第4話 扉の先 ③
医療部隊。
はて、俺に医学の心得なんかあったろうか。
少なくとも菱川夏樹という男——つまり、俺と言う人間の半生を振り返ってみても、そんな上等な技能を身につけた記憶は一切無い。
そんな事を考えていると、不意に目の前の男が大きな口を開けて笑い出した。
法道宗光という男に会うのには骨が折れた。
稀代の反骨者、法道宗光は空鳴市において、ある面においては英雄であり、違う面においては大罪人だ。
法道は長嶺市に身を寄せていた。永らく彼が、どのような手段を持ってあの厳重な都市間を繋ぐ連絡通路を通って逃亡したのか謎であったが、今回彼の手引きで長嶺に来た俺は合点がいく。
なるほど、これ以上無く単純な方法だった。思わず感心してしまう程には、盲点に近いものだった。
その方法について割愛するが、長嶺に入り込むために、俺はかなりの体力を使い果たしていた。
「空鳴市は未だにアンタの引き渡し要求を続けているぜ」
「おいおい、この法道様と面会して最初に言うことがそれかよ」
法道は長嶺市では相当良い生活を送っているようだ。一人住まいだというのに、空鳴市ではとても建てられそうに無い大邸宅を所有していた。
都市による市政の差異と言えばそこまでだが、噂に聞いていたより長嶺市は資本主義の色合いがより色濃く出ている。
「アンタこそ、いきなり何言ってんだ。俺が医療部隊に潜入?何でそんな必要が」
法道は蓄えた髭を指先で撫でながら、グラスに注がれている宝石のような赤い色をした酒らしき液体を飲むと、にやりと笑って歯を見せた。
「既に依頼内容は伝えてあるだろう?護民官賢木道枝の護衛だ」
それと医療部隊への潜入が繋がらないからこうして問いただしているのだが。
当然、法道もそれをよく分かっている。法道という人間は、こうして会話の節々を不明瞭にして相手の反応を見る癖があるようだ。
しかもそこに大した意味はなく、純粋な揶揄いにも似た愉悦が混じっている。
「お前はここに来る道中だったから知らないだろうが、空鳴市に隣接する形で新都市が見つかった。そして、賢木道枝はその第一次調査隊の一人として明日派遣される予定だ。俺の見立てだと、その新都市で賢木道枝は襲撃されるだろうな」
その情報は、驚くほど俺に衝撃を与えなかった。本来であるならば、数百年ぶりの珍事だというのに、それを当たり前のことのように受け入れていたのだ。
「……だから、俺はその調査隊の医療部隊の一人として乗り込め、と?」
どうやら、法道は俺が事前にその情報掴んでいるのだと、勝手に想像したらしい。一瞬、怪訝そうに俺を見ていたが、直ぐに飄々とした態度に戻る。
「何だ、頭は回るじゃねぇか。俺の預かり知らぬ所で、拳銃が一丁、空鳴市に流れ込んでいる。確実な手段を取るなら、新市街とやらで賢木は死ぬだろうな」
その流れた銃は、どうやら賢木を狙う為の物だと確信しているらしい。
しかし腑に落ちない点は、幾つもある。訊く順番を誤るな、とこれまで貧民街区で過ごしきた経験が半ば本能のように警告する。
「アンタはなぜ賢木の護衛を依頼する?そうするだけの理由があるのか?」
これは当然の疑問だ。仮に俺が途方も無く馬鹿正直な人間だっとしても、人を疑わない性格だとしても、当然抱く疑問だ。
「……アイツには、俺と同じ匂いを感じるんだよ。例えどんな手を使ってでも、真実を究明しようという意志を感じる」
「……それは、アンタが引き起こした例の大事件と同じ理由なのか?」
大事件?
と、法道は眉をぴくりと動かした。
「事件にすらならなかったじゃねぇか、アレはよ。既得権益を貪る上流階級に楯突こうにも、武器一つ貧民は手に入れられねぇ。奴らの言うルールに則っても、そもそも投票権が無いんじゃ、いつまで経っても貧民は貧民のまま食い物にされるだけだ」
「だから、アンタはクーデターを起こそうとした。労働階級の人間を抱き込んで、巨大な地下組織を作った」
「だが、テロ準備罪だとかいう、根も葉もない根拠で俺たちは壊滅させられた。銃だって一つもなかったのに、だ」
「今でも貧民街区の大多数はアンタを英雄視しているよ。アンタの作った組織も、幾つにも枝分かれして、立派な反社会組織に生まれ変わっている」
結果として、貧民街区の全てとは言えないが、少なくともそれで救われている人間がいることも確かだ。
法道は、何もしていない、と謙遜するが、少なくとも空鳴市からは重罪人として扱われているだけの理由はある。
「だが、俺はあの時上をひっくり返そうとしていた。だけどな、賢木はそこが違う」
「違う?」
「アイツは上も下も全てひっくり返そうとしてるんだよ。俺なんかとは、素質が違う。お前は訊いたな?賢木に与する理由があるのかと。俺と賢木の間には何一つとして関係性は無い。会話を交わした事も顔を合わせた事もない。だが、俺の勘が言っているんだよ」
「……」
「賢木は近い将来、空鳴市だけじゃなく、この地下世界全てを巻き込んだ、とんでもない事をやってのける女だとな。だから俺はいま賢木に全てのチップをベットしている。勝ち馬に乗りてぇなら、お前もアイツにチップを賭けることをオススメするぜ」
果たしてこの男は何を言っているのか。理論も根拠も何もかも滅茶苦茶じゃないか。
いや、法道のペースに乗せられるな。
俺はこの仕事のリスクとリターンをハッキリとさせる為にここへ来たのだ。
ただ命令されるままに行動して、言われるがままに金を受け取るのなら、それじゃ子供の遣いだ。
「アンタは、それだけの結論に至る根拠が当然あるってことなんだよな?」
「根拠?……こんな地下なのかどうかも分からねぇのに、便宜上、地下世界だなんだと断定しているこの世界で、根拠なんか何の役に立つ?」
「はぁ……わかったよ。取り敢えずアンタのことはよく分かった」
英雄でも罪人でもない。
コイツは狂人だ。
物事の基準を、大きく自分一人に依るところに深々と突き刺している。コイツにとっての常識は、歪みきったこの世界においては、卑しいほどに健全すぎるのだ。
狂人らしい純粋さとも言える。
「……で、どこのどいつだ?賢木を狙ってるのは」
「松永派閥……それも、恐らく武市護民官だろうな」
十中八九、その考えに間違いはないと断じていそうな口調の法道ではあるが、俺はその名前を聞いても、賢木に対する確執があるとは到底思えない。
私事であるならば別として、一方は護民官を代表する市民のスーパースター。もう一方は、独立しているとは言え、吹けば飛ぶような弱小護民官である。
と、そこまで考えて俺は奇妙さを感じた。
いくら当選する可能性が薄いとは言え、何故友永議員が自身の協力者として賢木を選んだのか、という点になる。
出馬する議員からしてみれば、例え選挙期間限定であろうと契約遂行上、自らの手足となってくれる護民官は、選挙基盤と同じ位に重要なポストを占める。
どの護民官が後ろ盾をしているか、で投票数が大きく変動することすらあるのだ。
その点で言えば、武市護民官は間違いなく、票を持つタイプの護民官に当たる。武市が味方をするならば、その議員は有能なのだろう、と世間は判断するからだ。
故に、賢木には何かがあるのだと確信した。
それは、法道が一人で騒いでいるのとは訳が違う。
友永議員が選出する程の何かを持っているという事実は、間違いなく非凡な何かを賢木が秘めているということの証左になるのだ。
それを思うと、武市護民官が禁忌である銃を持ち出して賢木を始末しようとすることにも、一抹の信憑性が帯び始める。
「だが、そんな危険な橋を渡ってまでして、賢木を殺すことに、どんなメリットがある?」
「まだまだ若いなお前は。人が危険を冒すときってのはなぁ、それを行うことで得られるメリット何か関係ないんだよ。それを行わなかった事によるデメリットの方が重要なんだ」
「……賢木は何かを、武市護民官が恐る何かを知っている……?」
「或いは、その何かに手を掛けている、のかもな。拳銃はパーツ毎に分解されて、輸入嗜好品に混じって走狗党に渡される予定だった。ところが、松永派閥の息のかかったアケビ一家と揉め事を起こして、そのどさくさで銃が消えたと言う。状況証拠的に、アケビ一家を動かして、松永派閥は銃を盗み出せる状況を作り出したんだろう」
「その口ぶりだと、銃自体はアンタが走狗党に売りつけたと考えられるだが」
「ああ……走狗党は、今少しずつ銃火器を溜め込んでいる。来たるべき下剋上の時を虎視眈々と狙いながらな。俺の意思を受け継いでるんだ、子供の支援は親の仕事だろう?」
ニヤニヤと、意地汚い笑みを浮かべる法道だったが、露骨過ぎるほどに露悪的な態度は、却って俺の警戒心を弱めさせている。
走狗党が銃火器の類を妙厳市から長嶺市を経由して買い集めていた事は噂で聞いていたが、それは反社会組織同士のいざこざではなく、政府そのものに向けた物だとは思っていなかった。
「あの連中に大層な政治的思想があるとは思えねえけどな」
走狗党は、表向きには貧民街区の互助組織として活動しているのは知っている。だが、アケビ一家のように何処ぞの政治組織と繋がっているという話も聞かないし、政治的活動をした記憶もない。
乾坤一擲、まさにたった一度の機会を窺って息を潜めていたとするのなら、素直に走狗党の堅固な一枚岩っぷりには脱帽せざるを得ない、が。
(あそこの若い連中を見ても、そこまで高尚な考えがあるとも思えないな)
「まぁ、走狗党はどうでもいいんだが、そこでアケビ一家を動かしてまで、松永派閥が銃を掻っ攫ったという確証は?」
「まず一つは、松永派閥と繋がるアケビ一家に、独自で銃を調達出来るルートがないということだな」
「そりゃ確証ではなく、動機だろう」
「いいから黙って聞け。もう一つが、賢木が黒江元市長の秘蔵っ子だという事実だ。現役時代、派閥を作らなかったどころか、派閥政治そのものを否定していた黒江唯一の弟子だ。それだけで、松永派閥から狙われる理由になる」
「……それも動機に聞こえるがな」
世間的には松永派閥のトップ、松永長政は黒江元市長を敵視していたというのは、ある程度誰もが知る事実である。
とは言え、それは敵対視しているというだけで、殺す殺さないまでの血生臭い話には繋がらないはずだ。単なる職務上の関係に過ぎない、と俺は考えていた。
「それでも危険な橋を渡って俺に会いに来たんだ。仕事を拒否する気は無いだろう?」
「だからこそ、依頼のリスクを確認しに来たんだ。……まぁ、本物の法道が後ろ盾になるならこの仕事はある程度信頼できる」
「成る程、ただの捨て石にされることを警戒した訳か。そういうところは、評価できるぜ」
法道は心の底から本当にそう思うかのように、揚々とグラスを掲げた。
そこから、明日行われる調査隊への潜入の段取りを法道は説明した後、他愛もない話を長々と喋り始めた。
この陽気な男が、まさかかつて大規模なテロを画策していたなんて、誰が想像出来るだろうか。
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