第3話 平穏の終わり ④

 護民官というのは、やけに慌ただしい仕事らしい。

 私が目覚めてからというもの、賢木道枝も阿方湊人も二時間と事務所内に落ち着いた試しが無い。とはいえ、目覚めてからまだ二日しか経っていないので、今この時期が特別忙しいだけなのかもしれないが。

 二人が私の存在を世間に隠匿しているのは、知っていた。どうやら、受領壁という、この街最大にして最古の不可思議な存在に関わっているというのが、理由のようだ。

 私としても自身の出自が気にならない訳では無いが、持ち前の気楽さというか淡白な考え方が、私自身への興味を希薄にしていた。

 目下の興味と言えば、手持ち無沙汰で暇な時間の潰し方を考えることだった。

「散歩でも……」

 と、窓外を見てみるが、見知らぬ土地を一人で出歩く勇気が無いのか、それとも億劫なだけなのか。

 多分そのどちらもなのだろうけど、散歩という単語を口に出しただけで、外出する気分は萎えていった。


 違和、というには私の知識は曖昧過ぎた。

 何かが変だ、としか思えない。

 だというのに、何と比べて違うのか、私の思う正常さとは何なのか。

 それが分からないのだから、結局、言葉にならないモヤっとした感情を飲み込むしか無い。

 とはいえ、分かることもある。例えば、普段使いされている日常品の数々や、飛び交う言語、生活様式と倫理的・道徳的常識。それらの多くに、私は自然と馴染むことができている。

 要するに、記憶を失う以前、それこそ骨身に染み付いた物と今の環境は、ほぼ合一であることを意味しているように思う。

 だが、ところどころで感じる矛盾にも似た違和は、少なくとも地下世界に住み続けていると言う環境には、私は不自然さを感じている。

 それは、同時に私は空の下で生きていた証のような気もしていた。

「……とはいえ、本当にこのままでいいのかなぁ」

 と、呟いてみる。


 外に出る術のないこの街は、当然のことながら、市民の全ては管理されている。

 管理社会と言えばネガティブなイメージにはなるが、この僅かな資源しか持たない地下世界にあってはそれは当然であると思う。

 今読んでいる新聞紙にしたって、端の方に大きくこれ見よがしに「本紙は100%再生紙を利用しております。限りある資源を守るために、市民の皆様はお住まいの区画のルールに基づいた処分をお願いします。尚、資源管理法の違反者を目撃した場合は最寄りの警察署へご連絡お願いします」と、書かれていた。

「資源管理法……」

 私は賢木から渡された端末を手にして、検索を掛けてみる。

 拍子抜けだったのは、やはり名称からなんとなく想像の付く内容のもので、要するに限りある資源を何とか循環し再利用しましょう、という感じだ。

 目を引いたのは、それが刑法に当たるという重い罰則を課しているところだった。量刑になるが、最大で禁錮50年の判例もあるらしい。

 その厳しさに、空鳴市——引いてはこの世界の余裕の無さを窺い知る。


「ほぉ?この世界の勉強か?関心なことだな」

 ソファに寝転がりながら、そんなことを調べていると、声がした。

 声は聞き覚えがあったので、のそり、と我ながら緩慢とも思える動きで座り直して振り向くと、支倉七緒がそこに居た。

「あ……支倉さん」

「七緒でいいよ。悪いが、その名字、嫌いなんだよ。で、姉貴は?」

「賢木さんですか?出掛けましたよ?」

 と言いながら、ふと二人は姉妹だというのに、名字が違う事に気づいた。どちらかが結婚で家名を変えたのかとも考えられたが、失礼ではあるが二人の雰囲気を見るに既婚者とは思えなかった。

「そっか……。まぁ、新しい市街が見つかれば、慌ただしくもなるか」

「……一般への発表は明日だと聴きましたが、七緒さんも知っているんですね」

「そりゃ、ウチの新製品の発表会で発覚したからなぁ。それにしても、姉貴は居ないのかぁ。さて、どうするかな……」

 言いながら支倉は私の向かいにある一人がけのソファに座り、煙草に火をつけ始めた。

 浮かび上がる紫煙が天井に備え付けられている換気口に吸い込まれていくのを見ていると、そこにもまた矛盾を感じ取った。

「資源が有限だとか何だとか言ってますけど、この街の喫煙率って結構高いですよね。嗜好品に資源リソースを割く余裕位はあるってことですか?」

「ん?あはは、手厳しいなぁ。とはいっても、タバコは空鳴市では一番の稼ぎ頭なんだよ。これは私の考えなんだが、おそらく、この地下世界が建設された当初は、複数の都市で一個の生活基盤を支えるように設計されていたんだと思う。水道や電気の都市基幹部は中央の長嶺、加工生産や量産加工などの工業生産は鈴城、構内ネットワークサーバーやそれらに付随したネットワーク設備は妙厳、そして食品加工やプランテーションはこの空鳴って具合に、それぞれの役割を分担していたんだと思う。ま、その一環で、タバコの工場は自動運転で市政発足当時から稼働していたんだよ」

「……要するに、空鳴市の今の主要産業はタバコが中心だと?」

「一昔前は、それこそ食糧やプランテーションで栽培されている作物の数々が主幹産業だったんだ。特に、合成肉を生産できる工場設備は空鳴しかなかったからなぁ。だが、都市連合発足による技術交流で、ウチの殆どの設備はそれぞれの都市で再現出来るようになった。辛うじて自動でタバコを栽培、収穫、製造を一手に行うタバコ工場だけが、その技術の露見から免れた。理由は幾つかあるが、当時タバコが流通していたのは空鳴市だけだったから、他都市がタバコという嗜好品に重要性を見出していなかったのが原因だな」

 それは、あまりにも不利すぎる連合組織ではないだろうか。所詮は余所者である私だったが、空鳴市に身を寄せている所為か、何となく空鳴市の肩を持った感想を抱いてしまう。

 だが、それを見透かしたように、支倉はタバコの灰を落としながら、微笑を浮かべた。

「とはいえ、これは不平等な技術交流じゃあない。都市連合の主宰である長嶺からすれば、長年の間、何処へ繋がっているのかも分からない水道を止めずに循環し続けたのは、純粋にその水道管の先に自分たちと似たような境遇の都市があるのだと信じた善意の結果だった。鈴城の工場設備技術は各都市に伝えられて、今の私の会社があるのも同然だ。妙厳に至っては各都市のネットワークインフラを無償で整えている」

 要するに、今でこそ互いが互いに資本のやり取りを行う功利主義的な付き合いになってはいるが、都市連合発足当時は純粋な互助組織としての色が強かったんだよ。

 と、付け足すように支倉は言う。

「ですが、不思議なのは、そこまで友好的な関係だというのに、都市間の市民の移動が極端に制限されている点ですね。市民の活発な流動はより堅固で緊密的な関係性の構築に役立つとは思うのですが」

「やれやれ、記憶喪失とはいえ、頭は回るんだな。まぁ、いいか。都市間の移動を厳しく制限しているのには、いくつか理由がある。一つは、それぞれが壁に囲まれて孤立していた時期が長過ぎたせいで、文化、文明の違いが大きく出てしまった点だ。特に妙厳なんかは顕著でな……、あそこは代々如月家という一家が市を支配しており、厳格な階級制度を採択している。上級階級である大監であれば最下級である布民の生殺与奪権が与えらているというほどだ」

「他所の事情に首を突っ込むのは野暮ですが、何というか、前時代的ですね」

 と、半ば反射的に感想を漏らすと、支倉は眉をピクリと動かして、火のついたタバコの先端から視線を外して、私の顔を見た。

「……そういうところに、お前の出自の輪郭が見えてくるな。階級制度を古い考えだと思うのは、果たしてそういう歴史を辿ってきた場所にいたのか、それを貶す程の環境に身を置いていたのか……」

 成る程、と支倉の言葉に感心する。

 不意に現れた感じ方程、私の失った記憶に直接的な関連性を秘めているものはないのかもしれない。

 それを考えると、どうしても意識的なものの考え方になってしまうのは歯痒いが。


「——なぁ、空。お前は自分の過去に興味はあるか?それを詳らかにする、勇気はあるか?」


 支倉の突然の問い掛けに、言葉が詰まる。

 興味は無い、とは言い難いが、何らかのリスクを背負ってまで知りたいとも思えない。

「私は、空です。それ以外のことを、今は考えたくたりません」


 私の記憶には、この街にとって何か重要な秘密が隠されているのかもしれない。

 今の私には、自分以外の命運を背負う程の勇気は無かったのだった。

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