第5話 新市街踏査 ①
史上類を見ない歴史的な調査と散々マスコミが煽っていた割にはその建物は簡素で素っ気のないものだった。
「仕方ないだろ。この先に新市街があると分かり作った、急拵えの関門だ。後数センチも掘り進めば、新市街への穴が開くようになっているらしい。それまで、今は待機だな」
しかし何故、外界と切り離すかのように、簡素とはいえ穴を囲む様に全面をコンクリートで囲う必要があるのだろうか、と俺は逡巡したが、空を拾った時のことを思い出す。
「……そうか、もし未知のウィルスや病原菌がいた場合、こっちに蔓延するのを防ぐ為か」
そして、その逆も考慮されている様で、検疫室の様な場所で、調査隊メンバーはそれぞれエアーシャワーと殺菌アルコールを噴霧され、無菌の状態になる。
調査隊メンバー、総勢48名が穴が開通する瞬間を今か今かと待ち構える。作業員の掘削ドリルが一段奥へと到達する度に、誰もが身を乗り出す。
興奮の熱か、それとも四方をコンクリートで囲んだ為の息苦しさか、妙な暑さを感じていた。
「阿方、少し良いか?」
と、他のメンバーと同様に掘削作業を見守っていると、賢木が俺を呼ぶ。作業員を囲む様にして見守る一団から少し離れたところで、賢木は医療部隊と思しき格好をした男と立っていた。
「アンタが阿方湊人か。俺は菱川夏樹だ。よろしく」
と、誰何する暇なく、菱川と名乗る男が握手を求めてきたのでそれに応えた。差し出された手は、想像よりも大きかった。
「ええと、それで……医療部隊の方と何を?」
「ふむ……この菱川という男がな、中々に面白い事を言うものでな。菱川、この阿方は信用できる、お前の話をコイツにも聴かせてやれ」
「……言われなくても、元々話すつもりだったさ。アンタの唯一の部下だし、それに、阿方のことはある程度知っている。何せ貧民街区出身の護民官なんて、そう多くはないからな」
「俺を知った上で信用できると判断して貰えるのは、いい噂が流れているということかな」
「少なくとも、富裕層に対する怨嗟の声よりはマシだな。それより、賢木には今しがた話したんだが、端的に言うと、俺は正式な医療部隊じゃない」
菱川と名乗る男の控え目な告白に対して、俺は疑念こそ抱いたものの、驚きはしなかった。
というのも、半ば自らが貧民街区出身だと言外で言っておきながら、医療部隊に所属しているのは少し考え難い。
貧民街区出身だからと言って、医者になれない、という訳ではない。だが、医療従事者ならともかく、正式に市から派遣を依頼される今回の調査隊に選ばれる程の医者ならば当然医師資格が必要である。
貧民街区にはそんな資格を持たないヤブ医者なら星の数ほど存在しているが、法の目が隅々まで行き届いている貧民街区以外の場所において、その資格を有する医者というのは悉くが空鳴市において唯一医学部の存在する乃木大学で先進的な医学を修めている。半端な富裕層ですら躊躇う程の学費を設定していることでも有名だ。
即ち、現状の空鳴市の社会システムにおいて、貧困者に医者を志す道は閉ざされていると言っても良い。
当然、自身が貧民街区と関わりがあるとほぼ明言した菱川も、俺がそういう予測を易々と立てているという予想は出来ていたようで、薄い唇の端を僅かに上げて笑みを見せると、俺の反応を窺うこともせず、言葉を続けた。
「法道という男からの依頼でな、賢木を護るように言われている」
「法道……?まさか、法道宗光か!?」
貧民街区で生まれ育った人間なら誰しも知る法道宗光という男は、その存在が善悪のいずれに属するのか判断に迷うところではあるが、少なくとも傑物なのは確かだ。
俺自身も、法道が根幹に根ざしていた革命的思想に対して悪感情は抱いていなかった。積極的に支持するという訳ではないが、だからと言って頭から否定する程、今の社会構造に満足している訳でもない。恐らく、貧民街区の人間の大多数は俺と同じスタンスで社会と接している筈だ。
とはいえ、法道宗光はこの都市において投げかけた一種の革命的エネルギーは、未だに地下深くで暴発する時を待っている。それだけの火種を作り上げた男は、中央犯罪局が拿捕する直前に、空鳴市を脱走した。
「ああ、何故か法道は賢木を気に入っているらしくてな。殺害計画が練られている事を知った法道が、俺を護衛として雇った訳さ」
「賢木……、お前は法道と知り合いなのか?」
とてもそんな素振りはなかった。あったとしても、賢木の計画の共犯者である俺には一言くらい欲しかったが、と思う。
だが、賢木にとっても法道から自身の存在を認知されていること自体が驚きに値する事実だってたようで、困惑した表情でかぶりを振った。
「私も、思い当たる節が無いんだよ。だから、法道の目的も思惑も分からず判断に困っているんだ。まぁ、いずれ会いたい大物の一人ではあるがね」
「……菱川、アンタの言葉が堂々過ぎる嘘って可能性もあるけどな」
とはいえ、その可能性は低いだろう。これだけ市民の耳目が集まる調査隊に、易々と潜り込める事自体、大きな力が背後に見え隠れしている。承認を下した市議会議員の誰かが、というのはリスク云々以前に、相互監視が強力過ぎてまず不可能だ。となれば、考えられるのは、医療部隊に選ばれる筈だった本来の医者を抱き込める程の権力を持つ者。
当然コトが終われば、自身の代わりに潜入者を潜り込ませた本来の医者はこの街には居られない。となると、その本来の医者の逃亡先と手段を用意出来る人間となれば自ずと法道宗光の糸が後ろにあると考えるのが妥当だ。
「勘弁してくれよ。こっちはかなりのリスクを背負って護衛しに来たんだぜ?まず信用してれねぇと、仕事にならねぇんだよ」
「ふむ……私を欺く為の告白にしても、このタイミングで身分を明かすのは流石に目的が分からないな。阿方、そういう訳で、取り敢えず私はコイツを信用することにしたんだ。それに例の件もある以上、信憑性は高い、と思うがな」
賢木は相変わらず、この胡乱な事態においても取り乱すことなく、むしろ何処か愉しげにしていた。
「例の件……武市護民官が銃を入手したっていうタレコミの件か」
言いつつ、俺は背後で今か今かと土壁の開通を待つ集団を一瞥した。
今回松永派閥から出馬したのは谷原議員である。その谷原議員が調査隊派遣に選出した二名の護民官は、武市護民官と彼の部下であるまだ年若い瀬名護民官であった。
「……兎に角、俺はアンタに死なれると苦労して潜入してるって言うのに、報酬はパーなんだ。可能な限り、集団行動をして欲しい。最低でも、俺の近くにはいてくれ」
「ふむ……新市街の様子にもよるが、恐らくそう私を殺す機会は無いだろうな。まさか、初めての接触だというのに、集団から抜け出して一人ウロウロする訳にもいかない。……それでも、法道が何か確証があってこの調査団で連中がコトを起こすと言うのなら、それは逆説的にある程度松永派閥は新市街について何かしらの情報を持っているという訳だ。少なくとも、私を人知れず殺せる機会を期待できる、というレベル程度にはな」
ううむ、未確定の情報が多過ぎる。少なくとも賢木の仮説には、想像に依るところが大きい。
しかし、少なくとも護衛を名乗る菱川という男が俺たちの目の前に現れた以上、今回の調査は、何事も無く終わるということは無さそうだ、そんな予感だけが、俺の脳裏に浮かんでいた。
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