第4話 扉の先 ②
「では、我々は新市街の行政府の生産設備を重点に調査するということで良いですね?」
「え、ええ。正直、私は父の跡を継ぐに足る政治家だということを世間に伝える為だけに出馬を表明しました。父の地盤を受け継いでも良い政治家だと、父の後援会にアピールするだけの予定です。であるから、まだ三十代の若造である私が市長などと大それたことは夢にも思ってませんでしたよ」
あの弱気な友永議員が出馬表明したというだけでも、私からすれば驚きだった。
しかし、彼の父親である友永栄治が擁していた代々友永系列を後援する地盤は、この若き友永家の代表に対して冷たい目を向けているらしい。
どうやらそれは、彼の選挙基盤をゴッソリ掠め取ろうという松永派閥の思惑が絡んでいるらしいというのは知っていた。
対抗馬の谷原議員も松永派閥として中核を成す存在であるし、年齢も五十を幾つか過ぎて政治家としては最も脂の乗った年齢だ。
代々政治家を輩出し続けた友永家といえども、その棟梁がまだ経験の少ない若輩とあれば、老練な議員達の格好の餌食になるのは目に見えている。
(ま、手をこまねいて見ている訳にもいかず、こうして市長選に出馬するという手を打った訳だが……)
ハッキリ言うと、ここで彼の出馬は悪手に過ぎない。向こうみず、という悪評そのものもあるが、何より自らの選挙基盤を護ることに固執して、現実的な公約を掲げることすら出来ていないのだ。
これでは長年友永系列を応援してきた後援会も、呆れてしまうだろう。
選挙で重要とされる三バンの内、友永議員は、地盤を失いつつある。他の二つである看板……つまり知名度は余り高くなく、鞄と呼ばれる資金力に関しては派閥に対抗するなら決して余裕があるとは言えない状況だ。
これらの観点から、私は彼の専属護民官として苦心に苦心を重ねた。
当選は二の次に、友永系列の看板を継ぐに足る器であることを全面に押し出したアピールを徹底し、大手が関心を寄せない中小規模の業界団体にも十数年後に芽が出ることを祈り献金を行った。
(これで少なくとも、『私の計画が空振りに終わった』としても、友永議員の地盤がこれ以上悪くなることは無い)
と、思った矢先の新市街騒動であった。
これには普段は鈍臭く温厚な友永議員も絶好の機会と踏んだのか、早々に私を呼び出した。
「他の調査隊が新市街の行政府に対して何らかの交渉を重ねている隙を窺って、空鳴市には無い生産設備を持つ民間企業、或いはその公的事業の総責任者と交渉を開始して欲しい」
とのことらしい。
「これで、もし交渉が成功すれば、これ以上無い選挙へのPRになる」
と、自信満々に胸を張る友永議員に、私は心の中で溜息をついた。
「もし仮に、新市街に水資源の生産設備があったとします。それが露見すれば、我々だけではなく、他の議員から派遣されている護民官達も当然目を付ける筈ですよね」
「ああ。だから、賢木さんには何処よりも早く交渉を開始してもらいたいんだ」
「これは速さの問題ではありませんよ。もし我々が民間企業であるならば、当然速さと交渉材料の問題にはなります。ですが、こちらが何を差し出せるのか、という部分に関しては政府の看板を背負う我々はどのみち議会で議論しなくてはならないのですから速度も意味を為しません。では、相手方の立場に立ってみましょう。新たに接触してきた都市から続々と水を融通してくれと交渉して来る人間が来た。そのどれも、条件は変わらない。だとすれば、彼らはきっとこう判断するでしょう」
「……」
「最も市政で重要なポストを占める人間に恩を売りたい——と。そうなってくると、次の市長選で我々に勝ち目がないと早々に調べられ、別の議員の手柄になることは目に見えてますよ」
正道を堂々と歩むことが出来るのも、或いは王道を粛々と占有することが出来るのも、全ては実力者だけの権利なのだ。
我々のような力無き存在は、どうにかして陽の当たらない邪道から活路を見出すしか無い。
政治家子息として何不自由無く育った友永議員には、そういう感覚は非常に薄い。
何というか、望めば大抵のことは叶えられた人生故に、今この逆境は彼にとっては厳しい環境なのだろう。
しかし思えば、彼が政治家として成熟するまで保護する筈だった父は早逝してしまい、長らくその父を中心として組織されていた友永派閥というものは彼の息子を無いものとして、ナンバー2であった
(経験や勝負強さはまだまだ未熟だが、地頭は良いし、政治家らしからぬ誠実さや篤実さは市民受けは良いだろう)
少なくとも、彼の頭髪が薄れ始める年齢にはそこそこの地位につけるだけの能力はあると、私は確信している。
だからこそ、彼に邪道めいた方策を取らせる事には引け目を感じたが、それでも、友永議員のバックアップを行う護民官という立場を鑑みると、彼が市長になる時期は早ければ早いほど私にとってはメリットがあるのだ。
その為には、彼には正道や王道などという光の当たる道を歩んでもらっては困る。
「では、どうすれば良い?」
「今回、市長選で出馬を表明している議員は七名おりますが、その内、真っ向から争って勝てると思うのはどれ程いるかお考えですか?」
「ううむ……なかなか手厳しい事を訊くなぁ。まず真っ先に無理だと思うのはやはり谷原議員だろうな。もし彼が出馬しなければ、父の代から懇意であった建設業界団体の票は私に流れてくれる……と思うが」
と、自信なさ気に語る友永議員に、私は懇切丁寧に教導するかの如く、言葉を促す。
「では、その建設業界の団体が我々に投票してくれたと仮定すれば、他の議員に勝てますか?」
「いや、そうなってくると、谷原議員が抱える糧食公社系の組織票は消費関連の減税を唱える鹿目議員に流れるだろう。そうなってくると、票を分散させていた小売と仲買関連の団体票は足並みを揃えて鹿目議員に流れる筈だ」
ふむ。
中々に状況を俯瞰して観れている。
私はまるで教え子に接するかのような感覚で安堵する。
では、と再度私は問い掛ける。
「ならば、鹿目議員が失脚すると?」
「……残った四名は確実とは言えないが、対策さえ立てれば勝てる見込みはある。あまり父の威光を笠に着たくは無いが、鹿目議員の要する鹿目派閥に接近していた樽橋派閥は再度私の方を向かなくてはならなくなるだろうし、二世議員としてのネームバリューが活きてくる……と思うのだが」
やはり、というか、何というか。
まだまだ詰めが甘いと感じてしまう。確かに残る四名の立候補者は、下馬評では我々と同様に殆ど期待されていない木端議員である。
だが、樽橋派閥が功利的選択よりも人心的確執を採択する可能性も考慮していないし、何より彼の論理では失脚した議員から流れてくる浮動票を労せず手に入るものだと考えている。
確かに何もしなければ入ってくる票ではある。だが、それは対抗馬が手をこまねいて見ていた場合に限るのだ。
(——とはいえ、そこは今指摘しても栓の無いことだな)
私は友永議員を見据えながら、秘書が私に出したコーヒーを一口飲む。
「もし本気で勝つ気があるのでしたら、良き方策がございます」
私の言葉に素直に喜色を表した友永議員は無邪気にそれを聞き出そうと身を乗り出した。
そこには純粋な可愛げがあるし、何処か素直に応援してやりたい気持ちも湧いてくるが、同時にこうも思う。
時には自身が依頼した護民官であろうと駆け引きというのは必要になる、ということをまだ理解出来ていない、と。
まだ私が相手で良かったのかもしれない。護民官に手酷く裏切られたケースなんてものは、古今数え切れないほどあるのだから。
私は答えを急かす友永議員の目をじっと見て、静かに答える。
「——それは、谷原、鹿目両議員に選挙の舞台から降りてもらうことです」
ギョッとした様子の友永議員と対照的に、私はきっと悪辣な笑顔を浮かべていたのだろう。
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