第4話 扉の先 ①

 友永議員から正式に賢木護民官事務所に依頼が来たのは、臨時議会のあった日の夕方だった。

 どうやら、賢木の予想通り、時期的な観点から見て選挙そのものに不公平が無いよう、市長選挙立候補者は各自二名の護民官を指名する権利が与えれたという。

 それぞれが選挙戦を有利に進める為の情報の収集を護民官達は任される訳だ。それとは別に、議会から正式依頼を受けた市選護民官が三名、学術調査員が五名、護衛として警察機構から独立して久しい治安維持軍から十数名が同行する。

 総勢五十名程度になる大規模な調査隊だが、新都市——臨時議会では、仮名として『新市街』と名付けられた——の統治機関からの回答や反応によっては調査を中止或いは調査隊の人数を減らすなどの臨機応変な対応の必要も考えられる。

 しかし、市議会の主眼は新市街からどんな情報を得られるか、どんなメリットを空鳴市に寄与できるか——といった、単純明快な目標からは外れ始めている。

「明日行われる第一次調査は、都市連合の回答を待たずして行う、謂わば空鳴市が単独で行える最初で最後の調査になる。もし、新市街の行政府が我々に友好的であるならば他都市よりも早く外交を行う下地を作りたい」

 という、地下世界におけるパワーゲームの優位性を得る為の調査が主眼になろうとしていた。

 都市間並びに議員間での優位性を争う渦中にいる調査隊にとっては、調査そのものよりも気を配らなければならないこの事態は、まさに頭の痛い状況だろう。



「とはいえ、空鳴市に隣接する長嶺市以外の都市の存在価値は計り知れない。空前の好景気は十分に期待できるが、一方でコミュニケーションの齟齬や文化的・宗教的思想の不和で軍事衝突なんてこともあり得る」

「それは……随分と後ろ向きな考え方だと思うな。護民官さんよ」

 中央犯罪情報局は、中央区の行政区域の一角に大きなビルを構えていた。警察機構の一部門に過ぎないというのに、こうも巨大なビル一棟を与えられているという点に、俺は中央犯罪情報局がこの街の治安維持にどれだけ寄与しているのかを形としてまざまざと見せられている気分にもなった。

 その建物の一室で、俺はドローンが撮影した映像一つ一つを五十嵐と点検しながら、新市街を話のネタに会話に花を咲かせていた。

「俺ら庶民からして見れば、新市街はユートピアみてえなもんだ。停滞して鬱屈した今の現状を打破できる、分かりやすくて効果的なイベントのようにメディアも報道してるからな」

 五十嵐は言いながら手元のリモコンを操作して、別のドローンの映像に切り替える。

 白いモヤのような物が立ち込めたかと思うと、直ぐに辺り一面の視界が不明瞭になる。

「しかし……調査隊派遣は明日なんだろ?いいのか?前日だっていうのにこっちの事件にかかりきりで」

「前日だからと言って、特別準備も無いしな。手持ち無沙汰になるのは嫌なんだよ」

「そりゃ難儀な性格だこと」

 五十嵐は呆れたように笑う。

 すでに六台目のドローンの映像に切り替わっている。分かったことがあるとすれば、映像に映る白いモヤは、ドローンがとある地点に差し掛かると発生するということだった。

 とはいえ、夜間の映像は暗視カメラによる録画なのでそもそも映像自体が少し見難いというのもある。

「これは現場から数キロ離れた高高度から鐘楼区広域を監視していたドローンの映像だが……、霧が発生していたと思われる同時刻、このドローンからは現場付近に霧を確認出来ない」

 映像の端に小さく映る部分は、淡い街灯の光をチラチラと映すだけで、特別何か濃霧が掛かっているような雰囲気は無かった。

「……で、通過すると映像にモヤが掛かってしまう地点だが」

「そりゃ、見ての通り鐘楼塔だな。塔の上層付近を通ると、モヤが映像に現れる」

 そこに何かドローンのシステムを妨害するような電波装置でも置かれていたのだろうか。そう考えていると、俺の考えを読んだかのように五十嵐は自身の推測を口に出した。

「解析班はドローンが外部からハッキングされた形跡は無いと断定している。そもそも、スタンドアローンでの運用がされているドローンシステムに介入できるだけの技術があるなら、ドローン全てに同様の仕掛けを施すと思う」

 丁度、鐘楼塔の付近を飛んだドローンの映像に切り替わる。鐘楼塔の上部に設置された鐘が、遠くの街灯の僅かな光に照らされてキラキラと不明瞭ながらも光を反射したかと思うと、瞬間、白いモヤが画面を覆い始めた。

「成る程。で、アンタの推理の結論は?」

「——理屈は分からんが、恐らく俺たちが想像するよりも原始的な手段が用いられたんじゃ無いか、と思う」

「原始的な手段?」

「善は急げ、だ。俺はこれからそれを確認しに行く、アンタも同道するかい?」


 区域の名前の由来になるだけあって、鐘楼塔は空鳴市においても目立つ建造物の一つであった。かつては、市内で一番高い建物として存在しており、市名を決める際に鐘楼、という単語も候補に入っていたことから、市民達にとっては鐘楼塔そのものはこの街のシンボルとして永らく認知されていたに違いない。

「何百年か前は、正午を知らせるために鐘を鳴らしていたらしいが……」

 五十嵐は鐘楼塔を見上げる。

 今は重要文化財として、内部への立ち入りは原則禁止されている。用意周到な五十嵐は、いつの間にか管理者用の鍵を持っていて、塔内部へと繋がる重厚な扉の錠を開けた。

 ひんやりとした空気が流れ出る。少しカビ臭い匂いが鼻をついたが、五十嵐は気にせず内部へと入り込んだ。

「……老朽化してるから、特に湿度には気をつけろって言ってあるのにな」

 ぼやくように五十嵐は呟く。

「……ここの管轄は情報局なのか?」

「いや。重要文化財は市長府が担当している。とはいえ、どうせ四六時中管理なんて市長府には無理だからな、見回りや修繕は区域の担当警察署が行っている」

「では、塔の鍵はそこが?」

「ああ。とは言っても、鍵は見た通り簡素なものだ。錠前を壊さず解錠なんて、時間をかけりゃ幾らでも可能だ」

 塔の内部は螺旋階段となっている。内壁をそうように上下に階段が伸びていて、首が痛くなるほどに見上げないと天井は見えてこない。

 逆に地下側にも螺旋階段が伸びている。とはいえそちらはものの2メートル程度降りれば底に着く浅さだ。

「そこの地下の扉の先は?」

「ああ……お前さんは受領壁って知ってるよな?」

「まぁ、学校でも習ったしな」

「なら話は早い。そこは当初、受領壁から受け取った物資を保管する格納庫だったみたいだ。んで、市内に物資が広く行き届いたんで、永らくその扉は開くことが無かった。そんで気づいた時には蝶番が完全に錆びついて、開かなくなっちまったって訳だ」

「へぇ……錆くらいなら無理矢理扉を壊して中に入れるだろ?」

「言ったろ?この塔は市でも数少ない重要文化財だ。正当な理由でも無けりゃ、無理矢理扉を開くなんて無駄さ」

 今現在の受領壁の担当としては気になるところだったが……、確かに開けたところで腐った保存食やボロボロになった衣服が出てくるのがオチだろう。

 少し後ろ髪を引かれるような思いだったが、一瞥に留めて俺は階段を登る。


 かつて市内で一番高い建造物だけあって、上まで登ると市内が一望できる高さにあった。

 特別珍しくもない景色だったはずだが、何故かその光景に目を奪われていると、風を切るような、それでいてどこか滑稽な、ブーンという音が聞こえてくる。

 目を向けると、例の監視用ドローンが甲斐甲斐しく通過していく。

 床に視線を落としてみるが、特に不審な跡は残っていない。

「無駄だ。この鐘楼塔は年に数回、市内の学童向けに開放されるんだが、最後の見学は一週間前だった。埃なんて物は吹き飛んでるから、足跡なんか残ってないだろうよ」

「だが、アンタは何か残っているかもしれないから足を運んだんだろ?」

「塔の内部には監視カメラがないからな、何者かがここに潜入してドローンに何か仕掛けを施したにしても、監視ドローンの目を盗めば数秒足らずでここまで見つからずに忍び込める」

「それで、ここからドローンに何をしたんだ?」

 言いながら、俺は眼下に視線を向ける。死体が発見された現場もここからならよく見えた。

「さぁな……だが、モヤのかかったドローンの巡回ルート上で共通している場所はここしかない」

「……無駄足にならなければいいんだがな」

 言いながら、今度は鐘そのものに目を向けた。

 燻んだ鈍色のそれは、軽く叩けばまだ重い音を出すが、既にその役目を終えて数百年が経過しようとしている。

「塩谷法徳という物書きが言っていたな。理路整然と何一つ面白味もなく、何かに追われるようにして切羽詰まったこの街において、不合理な存在だと言わざるを得ない鐘楼等はこの町で一番目を引く存在だと」

「……しかし、土地も少ないってのに、未だにこんなもんを保存して何の意味があるのかね」

「空鳴市の数少ない文化財だ。現実的な問題とは切り離されて考えられているのさ。実際、鐘楼塔の過保護っぷりは凄いぞ。天候局はここの真上に雨が降らないようにしている位だ。要するに雨水での劣化はしていない筈だ」

「鐘そのものは錆びついて、鈍色になっちまってるがな」

「文化財に指定される前からその状態だ。仕方ないだろう……」

 と、五十嵐が言いかけたところで、俺は何か引っかかる。

 果たして何かおかしい部分はあったのだろうか。自問自答してみるが、これまで不審な部分など見つかっていない。

 とはいえ、こういう時に何かを感じるというのは大抵何かを見落としていることが多い。

「……どうした?」

 五十嵐が急に黙り込んだ俺に声をかけるが、俺は何かを思い出そうと必死になり、それに応える余裕はなかった。

「……そうか、あのドローンの映像……!!」

「あ?あの映像に何かあったか?」

「あのドローンの映像だと、鐘は街の灯りを反射していた……だが、実際は錆びついて光なんか反射出来やしないよな?」

「そうだったか……?いや、確かに言われてみれば、鐘が何かの光を反射していたような気がするな」

 それがドローンの映像の不調に繋がるかどうかは別だが、確かにあの時間帯に鐘楼塔ではいつもと違う何かが発生していたのは確実だ。


「それなら、何故あの鐘は光を反射していた……?」

 それこそが、ドローン映像の白いモヤの正体に違いない。

 俺はそう確信していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る