会話に混ざる。
「或いは、配給券をそのまま紙幣の代わりとして運用していたのかもしれない……或いは一部の特権階級のみが権力を掌握する権力構造だった——という可能性もある」
しかし、それはあくまで考え得る、というレベルの予測であり、実際のところは物資が極端に少なかったのだろう。
見たところ、空鳴市よりも随分と狭い市域だというのに、それすらも持て余している感がある。
「人口を抑制する政策を取っていたのか、そんな政策を打ち出さずとも、自然と人口増加の難しい環境だったのか……」
自前の食糧生産工場が無いとなれば、自然と食糧を得る手段は限られる。空鳴市は幸運なことに市政の始まりから食糧工場が存在しており、生産規模の増大がそのまま人口の増加に繋がっていた。可住面積という物理的な問題に突き当たるまでは、空鳴市は幾つかある地下都市の中では有利な状況から始動したとも言える。
「……当時の記録か何かが見つかればいいんだが……」
ともあれ、今なお情報らしい情報が無い以上、歩みを続けるほかないと判断した俺たちは、中心に聳えるビル群に向かって歩くことにした。
『東金市政開始550周年記念』
そんな横断幕が、市政の中心地らしいビルから垂れ下がっている。時間の経過による劣化は著しいが、却ってそんな状態でも立派にあるべき位置にかかっている様子が、もの寂しさを加速させているような気がした。
「東金市……東金、か」
その横断幕が目に飛び込んできた時、賢木はまるでその名を脳に刻み込むかのように、二、三度呟いた。
もし他都市と同様に、正確な数字では無いものの、約700年前にこの都市の市政が始まったのだとすれば、ほんの150年前迄は現存していたということになる。
「550年経っても、自由経済に移行出来なかったのか……」
世界とは経済とは社会とは、そういうものだと認識して改める事すらしなかった結果なのか、或いは、そうせざるを得ない環境だったのか。
そのどちらか分からなくとも、いずれにせよ、ここに住んでいたであろう数万人の市民達は、恐らく一日から数日の間に——少なくとも、道端に倒れた死体を埋葬する余裕すらない期間の間に——全滅してしまった。
「たった、150年前……」
菱川が呟く。
菱川にとって、150年とは感覚的には地続きの存在なのだろう。今でいう貧民街区(当初は市営区画と呼ばれ、現在の豊頃区に当たる。現在と異なり、新たに地下区画を設けることは無く、空隙地区に建設された)の建設が始まったのが200年前、都市連合の成立は300年前である。紆余曲折こそあったものの、胡乱過ぎる都市の成立時代と比べると足取りが明瞭な過去300年間は感覚としては近代といっても差し支えないのが空鳴市民としての時代の捉え方だ。
その尺度の中で、愚直なまでに菱川は東金市の滅亡を受け止めた。
それは間違いなく、普遍的な市民感情の素描なのである。
明日は我が身だと恐れ慄くのか、或いは我々は幸運なのだと胸を撫で下ろすのか。
世論がどちらに転ぶのか、危機感を煽るのか、平和な市政が続いたことをPRするのか。恐らく、この市民感情の揺さぶりすらも、次の市長選挙では各陣営が利用し尽くす結果になるのだろう。
護民官の端くれとして、賢木護民官事務所が置かれた今の状況から見て、どちらに利があるのか、そんな政治的思索に耽っていると、乾いた音が、静寂の支配していた市内に響き渡る。
ハッとして、俺は賢木と顔を見合わせる。
「……銃声、だな」
——事態が動いた。
賢木はそれが面白くて仕方がないような表情で、底意地の悪い笑みを浮かべていた。
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