第3話 平穏の終わり ②

 前代未聞。

 そんな単語が頭を過ぎる。

 一般向けの公式な発表は、明日の正午だというが、事前通達によると、ほぼ間違い無く空鳴市の南方には、およそ15㎢程度の広さを持つ空間が存在しているという。

 実にセンセーショナルなこの事実は、昨日行われた支倉インダストリーの土木技術部の技術発表会にて発覚したものであり、当日取材に来ていたマスコミには緘口令が敷かれたそうだ。

 それを聞かされた俺は、当然ながら驚愕したが、同時に他人事のような、野次馬の気分がどこかにあった。

「市政府からの正式な案件として、調査隊の外交要員に護民官数名が選出される」

「外交……やっぱ誰か住んでるのか」

 敷地面積としては、空鳴市と比較するとかなり狭い。とはいえ、その突如現れた空隙は単なる空間と捉えるにはあまりに広すぎた。

「いや……住人の有無の確認を含めての調査隊だ。市長選を目前に、この大発見だからな。各候補者は是が非でも、何らかの形での良い報告が欲しいんだろうさ」

「……とはいえ、堂々と自分の息の掛かった護民官を選出するのはリスクが高いだろ。市井の注目が集まる調査だ、そこに公平さを欠く判断をしたら市長選の直前だからこそ、不利益しかない」

「そうだ。私の見通しだと、恐らく20乃至30人規模の調査隊になる。これらに加えて、護衛の軍人と技術者と学者がそれぞれ数名ずつといったところだろう。落とし所としては、現状で出馬を表明している7人の市長立候補者それぞれに、均等に割り振るって形になるだろうな」

 賢木の予想はおおよそ正確だろう。市長選挙に対する市民の関心は相当高く、特に今の時期は彼らが向ける視線というのはかなり厳しい物だ。

 空鳴市民は其れ程までに、市政を重要なものだと捉えている。豊かになりつつある昨今においても、閉鎖した環境は、少しの過ちが生死に直結するのだと、過敏な程に警告している。

「……友永議員を擁している私達は、間違いなく調査隊に選ばれるだろう。半ば諦め掛けていたけど、動きによっては、一気に友永議員を市長に引き上げられる」

 賢木は、今回の事態を前向きに捉えている様だった。確かに、何かしらのスキャンダルを見つけでもしなければ絶望的だった市長選において、一縷の望みが出来たようなものだ。

(まぁ、そもそも今回の市長選で本気で市長になろうと友永氏も思っちゃいないだろうしな……)

 十数年後、それこそ自身が政治家としてのキャリアを十分に積んだ上で本気で狙いに行くのだろう。今回の出馬は、それを見越した上で有権者にPRするだけの目的しかない。

 市議会議員選挙とは比較にならないほど供託金は掛かるが、友永家の長男坊ならその程度の端金なら幾らでも出費できるだろうし。

「当然、友永氏も今回の件で、自らの存在感をアピールする腹積りだ。何としてでも、有用な情報を掴んで来いという指示が下ってる」

「……あのボンボンは、何を期待しているのやら」

 俺は辟易した様に言うが、賢木は苦笑するだけで何も答えない。代わりに俺の胸ポケットからタバコをくすねて咥えた。


「——それで、何がそんなに大事件なの?」

 どうやら、空はソファに転がっていたらしい。新聞に目を通していた様で、紙の掠れる様な音と共にひょっこりとソファの背もたれから顔を出した。

「なんだ、いたのか」

「一応、ここが今の私の家だから」

 確か空に与えられた部屋は、半分物置と化していた資料室だった筈だが、どうやら普段はこの執務室で過ごしているようだった。

「新しい市が見つかったんだ。およそ150年ぶりの珍事だぞ。それに、空鳴市と隣接する形で、だ」

「ええと……どういうこと?」

 賢木を横目で見る。どうやらその反応を見るに、空鳴市以外の都市がどうなっているのかを教えていない様だ。

「今現在、存在が確認されている都市は、空鳴市含めて五つある。長嶺市、鈴城市、木立市、妙厳市——そして、空鳴市。それぞれ、採択した社会構造は異なるが、木立市を除く四都市は互いに交流もあるし、水や電気、食糧、工業製品や娯楽品などの輸出入も頻繁に行っている」

「……となると、貨幣か、それに準ずる価値の尺度を同一とするシステムで、互いの交流を図っている訳ね」

 空は、見た目こそまだ女学生程度の年齢だが、それなりに頭は良い方らしい。

 というよりも、その思考を支え得る基礎的な知識を持っていると思うべきなのだろうか。

「……ああ、都市連合と呼ばれる合意体制で貨幣の水準化を図っている。生活に余裕がなかった数百年前は配給券が紙幣の代わりを担っていたらしいが、今は電子貨幣になったからな。同様の経済圏に組み込むことで都市間の格差を無くす為に、今の社会システムが出来上がっているんだよ」

「……ここまでの話を聞く限り、何かしらの主要なインフラを他都市に依存している様な状況だと、かなり不利に思えるのだけど」

「その通りだよ。今阿方が言った通り、空鳴市は水資源の殆どを長嶺市に頼っている状況だ。電力、食料の方は何とか自前で賄えてはいるが、水資源の方は厳しい条約で、勝手に浄水設備を設営することすら難しい」

 というのも、それは木立市を除く四都市の歴史に関係する。

「詳細は省くが、木立市以外の四つの都市は、初めは外壁で隔離されていたが、水道機能は長嶺市を中心とした4都市が繋がっていた。互いが互いの存在を知るのに役立ったのが、この網羅された水道管だ。俺たちの使う水資源は100%循環して使用している。つまり、長嶺から運ばれて来た水を、自分達の都市で勝手に浄水してしまえば、直ぐに四都市を循環する水道は機能不全に陥る。それを防ぐ為の協定の様なものがあると考えればいい」

 ならば木立は?

 と、疑問を当然空は心に抱いたのだろうが、話の腰を折るばかりだと自戒したのか、押し黙った。

 実の所、木立市に関しては存在そのものが謎に包まれていと言っても過言ではない。

「——そこで、空鳴市に隣接する新都市が発見された。と、いうことは、どういう事か分かるか?」

 俺は、空にそう問い掛けると、少し思案した後にすぐに答えに至る。

「これまで長嶺市に頼りきりだった水資源の新たな調達先になり得る……、という訳、ね」

 やはり地頭は良さそうだ。

 もし試験なら満点をあげても良い回答をした空を眺めながら賢木は奥でニヤニヤと爽やかとは正反対の意味を持った笑みを浮かべている。

「長嶺市は都市連合の中心だ。空鳴市が他の都市と貿易をするにしても、長嶺を経由する必要があるし、他都市に関しても同様だ。それは概念的な中心という訳ではなく、地理的な意味で中心という訳なんだが……。正直言って、空鳴市を含めた都市は、長嶺に対して良い印象を持っていない、というのも事実だな」

「まぁ、その話を聞けばなんとなく分かるわ。水資源の根本を抑えているのもそうだし、工業製品や娯楽製品、あるいは薬品や食糧品などのあらゆる輸出入に関しても、長嶺市内を通る所為で余計な課税が発生しているのでしょう?」

「……その通りだ。と言っても、法外な料金を請求するだとか、こちらの政治に介入するだとかはしない政治的嗅覚を持っている。奴らとしても他都市を刺激し過ぎて、武力衝突なんてシナリオは避けたいだろうしな。——要するに、ここまで市内が盛り上がっているのは、そういう拮抗した都市バランスを覆せる要因になり得る発見だからだ。純粋に、長嶺への意趣返しもできる、っていうのもあるがな」

 そこで俺は話を一区切りさせると、スツールに腰掛けてから来る途中で購入した缶コーヒーのプルタブを開ける。

 説明の時間は終わりだと、そう理解したのか再びソファに転がった空は、

「窮屈な世界ね……」

 と、呆れるように呟いた。


「明日の正午に会見が行われるが、友永議員の話だと、明日の朝には議会において調査隊派遣に関する決議案が提出される手筈になる。私も阿方も調査隊メンバーに選出される予定だから、それを念頭に入れておいてくれ」

「……了解した。まだ、夕方だし、引き続き足柄紡の事件の方を追ってるよ。何か続報があったら、連絡してくれ」

 ここ数日で、一気に仕事が増えたな。

 そんな感想を抱きながら、俺は事務所を後にしようとした時、端末のコール音が部屋に響いた。

 俺のでは無く、賢木の端末だった。

「——おや、先生から連絡とは、珍しい」

 賢木は懐かしむように、目を細めていた。

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