第2話 鋼鉄都市 ②

 受領壁で見つけた少女は、無言のまま俺の後ろを歩いている。

 賢木がどう判断したのか分からないが、俺の判然としない推測からすると、彼女はそれなりの教養を受けた人物だ。

 あらゆる所作が、貧民街で生まれ育った俺とは全く異なる程に洗練されている。記憶を失えど、骨身にまだ染み付いた身体の動かし方は忘れようがないみたいだ。

 それもあってか、彼女の顔立ちは怜悧さが見て取れる。賢いというよりも、賢く育てられたといったところか。

 そんなことを考えながら歩いていると、ものの数分で目的の場所に着く。

 空鳴市では、買い物をするにも特定の建物に入るのにも身分を証明するIDカードが必要になる。そこには電子通貨情報を始め、氏名や住所、逮捕歴や職能歴が入力されている。

 当然だが、俺の後ろで目的地でもある支倉ビルと名付けられた超高層ビルを見上げる少女はIDカードを持っていないので市内の大抵の場所に入る事も出来ないし、同時に買い物すら不可能だ。

 だが、この支倉ビルは例外だ。

「支倉インダストリー……?」

 彼女は半ば無意識のように、巨大な門扉に掲げられた文面を読み上げた。

「空鳴市きっての大企業だ。市内の工業製品は大抵がここのものだな」

「それで、ここがなにか?」

「空、見たいんだよな。ここなら一番近くで見られるだろ」

 それは、彼女の求める空ではないことは、分かっていたが、あえて俺の口から説明する気にもなれずに再び歩き出した。

 ビルのロビーに備え付けられたIDカードのスキャン装置に俺のIDを読み込ませる。周囲には商談中のサラリーマンや休憩中の支倉社員が疎らに見られる。

「あら…阿方様ですね?どうぞ、こちらの直通のエレベーターにどうぞ」

 俺の顔を覚えていた受付嬢がスキャン結果を待たずして、広々としたロビーの端に目立たないようにひっそりと備え付けられた通路の扉のロックを解除する。

「どうも。いきなり来て悪いね」

「いえ、阿方様はアポ無しでも通すように指示を受けておりますので」

 その指示自体に納得がいっていないような、訝しむような、そんな複雑な心境を隠すように浮かべた受付嬢の笑顔を見てから俺はエレベーターに乗り込む。


「阿方…さん。あの、護民官ってどんな仕事なんですか?」

 エレベーターに乗り込んでから数秒、記憶喪失の少女は小さな声でそう訊ねた。

「どうした急に」

「いえ、ここって結構大きな企業に見えるのに、アポ無しでも入れるなんて、もしかしてとんでもない権力がある職業なのかと」

「……まぁ、あるにはあるが、俺は十把一絡げの平凡な護民官だからな。普通はこんな企業にアポ無しで来られるような立場じゃない」

「……ならどうして…」

「ここの社長と少し縁があるってだけだ」

 丁度電光版が60階を表示していたので、俺は会話を切り上げる。扉が左右にスライドすると、前面に市内を一望出来る大きな窓を設えた広々とした部屋が現れた。

 そこは明らかに何者かの私室と分かるようなつくりで、大型モニターには昼のワイドショーが流れていて、ソファーの前に置かれたローテーブルには食べ掛けのサンドイッチが放置されている。

 部屋の主は辞書程の大きさの書籍を書斎机の上で広げていて、俺の姿を一瞥するとゆっくりと立ち上がった。

「久しぶりって訳でもないか」

 支倉インダストリーの創業者であり、現社長でもある支倉七緒は、俺の姿を確認するなりライターを投げてよこした。

「煙草吸うだろ?まぁ座れよ、吸いながら用件を聞いてやる」

 俺は七緒の勧め通りにソファーに腰掛けて、煙草に火をつける。記憶喪失の少女もおずおずと俺の横に腰掛けた。

 七緒は短く切り揃えた金髪を揺らしながら、荒々しくローテーブルに座る。俺と同い年のはずなのに、普段食ってるものが違うのか、それともその痩躯の華奢さがそう錯覚されるのか、何故か俺よりも一回り若く見える。

「いや大した用事じゃない。ここの屋上、こいつに見せてやりたくてな」

「それは別に構わないけどよ、そいつは?」

「そいつはお前の姉貴に聞いてくれ。俺から説明していいもんか、そいつは分からん」

「了解。なかなか面倒そうな案件を抱えたみたいだな。屋上はエレベーターホールから階段で上がれる」

「おう、急に来て悪いな」

 吸いかけのタバコを灰皿に投げ入れて、俺は屋上へと向かう。

 記憶喪失の少女も慌てて立ち上がり、七緒に一礼すると俺の後を追った。

 階段を一段登る度に、徐々に足取りは重くなる。理由は分かりきっていたが、そんな繊細な感情が俺にあったのかと自分でも意外に思うほどだった。

 果たしてこの少女は、あの屋上から見える景色を見て何を思うのだろう。

 俺は彼女になんて説明してやればいいのか。

 それは、どんな業務よりも気の重い仕事に思えて仕方がなかった。

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