第2話 鋼鉄都市 ⑤
さしたる不満は無かったように思えるが、それを認めて仕舞えば蛮行の全てに正当性は宿らない。
思えば、その日は朝から妙なことが連続していた。
夜通し酒を呑み、朝方の人気の無い街を1人帰路についてた時、雨が降っていたというのに一人の男が傘もささずに一人の女性を抱えて足速にどこかへ向かっていった。
大して興味はなかったが、その女性を抱えた男は何処かで見覚えのある顔だったのが少し引っかかった。
地下街区の白水地区に俺の家はあった。清貧地区とも呼ばれ、数カ所点在する貧民街の中でも突出して貧困が蔓延る街区だ。
納税額で選挙権の有無が決まるこの都市では、貧困者を救済する政治など行われる筈もなく、教育の行き届いていない貧民街の住人は、親から子へと世代を重ねてもなお、貧困から脱出する機会など訪れる筈もなかった。
そういう理由で、俺の親父もそのまた親父も、きっと数世代上の家系まできっと俺の血筋は貧民だったのだろうと思う。
それでも貧困街には貧困街なりのカーストが存在していて、
俺はその走狗党の構成員ではない為、他人事のようにも思えるが、どうやら昨晩大きな諍いがあったようで白水区は朝から騒然としていた。
走狗党の若い連中が何かを警戒するように街中を彷徨いていた。
その中に見知った顔がいたので、捕まえて話を聞く。
「お、
「……何があったんだ?随分と物々しいが」
走狗党の下っ端である堀部は俺を見るとニコリと笑って駆け寄ってくる。
以前、ちょっとした世話をしただけなのだが、それ以来堀部には懐かれている。妙に人懐こい奴で、どこか放って置けない可愛らしさがある男だった。
「いえ、俺らも何があったのか分からないんすよ」
「……どういうことだ?」
「灯火区のアケビ一家と昨晩小競り合いがあったんすよ。ウチと向こうの若い奴らがバーで口論になったとかで」
「そりゃいつも通りだな。しかしそれにしたって、騒がしい気もするが」
見ると通りには二、三人の党員らしき強面の男達が他にも巡回している。
「はぁ……。確かに口論自体は殴り合いの喧嘩程度に発展しただけで終わったんですが、そのバーで受け取る予定だった品物をそのドサクサで盗られたみたいです」
「受け取る予定?何かの取り引きでもしてたのか?」
まぁどうせ長嶺市辺りから麻薬でも仕入れたのだろう。享楽の町と呼ばれる長嶺市以外では所持と売買が原則禁止されているものではあるが、禁止されているからこそ手を出す人は多い。
むしろ長嶺市の市民よりも違法に服用している他の市民の方が消費量が多いらしいと聞いたこともある。
「そこんところはさっぱり。バーにあった監視カメラで盗んだ人間の人相は分かってるんで、それを頼りに捜索してるって感じっす。一応見ます?見覚えあったら教えて欲しいんすよ」
堀部は端末の画面をこちらに向ける。映像はバーの店内らしく薄暗い。奥の方で四人の男が取っ組み合いの喧嘩をしていた。成る程、これがアケビ一家との下らない喧嘩とやららしい。
見かねたバーの店員がオロオロしながら止めに入ったタイミングでバーカウンターに置かれていたセカンドバッグを盗む人影が映る。
「あ、こいつですね」
堀部が指差したのは若い女性だった。
薄暗くてよく見えないが、大きめのデニムジャケットを着た金髪の女性だ。
「……そこら辺の不良少女にしか見えんな」
走狗党に手を出すとは、火遊び程度じゃ済まないだろうな。いや、そもそも走狗党と知らなかったのかもしれないな。
「何処のバーで取引してたんだ?」
「上っすね。中央区のレブラっていうバーです。詳しくは知らないっすけど、そこで売人から目当ての物を渡して貰った後にやってきたアケビの連中と喧嘩になった隙に盗られたってボスは言ってましたけどね」
「売人とは?」
「俺も見た事ない連中っすね。多分取引内容は上層部しか知らないと思いますよ」
んじゃ、そういうことで。
と、堀部は元気よく走り去っていく。
(……走狗の連中が麻薬程度の取引で中央区の高級な会員制のバーを利用するとは考えにくい。となると、連中は何の取引をしようとしてた?)
面倒ごとにならなければいいんだが。
とはいえ、白水区における厄介ごとは何の因果か、大抵は俺の懐へ舞い込むことが多い。
その日の飯の種にすら困っている平凡な俺に、どんな理由があってトラブルから好かれているのかは、知りたくもないが。
とまぁ、その日の妙な出来事の二つ目はそんな話だ。
適当に生活用水の排水ポンプを洗浄する日雇いの仕事を終え、家に戻ったのはすっかり夜半だった。下水の不快な匂いが纏わり付いていて、飯よりも近所の公衆衛生浴場を優先した為に、日付も変わろうかという時刻だった。
立て付けの悪いボロアパートの扉を開けると、見覚えの無い男が1人、煙草を吹かしながら座っていた。
これが俺に降りかかった、最後の妙な出来事だった。
「アンタは?」
「仲介業者だよ。仕事の依頼を持って来た」
照明のスイッチを押すと、男の風貌がよく見えた。明るい色の短髪で、若いと言えば若いが、少なくとも十代や二十代前半という見た目ではない。
窪んだ目は、ジッと値踏みするように俺を見据えていて気味が悪い。
「誰からの紹介だ?」
「法道さんだ。アンタが適任だと言われてな」
随分と懐かしい名前が出て来た。
「それはどういう意味での適任だ?」
とはいえ、俺はしがない日雇い労働者だ。仲介業者だと名乗る怪しい男に仕事を紹介してもらうような立場ではない。
「この街で唯一、銃を持った相手と正面から戦闘した経験のある人間。私はそう聞いているが」
「……まぁ、いい。で、仕事の内容は?」
俺は目の前の男を一刻も早く部屋から追い出しくて、話を進める。
「——一等護民官。賢木道枝の護衛だ」
嫌な名前を聞いた。
僅かに残る過去の残滓が、遥か昔の彼女の顔を思い出させたが、俺は首を振って記憶を振り払う。
「報酬は、キャッシュで250万。期限は二週間だ」
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