第2話 鋼鉄都市 ④

 足柄紬あしがらつむぐ

 ふと学生時代の頃を思い出したのは、この懐かしい名前を見つけたからだ。

 確か、大学卒業後は研究職として公職に就いていた筈だ。

「姉貴……その人知ってるのか?」

 妹の支倉七緒は、たった今速報で入ったニュースを映した画面に釘付けになっている私を心配するかのように訊いた。

 阿方と記憶喪失の少女が事務所を出ていったあと、久しぶりに妹に会いに行くかと思い直して二人の後を追いかけた私だったが、妹に挨拶するよりも先に、学生時代の友人が殺害されたというニュースが私に飛び込んできた。

「あ、ああ。学生の頃の友人だ。それよりも、あの二人は?」

「屋上。あの女の子は何者なんだ?」

「さてね。私にも分からん。それよりも七緒。市民IDだが、偽造は出来るか?」

「……市民管理法の違反は、最低でも15年以下の懲役、護民官の姉貴なら護民官法にも引っかかるから30年以上は刑務所にいる羽目になるぞ」

 ため息混じりに七緒は言うと、私を睨むように見つめた。我が妹ながら、背が低い為私を見上げるような格好になっているのが残念な程に迫力を損なわせているが、それでも私を戒めようとするのが目に見えて分かる。

「お前ならバレずに出来るだろう?」

「……それは本当に必要なことなのか?」

「ああ。阿方が連れてきた少女のIDを偽造してもらいたい。IDカード発行業務を請け負ってるお前なら朝飯前だろ?」

「そんな危ない橋を渡るほどの価値があるのか、私は知りたいけどな」

 文句を言いながらも、自身のPC端末を起動させてキーボードを忙しなく叩く七緒に私は短く礼を述べた。

「あの子は受領壁の箱から出てきた。記憶を失った状態で、眠るように倒れていたらしい。それを阿方が見つけて、私の事務所に連れてきたんだ」

「受領壁だって!?おいおい、まさか、マジで外から来た人間なのか?」

「その可能性もある。いや、その可能性に賭けて、私は七緒にIDの偽造を頼んでるんだ」

「IDは後回しだ。姉貴、上からその子を連れてきてくれ。まずいかもしれない」

「どいうことだ?」

「昔の人間が地上での暮らしを捨てたのなら、それにはそれなりの理由がある筈だ。人口増加による棄民か、御伽噺の通りに刑罰の一種ならまだ良いが、もし人類全体が、否応なしに地下での暮らしを強制されるような事態だったら、放射能や病原菌に地上の住処を奪われたのだとしたら、大変なことになるぞ」

「あ、ああ…。わかった。連れてくる」

 やはり七緒は頭が良い。すっかり失念していた可能性に、彼女の焦燥する気持ちを理解しつつ、私は自省した。

 慌てて二人を呼び戻そうと、屋上へと続く踊り場にタイミングよく二人が戻ってきた。

「粗方の説明は終わったぞ」

「どうやら検査する必要があるらしい。七緒が準備しているからこっちに来てくれ」


 二人を連れて部屋に戻ると七緒が部屋の奥からキャスター付きの診察台のようなモノを引っ張り出している。

 その機械に付属する何本ものケーブルを至るところに接続し、夥しい数のモニター類を小動物のように忙しなくセットしている。

「数百年前、長嶺ながみね市と接触した際に鈴城すずしろ市が使用した検査機だ。型落ち品だが、ある程度ならコレで調べられる」

「よくそんなもの手に入れたな」

 阿方は感心した様子でその作業を眺めていた。そんな阿方の服の裾を不安そうに掴む記憶喪失の少女を見て、随分と懐かれたものだと私は思わず微笑を浮かべた。

「ああ、心配するな。感染症とか栄養状態とか、そういうのを調べる簡易検査だ。空はそこで横になってるだけで良い筈だ」

 診察台に横になるよう阿方は促すと、彼女は素直にそれに従う。

「空?」

「はい、そう名乗ることにしました。これからはそう呼んでいただけると、助かります」

「そうか。良い名前だと思うよ。七緒、準備はいいか?」

 七緒は頷くと、傍らから注射器を取り出して、薬剤瓶から中身を移し替えた。

「この検査薬だが、投与後数分で強烈な眠気に襲われる。空、眠くなったら素直にそのまま寝ていいからな?」

「はい、お願いします」

 空は注射器の痛みで一瞬顔を歪めたが、薬剤が投与されるとものの数秒で寝息を立てはじめた。

「七緒、どのくらいかかる?」

「問題がなければ五時間程度だ。その間に偽造IDを拵えちまうか。姉貴、市民管理局のサーバーに侵入するから、その前にコイツの基本情報を入力しといてくれ」

「分かった。名前は空だが、ファミリーネームはどうする?」

 阿方に問いかけると、彼は考え込むように顎に手を当てて数秒唸るようにじっと寝ている空を見る。

「思い浮かばねぇなぁ。七緒、何かいい案とかないか?」

「アタシに聞くなよ……。アタシらのファミリーネームは怪しまれるしな……」

 七緒は空の検査作業を続けながら思案する。三人して、うんうん唸りながら共に不得手とする何かを名付けるという行為に頭を悩ませていると、ふと阿方が呟く。

各務かがみ……はどうだ?」

「珍しいがいいんじゃねーか?……まてよ、各務って、お前の……」

「ああ、死んだ母の旧姓だ。たしか、母さんの姉、各務結子は木立市に移住したと聞くし、そもそも各務っていうファミリーネーム自体、もう知る人も殆どいない。丁度いいだろ」

 阿方は簡単に言うが、実を言うと空鳴市から他の都市への移住というのは通常不可能に近い。

 だが、各務結子という女性は、私の知り得る限り、空鳴市から出て行った唯一の移住者である。彼女は、木立こだち市への外交的配慮によって送り出されたのだ。要するに、木立市のトップ、児玉誠一郎こだませいいちろうに見初められた。

 他の都市とは異なり、必要最低限の外交的接触を行わず、輸出入はおろか護民官、政治家、外交官など種別を問わず来訪を許さない謎に包まれた木立市と友好的な関係を築ける絶好の機会に、空鳴市は半ば無理やり各務結子を児玉の元へ嫁がせたという話もあるほどに、当時の政府の対応は性急的だった。

 とはいえ、木立市は直ぐに連絡を断ち、自分たちの市内から出るようなことはなく、4年前に実に30年以上の沈黙を破り、国際の場に顔を出した。

 あの凛々しくも若々しかった筈の児玉誠一郎は、すっかり老け込み、何処か病気でもしているのだろうかという程に痩せかけていた。

 その時、木立市に移住した各務結子は、病気のために亡くなったことを空鳴市に報告した。


「……まぁ、確かに都合はいい。ならばそれでいくか」

 私は突如として各務という名を持ち出した阿方に眉を顰めながらも、私は承諾した。

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