第3話 平穏の終わり ⑤
空鳴市には、二つ慰霊碑がある。
一つは、まだ掘削技術が未熟だった時代に外壁拡張工事の落盤事故で亡くなった人々を祀るもので、空鳴市南西部の蔵旗区にある大規模植物工場の裏手にひっそりと鎮座している。
もう一つは、受領壁の鉄籠の行先を調査する為に選ばれた調査隊を弔うものだ。
正式に死を確認された訳では無いが、過去五回派遣された受領壁調査団は、たった一人の例外無く、戻ってくることは無かった。
慰霊碑には、その五度派遣された調査団の隊員の名前が連ねてある。
第一次調査団は、およそ600年前に派遣され、最も新しい第五次調査団は十五年前に派遣されている。その黒壇の慰霊碑には、総勢六十五名の名前が彫られてあり、その下から二番目に、親父の名前が人目を避けるように小さく残っていた。
受領壁調査団の慰霊碑は、受領壁もある北奥区の市民会館の敷地に佇んでいる。
土地の少なさから墓を建てることのできない空鳴市において、こうして墓のようなものを作ってもらえるのは運が良いと言えるのだろう。
普通、死ねば貧民であろうと市長であろうと、中央区にある弔却場で遺体は処分され、遺骨で作成された遺札と呼ばれる手のひらに収まるサイズの札となってあとは遺族の元に帰るのみだ。
そういう事情もあり、例え遺体の無い慰霊碑であろうと、俺は遺札が無かろうと、弔う場所があるというのは心の支えになっていた。
朝方である。天候管理局が僅かに街の上部に設置された照明の灯りを弱く灯し始めている。
照明器具の寿命により、空鳴市に永遠の闇が訪れることを恐れた百数年前の市議会が諏訪工業社に依頼し、天候管理局との共同計画として天井照明の一斉点検が行われたが、照明の寿命はおろか、それがどのようにして延々と輝き続けているのかすら終ぞとして解明できなかったという。
そんな曰く付きの街の太陽は、薄い白色の灯りで町を照らし始めた。
親父の好きだった銘柄のタバコは、こうして弔う時だけ吸う。根本的に好みの合わなかった親子だったが、その違いが、確かにこの世に親父が生きていたという証左に思えた。
「……やはり、ここにいると思ったよ」
咥えたタバコが半分程灰となったところで、凜とした声が聞こえた。耳朶に心地良い声だった。
「親父と違って、無事戻って来れる可能性のある調査だがな。何となく、足が向いた」
と、訊かれてもいないのに言い訳がましい返事をすると、賢木は軽く笑った。
「道雪さんは立派な護民官だった。それこそ、黒江先生も政敵のお抱え護民官ながら、認めってらっしゃったよ」
阿方道雪、というのが親父の名前だった。どういう経緯で護民官を志したのかは知らないが、聞くところによると、長嶺市に対する折衝外交において、長らく悩みの種であった水資源における輸出入制限の撤廃を果たしたという。
それだけの功績があった親父が何故、生きて戻ることが難しいと分かっていた受領壁の調査隊に志願したのか。
「賢木は、俺が親父の息子だから、採用したのか?」
「……さて、どうだったかな」
はぐらかすように言うと、俺の胸ポケットからタバコを一本、ヒョイとくすねた。
「道雪さんは五号が好みだったのか。成る程、君とは正反対だな」
と、苦々しい顔で呟いた。賢木にとっても、五号タバコは好みじゃ無いらしい。
因みに、空鳴市創立から自動で生産を続けているタバコ工場だが、その生産ラインナップには1から5までの等級がある。違いは含有するタールの量であり、要するに5号は最も吸いごたえが強く、それ故に人を選ぶタバコとなっている。
「……で、足柄紡の方は?」
「ん……一応、怨恨の線から彼女と親しかった人物のリストを作成した。担当刑事の五十嵐さんの方は、彼女の端末の履歴から最近不審な出来事が無かったか調べているみたいだ」
「問題はドローンの方だな。原因不明の濃霧は、ドローンの問題か、それとも天候管理局の仕業か」
賢木は顎に手を当てて考える仕草をする。確かに、死体発見を遅らせたあの濃霧の正体を突き止めなければ今回の事件の解決の糸口は見つからないだろう。
「市長選挙に新市街調査、それから殺人事件……。随分とやることが増えちまったな」
「なに、護民官事務所としてはやるべき事が多いのは良いことだよ。さて、そろそろ事務所に戻ろうじゃ無いか。市議会で今回の新市街発見の件について、あと3時間程度で臨時会議が行われる筈だ。友永氏の会議結果報告を待とうじゃないか」
賢木はそう言うと、持っていたハンドバッグから、5号タバコの箱を取り出すと、慰霊碑の前に置いた。
どうやら、元からここに立ち寄る気だったらしい。でなければ、供え物なんて事前に用意する筈はないだろう。
とはいえ、俺の親父と賢木はこれと言って接点は無いはずだ。それこそ、今まさに会話の中に出てきた程度の関係性しか無いだろう。
と、なるともしかしたら慰霊碑に刻まれた名前の中に、賢木に関係する人の名前があるのだろうか。
既に踵を返して歩き始めた俺は、そんなことを考えて振り返るが、既に文字は見えない位置にまで来てしまった。
諦めて、俺は賢木と共に市内をぐるりと回る、ケーブルカーゴの駅へと向かった。
賢木護民官事務所のある中央区には、市内に複数ある地下居住区への連絡通路がある。
早朝ということもあり、多くの労働者が出勤のために連絡通路から出勤してくる姿を横目で見ながら、俺たちは事務所へと戻った。
空はどうやらまだ寝ているようだ。
「君も寝たらどうだい?どうせ寝ずに受領壁の確認の時間まで事件の調査をしていたのだろう?」
「そういう賢木こそ、寝てないんじゃ無いか?」
「私は十分睡眠をとったさ。新市街の一件のおかげで、市長選の為の情報戦は今の所休戦状態だからな。どこの陣営も、今は様子見で動いてない。久しぶりに十二時前にはベッドに入っていたさ」
確かに、友永議員から依頼を受けてから慢性的に寝不足気味だった賢木の目からクマが消えている。
どうやら本当に昨晩はたっぷりと眠れたようだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
もはや俺の仮眠用ベッドに成り果てている革張りのソファに横になる。
直ぐに眠気は襲ってきた。抗うことなく、身を任せると、あっという間に寝入ってしまう。
慰霊碑を訪ねたものだから、何となく、昔の夢を見るのかな、と思っていた。
だが不思議と、夢を見ることはなかった。
「……ああ、そうか。七緒の所にも要請が来たか」
何時間ほど眠っていただろうか。
賢木の話し声に、うっすらと意識が覚醒していく。余程深く眠っていたらしく、身体の気怠さは消えていた。
「あ、起きた」
目を開けると、空が俺の顔を覗き込んでいる。そういや、いつの間にか空は敬語を止めたな、とどうでもいいことを考えながら上体を起こすした。
窓の外は眠りについた朝方と対して明るさは変わっていなかった。はて、ものの数分で目を覚ましてしまったのかと思ったが、よく見ると雨が窓を打ちつけていた。
そうか、今日は雨の予定だった。
「今は何時だ?」
「うん?えーっと、今は十二時過ぎだね」
空はどうやら端末を貰えたらしく、まだ傷一つついていない端末の画面で時間を確認した。
「今朝方、七緒さんから送られてきたの。この街で暮らすなら必要だろうって」
成る程、それで賢木が珍しく妹の七緒に電話している訳か。
どうやら気を遣わせた礼を兼ねて、連絡しているようだが、どうもただの社交辞令だけで、通話は終わらなかったらしい。
妙に険しい顔をして端末越しで七緒と会話している。
「端末でニュース見れるだろ?ちょっと見せてくれ」
「ええ?自分ので見てよ。私、まだ設定終わってないんだから」
空はそう言うと、ぷい、と横を向いて端末の設定をいそいそと始めた。
仕方ない、と俺は机の上に置きっぱなしだった端末を起動して、ネットニュースを開く。
やはり、予想通りニュースは新市街の報道で持ちきりだった。
となると、どうやら一般市民向けの会見は既に終わったようで、流し読みしたネット記事によると、市議会が選出する五十名規模の調査団を近く派遣すると書かれている。
既に報道の熱は発表された事実だけではなく、予測や憶測が飛び交う段階にまで達していた。
「なになに?新市街の住人は既に地上へと抜け出している?おや、こっちは既に戦争のカウントダウンは始まってるなんて過激なことが書いてあるな」
失笑しながらそんな三文記事を眺めていたら、いつの間にか通話を終えた賢木が俺の端末の画面を眺めて記事の見出しを読み上げた。
「臨時議会が終わったんなら、起こしてくれても良かったんだが」
「結局大したことは決まらなかったからな。わざわざ君を起こすようなトピックスは無かったよ」
賢木はどこか冷めた口調で答える。どうやら、彼女の予測以上に会議は遅々として進まなかったようだ。
「で、いつ調査隊が派遣されるんだ?」
「早ければ二日後だろうな。何せ水利権を揺るがしかねない事態に、長嶺市が大慌てしているらしいからね」
「というと?」
「今回の件、空鳴市だけでは無く、都市連合として調査するべきだと言って来てるみたいだ。実際、都市連合会議の開催を求めて各市に要請を出している」
「そりゃ当然、横槍は入れてくるだろうと思ってたが、動きは早いな」
「あっちは、ウチと違って合議制じゃないからねぇ。上意下達が徹底してて羨ましいよ」
「いやいや、今の赤座市長が十期連続で当選してるだけで、あそこも一応は合議制でしょうよ」
とはいえ、賢木が半ば羨むような冗談を口にする気持ちも分かる。長嶺市長である赤座円弧の類稀なカリスマ性が、それ程までの強権の行使を可能にしている。
「まぁ、そういう訳で、他都市が本格的に口を挟んでくる前に、第一次調査は早い段階で強引に行うこと方針になった」
賢木はそう告げる。
長嶺市の出方によっては、もしかしたらもう一悶着あるかもしれないな。
ふと、俺はそんなことを考えた。
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