第5話 新市街調査 ③

「ええと……端末、ありがとうございました」

 阿方と賢木は新市街の調査の為に朝早くから事務所を開けて出て行ってしまったので、私は支倉インダストリー社に預けられる事になった。

 何だか子供みたいな扱いで少し不満だが、私が目覚めてまだ三日目、一人にするのは色々心配なのだろう。

 と、いう訳で支倉インダストリーの社屋最上階にある社長室兼七緒さんの居室を私は訪れていた。

 七緒さんから貰った端末機の礼を述べると、新市街調査のニュースで持ちきりのワイドショーを眺めていた彼女は私を一瞥した。

「で、どうだ?使い心地は」

「使い易いし、便利で助かってます。この世界のこと何も知らないので、調べ物するのに便利ですよね」

 と言うと、何かを逡巡したかの様に数秒黙り込んだ後、七緒さんは興味深そうな表情で私を見つめた。

「当たり前の話だが、人間という種はその始まりから、こんなに発達したテクノロジーを手にしていた訳じゃない。例えば類人猿に端末を渡したとして、その道具が何を目的とした物なのか、例え言葉で説明したとしても理解は出来ないだろう」

「……?」

 唐突すぎる話に私は首を捻らせる。

 何を言いたいのだろうか、何となく、それが私に関する事だけは分かるが。

「要するに空の出自の話だ。例え記憶を失っても、テクノロジーに慣れ親しんでいれば、すんなりとそれを受け入れられるのか。そういう実験に近いものがあるな」

「とすると、この端末レベルのテクノロジーであれば、記憶を失う以前から私の身近な存在としてあった、ということ?」

「失ったと言っても、全てを失った訳でもあるまい。言語は操れるし、単語やその意味、基本的な社会倫理も覚えている。君の残った記憶から、以前の君の生活基盤や社会環境を読み取ろうとしたのだよ」

 だが、言葉尻が何処か自嘲するような含み笑いが込められている。

 要するに、彼女の言う実験に近しい確認作業というのは、何か欠陥があったようだ。

「だが、何も知らないが故に不慣れなテクノロジーにすんなり対応できたとも考えられる。前提となる知識の許容範囲量と未知の存在に対する適応能力の関係性も分からんから、結局何一つとしてハッキリしていないってことだ」

 そもそも人類の持つある種一定の能力を画一的に平均化した上で個人に当て嵌めようという試み自体に問題がある。

 と、文脈の意味すら理解に苦しむ言葉を呟くと、再び七緒さんはモニターに目を向けた。

 映像は一向に変わりがない、つい数時間前に調査隊メンバーが入っていった、無骨すぎる設計の関所を映し続けている。

 事態が動く気配すら無いので、コメンテーターが関所内部には除染室があることや、その理由について解説している。

 関所を遠巻きに守る現場のリポーター達は、薄ら聞こえる掘削機の駆動音が鳴り止むたびに興奮した様子で「開通したのでしょうか!?」と、視聴者を煽り立てる様子で大袈裟にマイクに向かって叫び続けていた。

「……七緒さんは現場に行かなくていいんですか?」

 画面の向こうには、多くの人がいる。マスコミや見物人だけでは無く、現市長や数人の政治家も多く見学しているらしい。

 この街にやって来たばかりの私にですら、今この瞬間がどんなに歴史的なものなのか、ハッキリと理解できる。

 それだけに、空鳴市の民間企業の中でも五指に入るだろう、支倉インダストリー社の社長が私と同じ様に画面越しで眺めているだけで良いのだろうか、と気になった。

「行ったところで、私は役にたたねぇよ。どうせご機嫌取りの議員達の下らない世間話に付き合わされるのがオチさ」

「……でも事の発端は、七緒さんの会社の新技術が原因ですよね?」

「……まぁ、そうではあるんだがな」

 と、口籠もる返答に、私は訝しむ。

 いつも明明朗々と答える彼女らしくない、と七緒さんを見るが、何処か気まずそうに視線を逸らされた。

「……で、七緒さん的には今回の件、どう見てるんですか?」

「どう、とは?」

 七緒さんが何かを隠しているにせよ、私にそれを追求する意味も無いし興味もあまり無かったので、どうせ会話のネタが無いのなら、と素直に気になることを訊くことにした。

「新市街の件ですよ。市長選が間近であるが故に、持ち帰った情報の手柄を取り合う形式のこの調査隊は不合理過ぎると思うんですよ。それならいっそ、現市長とか或いは市議会全体の対応案件として足並み揃えて実行した方が、効率的ですし効果的だとも思うんですけど」

「まあ、言わんとすることは分かる。競争となれば、意図的に情報を隠蔽したり報告を遅らせたり、或いは足を引っ張り合うなんてことも考えられる。だが、一つ間違えれば都市ごと滅ぶことは容易いこの街においては、市民の政治に対する興味っていうのは並々ならないものなんだよ」

「……ええと、どういう意味ですか?」

「常に争い、相互監視を怠らない事こそが、市民にとっては不正を防ぐ最大の方法だと思ってるんだよ。伝統的に、この街では長期政権によって市議会内部の流動性が鈍化すると必ず何かしらの不正が起こる。盤石過ぎる政権っていうのは、自ずと自分の手を汚さずに甘い汁だけを啜ろうと、汚職や不正行為に手を出す。それを容易く行えるだけの権力はあるからな。決して短く無い空鳴市の歴史は幾度も、そういう政治家達の跋扈を許し、その度に弾劾を繰り返して来た」

 民衆は常により良いリーダーを求め続ける。

 はて、誰の言葉だったか。

 記憶喪失の私が、そんな名言めいた言葉を覚えていたことに我ながら意外性を感じたが、もしかしたら単に自身が思いついた言葉なのかもしれない。

「しかし、長期政権を拒む伝統だというのであれば、長期的に一貫した政策は行えずに不合理的な動きしか出来ないのでは?」

「当然、二期連続だから投票しない、なんて理由はあり得ない。民衆のそういう厳しい視線を受け続けてもなお、選出されるのが理想だしな」

 それは、なんというか、歪な政治観にも思える。彼女の言う汚職や不正行為というのがどの程度を指すのかは分からないが、この街は政治家に清廉さを求め過ぎているのではないだろうか。そしてその癖、人の性根は悪辣であるということを前提にした思考で社会が動いている。

 その歪さが、私には見て取れた。

「恐らく、他の都市から茶々が入る前に、新市街政府との交渉基盤を固める程度で精一杯だろうな。護民官同士による政争も、大した進展なく終わるだろう」

 というのが、どうやら七緒の見解らしい。

 彼女にしては楽観的な結論の様に思えたが、恐らくはそういう類の願望が彼女にはあるのかもしれない。


 画面の向こう側が、一層騒がしくなる。

 辿々しいリポーターの言葉を要約すると、どうやら調査隊が新市街に足を踏み入れたらしい。

 画面越しに伝わる異様な熱気が、私とこの世界を隔てた溝の大きさを伝えている様な気がして、少しうんざりした。

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