第5話 新市街調査 ②

 岩壁が、崩れ落ちる。

 最初は覗き穴の様な小さい風穴だった物が、徐々にその口を大きく開けていく。少し穴が広がる度にどよめきが起こる。

 凡ゆる想定の元、急遽建設され関門と呼称された、四角四面のコンクリート製の建造物の外では、調査隊の発表を今か今かと待ち構えるマスコミが固唾を飲んで見守っているのだろう。

 とすると、今しがた湧き上がった驚嘆にも似た声は、この分厚いコンクリートの壁を超えて外にまで伝わったのだろうか。

 そんな愚蒙な想像を重ねる度に、岩壁はやがて人一人通れる大きさへと変貌していく。

 穴の先には、確かに大きな空間が広がっていそうだ。だが、暗闇が支配しており、その全貌は不明瞭だった。

 護民官の一人が、呟く。

「もしかしたら、向こうは我々の時間と異なり、夜なのでは無いか」と。

 確かに、自然の力では無く、人工的な技術とルールで仕切られた昼夜の区別は、必ずしも共通という訳ではないだろう。

「さ、穴が開通しました。調査隊の皆さん、お願いします」

 数瞬、誰もが二の足を踏んだ。いの一番に素知らぬ世界へと足を踏み入れる勇気を持ち合わせていなかったのだろうか。

 それでも、穴の近くにいた人間から、自然と足を踏み入れていく。俺も先頭から八番目という半端な順番で、穴の向こうへと踏み出した。

「市内から電源を引っ張って投光器でも設置出来ないか?」

 と、不満を溢したのは、俺の一つ先を歩んでいた護民官だった。確か、鹿目議員陣営の倉持護民官だったか。

 調査だというのに、やけに高級なスーツを身につけている。それだけで、鹿目議員陣営は新市街政府との外交の陣頭指揮を執ろうという気概が透けて見える様だった。

 その倉持護民官の言う通り、新市街は闇そのものであった。薄らと遠くに巨大なビル群の様な物があるのは視認出来るが、俺たちが入ってきた穴から漏れ出る光が僅かにそれを反射しているだけであって、あとは何も見えなかった。

「調査隊の支給品、懐中電灯無かったか?おおい、誰か点けてくれ」

 どうやら倉持護民官は事前に配布されていた懐中電灯を背負っていたカバンの奥深くに仕舞い込んだ様で、暗闇の中で取り出すのを手間取っている様子だ。

 前方を進む幾人かが、その声に気づいて懐中電灯を俺たちの方に向けて照らす。俺も慌てて懐中電灯を取り出して点けてみる。指向性の強い懐中電灯だけあって、光は奥まで届くが、代わりに照らせる範囲は少ない。

 何となく、俺は薄らと目に入っていたビル群に向けて懐中電灯を向ける。

 確かにそこに、十数棟のビルが軒を連ねている。所狭しと建つそれは、闇の中に立っているせいか、妙に得体の知れない恐怖を植え付ける。

「……幾ら夜でも、こんなに暗いことってあるか?」

 背後で声がする。どうやら後続組が全員来たらしく、それぞれが互いに街を懐中電灯で照らしながら、サーチライトの様に闇の中に浮かぶ都市を疎に照らしていた。

 俄かに騒がしくなる。それぞれが、口々に異様さを訴え始めている。と、賢木が俺の腕を引っ張った。

「マズいな……」

「マズい?何がだ?」

「さっき予想しただろう?もしかしたら、松永派閥はこの新市街の様子をある程度掴んでいるかも知れない、と。案の定、武市護民官の方は、何も反応を示さなかった」

 確かに、今まさに調査隊の誰もが興奮した様子でアチコチに懐中電灯の光を動かしながら、口々に驚嘆の声を上げているが、その中に武市護民官の声は無い。

「それに見ろ」

 今度は菱川が小声で囁く。

「目の前に現れた都市に光を当てている訳でもなく、武市は懐中電灯を点けただけだ。動きが不自然過ぎるぜ」

 となると、幾つか予想しなくてはならないコトが出てくる。

 松永派閥はいつからこの新市街の存在を知っていたのか。そして何故、知っていながら黙っていたのか。

 何故賢木を狙うのか。

 他にも色々あるが、今は考える時では無い、と思い直した。

「ここら辺は無人地域なのかも知れません。もう少し、都市の近くへ寄ってみましょう」

 と、前方からそんな声が届くと、指揮系統の無いこの一団は大人しく従ってぞろぞろと歩みを進める。

「暗闇に乗じて、撃たれるぞ」

「いや、俺たちは今集団の真ん中にいる。誰かに見られる様なヘマを避けるのなら、今のこの状況じゃ手を出して来ないだろう」

 菱川は冷静に言うが、常に俺達と武市護民官の間に立つ様にして動いている。

 今のところ、菱川の動きに不審な点は無い。もしかしたらこの菱川こそが松永派閥に雇われた人間では無いだろうか、と疑う余地もあったが、自作自演の動きにしてはあまりにも演技臭さが感じられなかった。


 十数分程、歩いただろうか。

 なだらかな傾斜だった未舗装の地面は、やがて舗装された道路に移り変わる。周囲に建設途中の建造物が出てくるが、不気味なほどに人の気配は無かった。

「廃棄された都市か……?」

 今度は山野辺陣営の兵藤護民官が呟く。その声色に僅かな喜色があるのは、所有者の居ない都市であるならば、まるまる空鳴市の領土ということになる可能性が強いからだ。

 長らく問題視され続けていた可住地不足の問題は、棚ぼた的な展開で解決する兆しが見えてきていることに、純粋な反応を示している。

 確かに人がいない都市なら喜ばしい事である。

 だが、それは。

「初めから人がいなかったのか、それとも人が住んでいたが何処かへと移り去ったのか。或いは——」

 と、背後で賢木は兵藤護民官の喜びに水を刺すように言うと、今度は前方で短いスタッカートの様な声が聞こえた。

 それを皮切りに、声にならない悲鳴にも似た驚きの声が上がる。

「どうした?」

 と、僅か後ろを進む一団が前方に問いかけるが、明瞭な答えは返ってこない。

 焦ったく感じた俺は前方の倉持護民官の肩越しに前方を覗き見た。

 幾人かのライトで照らされた地面には、人間の白骨死体が捨て置かれている。

「こりゃ……最近の死体じゃ無いな」

「まさか……この都市は……」

 と、もはや誰の声なのかも判別出来ない会話が展開され、誰かが目の前の道に懐中電灯を向けた。

 夥しい、とはこんな状況を言うのだろう。

 何人分の死体なのか、それをカウントするのを放棄してしまう程に、骨はそこら中に散らばっていた。

「全員……まさか、これ全てが……」

「ここまで進んで、生きた人間の痕跡は見つかっていない。少なくとも都市活動は行われていない、と見て良いだろう」

 嫌に冷静な武市護民官の声に、俺はいよいよ警戒心を強めた。

 と、武市護民官は徐にその場に背負っていた背嚢を下ろした。

「一旦ここを拠点としよう。治安維持軍の皆さん、ここに拠点を作りますので、お手伝いお願いします」

 と、武市護民官が言うなり我々護民官とは比べ物にならない荷物を抱えていた治安維持軍が手早くテントや焚き火の設営を始める。

 歩き始めてまだ十数分しか経っていないが、ようやく一息ついた、と各々が腰を下ろす中、やり手の護民官という評判の通り、武市護民官はテキパキとあちこちに指示を飛ばしている。

 取り敢えず腰を落ち着ける場所を作り終えた俺たちは、その場所を一旦の中継点として、調査を進めることにした。

 だが、恐らく生きている人間が一人もいないこの都市で、何処から手をつけるべきか、議論を重ねていく内に、武市護民官が静かな声で提案した。



「各員、どうやら新市街は何らかの事情で遥か昔に住人が死に絶えた様です。となると、この大人数で調査を行うのは非効率だと思うのですが、如何でしょうか」


 思わず俺はと賢木は目を見合わせる。あまりにも大胆な発言に思えるのは、それは俺たちが松永派閥の企みを事前に知っていた為であり、思惑の交差するこの調査隊に於いて、自身の雇用主に有益な情報を抜け駆けして伝えられるこの機会に、反対意見が出ることはなかった。


 こりゃ、調査どころじゃないな。

 そんな俺の呟きも虚しく、新市街の闇に溶けていくのみだった。

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