第3話 平穏の終わり ①

 空の処遇としては、取り敢えず賢木護民官事務所の事務職員ということにするらしい。

 俺や賢木の仮眠室として使っていた一室を空の居室にして、目の届く範囲で自由にさせることにした。

 とはいえ、この世界における常識が幾つか抜けているところはあるので、俺か賢木が暫くは面倒を見る必要がある。

 空を拾った翌日、賢木は空の生活用品を揃えるということで、一つの調査を俺に言いつけた。

 それが、足柄紬という女性が被害者となった事件の捜査だ。

「昨日、ニュースでやっていたな。確か……刃物で背中から刺されたって」

「ああ。足柄紬は、勤め先の今川糧食公社から鐘楼区の自宅マンションへの帰る途中で刃渡り15センチ以上の刃物で背中を刺されて死亡されているのが見つかっている」

「……殺人事件は珍しいな。で、それは何処からの依頼だ?」

 護民官が事件の捜査をすることは珍しくも無い。警察の捜査結果に不服があった場合や、逆にその警察組織が事件に関わった場合に駆り出されることが多い。

 つまり、依頼者があっての捜査ということになる。政治、警察、司法に対する一種の抑止力である護民官に対して、警察や司法は正規の手続きに則った情報の請求の場合、迅速に対応しなければならない決まりもある。

 とはいえ、警官は基本的に護民官嫌いで有名だ。すんなり現場の警官が情報を渡すとは考えにくい。

「私からだよ。足柄紬は、学生時代の友人だったんだ。あの子が誰かから殺される程恨まれていとも考え難い。すまないが、頼まれてくれるか?」

 公私混同とは、賢木らしくも無い。そんな感想が去来したが、すぐに思い直す。

 友人が殺されたからといって、感情的に動くような性格ではない事は分かっていた。

 となると、その事件には賢木の嗅覚が働いたという事なのだろう。それは恐らく、空を保護すると判断した感覚と同じ由来に違いない。

「受領壁の確認が終わったらすぐ動く。それじゃあ、今日は一日空の面倒を頼む」

「ああ、任せておけ」


 受領壁から降りてきた鉄の箱は、何も変わらなかった。

 やはり昨日が異常だったのだ。中身は相変わらずの保存食と抗生物質などの医療品、それから飲料水。

 まるで、何かに備えろと警告しているようにも思えてくるその中身だったが、果たして何のために毎日これらの物を送り続けているのだろうかということを考えると、案外その警告もあながち間違っていないのかもしれない。

「もしかしたら、上に住む連中もお役所仕事で毎日送ってるから、とうの昔にその意味を忘れちまってるのかも知れねぇな」

 そんなふざけた理由は、結構当たっているのでは無いだろうか。毎日毎日支給品を送り続けて、民衆からは税金の無駄とか何だとかで今頃議論しているのかもしれない。

 そんな妄想をしていると、ふと思い立ち、俺はポケットからクシャクシャに丸めた紙屑を取り出した。

 なんてことない、ガムか何かの包み紙のゴミだ。

 それを鉄箱の端に置く。

 もしかしたら翌日も同じ場所にこのゴミが置いてあるのかもしれない。

 そんな思いつきを試して一通り満足すると、支給品のリストを整理する作業を終えてから、俺は足柄紬の捜査に乗り出すことにした。



「護民官の阿方湊人です」

 規制線が張られている。事件が発覚したのが昨日の事なので、現場にいる警官も野次馬も少なかった。現場は比較的人通りの多い歩道だ。

 血の跡は残っているが、煉瓦畳の隙間に入り込んだのか、そこまで大きいものではなかった。

 警官に市民IDを提示すると、すぐにスキャンを行い、中へと通される。

 担当の刑事だろうか、規制線の内側には難しい顔をしてタブレットを操作している男がいる。

 男は俺を一瞥すると、タブレットの操作を止めて、こちらへと近づいて来る。

「中央犯罪情報局の五十嵐だ。わざわざ護民官が調査に来るなんて珍しいこともあるもんだ」

 そりゃこっちの台詞だ、と言いたくなる。通常であれば区域で仕切られた管轄の警察が担当する筈なのに、初動から中央犯罪情報局が動いていることに違和感がある。

「ええ、とある方の依頼で。それで、捜査の進捗は?」

「見返りは?」

「護民官は公的情報を請求する資格があり、公的組織は護民官の要請に対応する義務があります」

 堂々と賄賂を要求するとは見上げた根性だ。それも無名とは言え、護民官相手に。

 そう思いつつもあくまで冷徹に返答を返すと、五十嵐は俺の頭をぐりぐりと乱暴に撫でつける。

「別に袖の下を渡せなんて言ってねぇよ。煙草、持ってんだろ?ちょうど切らしてるから一本くれよ」

「……」

 情報局の捜査官とは思えない程のフランクな態度に、思わず貧民街区の人々を思い出したが、咳払いで誤魔化すと懐からライターとタバコを渡してやる。

 余程我慢していたのか、渡した途端にすぐに火をつけて煙を肺に込めた五十嵐は、紫煙を吐き出すと同時に話を進めた。

「被害者は足柄紬。市民IDに登録されている情報によると、勤め先は今川糧食公社だ。生産ラインの設計を担当していたらしい」

「死亡推定時刻は?」

「一昨日の二十三時頃から翌三時辺りだ。その後、朝五時から昼頃まで天候管理局が雨天に設定しちまった所為で、殆ど血は側溝に流れてしまった」

 そういえば空を拾った時、雨が降っていた。となると、俺が空を拾う数時間前に殺されたという訳か。

「第一発見者は?」

「いない。朝五時に付近を警邏していた監視ドローンのAIが、遺体を発見、直ぐに警察に通報した」

 頭上に目を向ける。

 この街には常に数百台のドローンが巡回しており、異常を検知した場合、AIが判断して適切な管轄へと連絡を行うシステムだ。

 今もその監視ドローンが一台頭上を通り過ぎていく。

「……俺は詳しく無いんだが、監視ドローンの巡回ルートは、一周に五、六時間も掛かるようなものなのか?」

「だから、俺が出て来てるんだ。ドローンの対応地区によって異なるが、この鐘楼地区の遊歩道付近を巡回ルートに入れているドローンは五台。いずれにせよ、死体がここにある限り数分以内に通報が入る筈なんだ」

「……死亡推定時刻と発見時刻の差がありすぎる、と?」

「何者かによるハッキングか、或いはAIの不調か。それか殺害後、ここに運び込まれたか。いずれにせよ、空鳴市の防犯システムの根幹を担うドローンの眼を掻い潜った犯行だ。情報局が態々担当に回された意味は分かったろ?」

 空鳴市の現在の防犯システムは、四期前の市長であった宗谷そうや政権の肝煎り事業であった。

 支倉インダストリーの前身、諏訪工業と共同で開発し、定点的なカメラによる監視よりも広範囲を機動的に監視できる点が犯罪の抑止に繋がるというのが、売り文句だった筈だ。

「当時は公的事業の縮小と、他都市への工業製品の輸出量が減少したこともあって、経済が停滞していたからな。特にあの頃は、第三期の貧民街区の拡張工事も終わり、労働者の多くが職を失った。皮肉なもんだよな、貧民の為の住居をつくっていたはずなのに、気がつくと自分がそこの住人になっていたっていうのは」

「経済成長の鈍化に伴う治安の悪化は、当時問題になっていたが、それの対応策として貧民達を救済するのではなく、大量の税金を投入して監視ドローンを開発したっていうのは、笑えない話だがな」

 俺は苦々しく呟いた。一定以上の納税が出来ない者に参政権を与えられていないこと街においては、貧民とは切り捨てられる存在なのだ。

 それが悪循環を生んでいる事を理解しているのは、まともな教育を受けている筈の中流層以上の市民なのは皮肉な話だが。

「それで、実際のところ、ドローンはどんな挙動を?」

「詳細は技術部の方に解析を依頼してるが、映像は濃霧がかかったような不明瞭なものしか残っていなかった」

「濃霧……?映像が途切れているとかではなく?」

「単なるノイズなのか、それとも本当に濃霧が発生していたのかは解析しているが、俺が見た感じだと後者に近いな」

「天候管理局側は?」

「いつものように、『原則、年間予定から逸脱した天候操作は行なっていない』だとさ。あいつらは頭が堅いからな、まともに取り合う訳もない」

 となると、監視ドローンの眼を掻い潜る為に犯人は何らかの手口で濃霧を発生させた、ということになるが……。

「犯行時刻が深夜だった所為もあるが、付近の住人からは霧がかかっていたのを目撃した者はいない」

「……そいつは引っかかるな。五十嵐さん、ちなみに被害者の死因は?」

「あちこちに刺し傷があり、出血も認められているが、直接的な死因は何か硬い物で頭部を殴られたことによる脳挫傷だな。刺し傷が背中に集中しているところを見ると、頭部を何かで殴りつけた後、倒れた被害者に向かって刃物で刺したようだ。怨恨の線から捜査している。十中八九、被害者と面識のある人間の犯行だろう」

「……成る程。思ったよりも、奇妙な事件だということが分かった」

 俺は辺り一面を一通り見終えると、なるほど、通りはそれなりに大きいが、付近はオフィス街のため深夜は人通りは少ないだろう、と感ずる。

「ほら」

 と、煙草を咥えながらどこから捜査するかと考えていると、五十嵐がIDカードを突きつけた。

「何か進展があったら教えるから、連絡先登録しておけ。その代わり、あんたの方も何かわかったら共有してくれ」

「……ご親切にどうも」

 差し出されたカードの上に自身のカードを重ねる。これで連絡先はIDカードを通じて、登録してある端末にも共有された筈だ。

 IDカードを懐にしまい込むと、まるでそれを待っていたかのように端末が着信音を鳴らす。


『阿方、緊急事態だ。今すぐ事務所へ戻って来てくれ』

 妙に興奮した様子の賢木だったが、その声に焦燥や不安は感じられない。

 まるで、枕元にプレゼントが置かれているのを見つけたクリスマスの日の子供のような、そんな声だった。

「……?分かった。すぐに向かう」

 踵を返した俺を、五十嵐がじいっと見つめている。

 何が起こっているのか、五十嵐はそれを理解しているようで、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて俺の背中に言葉を投げた。


「アンタが『それ』に関わるんなら、これから相当忙しくなるぜ」

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