第2話 鋼鉄都市 ⑥
市政運営に関わるシステム関連を一手に担っているだけあって、七緒はいとも容易く市民IDの偽造を完了させた。
空はまだ眠っている。
小さな口から、吐息の様な深い呼吸音が聞こえる。
「……で、一つ聞きたいんだが」
賢木と俺は、空が目覚めるまでの間、リビングのソファで腰を落ち着けることにした。
とはいうものの、賢木は持ち込んだノートパソコンで仕事を進めているし、俺は俺で賢木から任されている水道事業者の組合向けの資料を作成していた。
どうも市民の命を支えている仕事なのに給与が低過ぎるとボイコットをしかねない段階まで内部で鬱憤が溜まっているらしい。
空鳴市との交渉のテーブルは既に用意されていて、俺は可能な限り組合員の要求を市に飲ませるの為の資料の作成に当たっていた。
それぞれ仕事をこなしながら、俺は口火を切る。
「俺が持ち込んだ面倒ごとだが……。アンタが空を市に隠蔽する理由は?」
それも危険な橋を渡ってまでする理由が、俺には思い当たらない。
「ふむ……。理由は幾つもある。一つ、問題だ。仮に君が私の立場だったとして、空を庇護下に置くことによって、どのようなメリットが生じると思う?」
数百年もの間、物資の供給以外での接触が出来なかった上の人間達。恐らく、空も外の人間だと仮定しても誤りではない。
空鳴市の方針としては、外の世界への興味関心を犠牲にして、安定した市政の運営を行うこととしている。付随して、外の世界へ出ることはおろか、それについて調べることも固く禁じている。
賢木の問い掛けを考えると、それらの前提条件を考慮してもなお上回るメリットがあるということだろう。
それも、幾つもあると言う。
「……正直言うと、俺には分からん。ただ、不測の事態に対して切れるカードの一つにはなると思う。長年謎だった、上層の人間なんだからな。一般市民には、これ以上ないセンセーショナルな情報だろう」
「私も概ね、その考えでしかないよ。勿論、大前提として、無意味に情報を開示する必要が無いというのもあるけどね。私の考えでは、あの子は私の武器になる」
武器になる——その一言が、賢木の思惑の全てを表しているようだった。
秘匿資料室へのアクセスが許されているのは、一部の特別な階級の人間と、市長のみ。
その中でも、市長だけが制限なく全ての資料の閲覧を許されている。
賢木は、一つの真相を追っている。その為には、市長にならざるを得ないとも、考えているようだ。
即ち、彼女が市長という立場を簒奪せざるを得ない状況に追い込まれた時に、空は利用できると述べている。
「OKだ、ボス。アンタが腹を括るなら、俺もそれに従うだけだ」
停滞していた状況が、ようやく好転し始めた。
空を拾って、俺はぼんやりとそんな事を考えていた。
だが、既に事態は動き始めていた事を、俺は知る由もなかった。
◇
阿方湊人と賢木道枝が、各務空と名付けられた少女の市民IDの偽造カードを作っていた頃。
空鳴市域南方、第五次市域拡張計画の対象区域であった掘削現場は、僅かにどよめいていた。
大宮健という男がいる。
彼は水準的な義務教育を終えた後、市役所に土木技術者として職能申請を行っている。浜崎施工社に入社して十五年、大宮は掘削作業主任者という資格を市から与えられ、社内ではそれなりの地位を築いていた。
空鳴市の慢性的な課題である可住面積の増加に対する、一番シンプルで効果の高い壁面の掘削という作業を主導していることは、大宮の誇りでもある。
限られた土地しか無い空鳴市において掘削作業というのは、失敗の許されない非常に重大な政策だ。
その日の作業には数名の議員が視察に訪れていた。スーツにヘルメットを着用した、少し滑稽な議員達は、半ば義務感のみで視察しているようで、時折り欠伸を噛み締めるような仕草をしていた。
「議員先生方、本日は支倉インダストリー社から提供頂きました新技術の御披露目もさせて頂こうかと思います」
ジュラルミンケースの中身一杯に詰め込まれた、大宮にはどういう物なのか想像もつかない機械を地面に置く。
支倉インダストリー社からは、使い方しか教わっていないが、理論までは知る必要はないと大宮は考えている。
「事前に配布しました資料の通り、こちらは壁面内部をエコー調査によって可視化するもので、壁面内部の空洞を精密に調査出来るものとなっております。過去、市域拡張の為に壁面を掘り進めていた木立市が鈴城市の市域に衝突し、武力衝突したことがあります。壁面の奥に、まだ我々と接触していないファウンデーションがあると考えられる以上、このような対策は必須であると弊社は考え、支倉インダストリー社に開発を依頼しました」
「うむ……150年近く前の話だが、未だその凄惨な事件は我々の新しい教訓として残っている。それで……その新技術の使用成果というのは」
顎に肉を蓄えた市議会議員——大野弦一郎が大宮の言葉に答えるように言う。彼自身の純粋な興味ではなく、背後にカメラを構えたマスコミに対するサービスのような物だろう。
「試運転は、支倉インダストリー社に面する西方の壁面にて行なっており、問題なく稼働したとの報告は受けております。無論、今この場で、動作実験を行いますので、是非マスコミの皆さんは前の方に来ましてじっくりと見ていってください」
機械から伸びる、二本のケーブルの先端には、金属の針が付いている。まち針をそのまま巨大化したようなその二本のピッケルにも似た針を大宮は壁面に突き刺すと、今度は聴診器を模した円盤を取り出して壁面にピタリとくっつける。
エコー調査機の結果は手元のタブレットに反映されるようになっており、幾つかのボタンとスイッチを押すと、重低音が空気を震わせるように走るなり、タブレットの画面が切り替わった。
事前に渡された説明書通りの操作なので、どのボタンがどのような機能に対応しているのかまでは大宮は感知していないが、それでも問題無く起動できたことに取り敢えずの安堵の息を吐いた。
「支倉インダストリー社の説明によりますと、これは妊婦の中にいる子供の状態をチェックするエコー検査と仕組みは同様のようです。この硬い岩盤を広範囲に渡って精密な検査するというのには、無論高度な技術を要しております。明日には、この新技術における詳細な仕様と他都市に対する輸出条項の規定の説明会が開催されるとのことですので、皆様ぜひご参加下さい」
浜崎施工社の矢端専務が不慣れな手つきで機械を操作する大宮の間を埋めるように、議員とマスコミに向けて話す。
大宮は背中でそんな言葉を聞きながら、タブレットに調査結果が出るのを待っていた。タブレットの画面は、見学者向けの大画面モニターと連動しており、新聞社やテレビ局のカメラマン達が調査結果が出る瞬間を見逃すまいと大型モニターに視線を集中させていた。
エコー調査の結果は即座に視覚的な理解を得られるように、3Dマップとして表示されるようになっている。所詮は企業向けの無骨な製品であるので、3Dといえどもワイヤーフレームモデリングで表示される簡素なものだ。
前触れも無く、結果が表示される。
見つかるのは精々が、この地下世界を生み出す際に使用されたパイプ類程度だろうと思われていたその場の全員の予想を裏切る形で、結果は出された。
「未接触の……都市、だと?」
眠気眼で新技術の披露会を見ていた議員の一人が、呆けたように呟く。
結果は、自然と作り上げられた空隙と言うには、あまりに広大過ぎる空洞が存在していることを表していた。
卵を横にした様な形の空洞が、その明らかに巨大過ぎる縮尺を持ってして、ワイヤーフレームモデリングで表現されているのだ。
よもや、自分が生きている間に未接触都市が発見されることがあるなんて。
大宮健のその平凡な驚きは、誰しも抱き得る、ありふれた感想でしかないことが、彼にはまだ理解出来ずにいた。
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