第1話 夜来る ②

 護民官とは——。

 半公半私と呼ばれる特殊な立場である。

 市政を行う市長と市議会を外部から監視するある種の権力に対する抑止力であると同時に、市議会が定める公的事業の下請業者でもある。

 市議会の議席数は市長含め六十席。これは、空鳴市発足当初から変わっておらず、人口の増加に伴う市政運営の煩雑さの受け皿として登場したのが護民官という職業であった。

 議席数の増加と護民官制度の導入、或いはまた別の方策の導入という解決策のうち、護民官を選択した歴史については割愛するが、制度導入当初に公的登録された護民官の数が二十名であったことに対し、制度導入から200年が経過した現在、護民官資格保有者が800名を超えていることを鑑みると、護民官制度の導入がいかに評価されているか分かることだろう。

 無論、空鳴市の人口が増加しているという事実は無視出来ない要因の一つではあるが、最早市政の運営に護民官という存在は必要不可欠なのは変わらない。

 現在、大小様々な護民官事務所が存在しており、事務所ごとにその業務内容は大きく異なるが、例を挙げると、市議会から要請を受けて遂行される各種調査業務や情報整理業務はもちろんのこと、空鳴市や公的機関等の行政相手に訴訟した場合の裁判官は護民官が務めることになっているほか、業界団体や市民団体の要望を市議会に対して提出するという業務もある。

 また、実績や功績が評価されることで名を連ねることができる護民官会議のメンバーは、市議会議員選挙及び市長選挙の選挙管理委員会を務める。


「特に、この選挙管理委員会の部分はよくテストに出るから覚えておけよ」

 政治学の授業とはいえ、まだ入学したての一年生に対してはまだまだ基礎的な内容を教えざるを得なかった。

 外部講師なので、週に一回の授業のみで済んではいるが、それでもこの仕事は他の業務とは種類の異なる妙な疲労感を毎回覚えるので、俺は余り好きではなかった。

 流石は名高い鐘楼区学園の生徒だけあって、俺が黒板に書いた内容を真面目に板書しているようだ。

 しかしそんな中で一人、こちらを真っ直ぐ見据えて、腕をピンと伸ばす生徒が一人いた。

 確か——三週間ほど前に入学してきた生徒達なので正確に記憶している自信はないが——武市棗たけちなつめといったか。

 同業者である武市清蔵たけちせいぞう護民官の一人娘なので、何となく覚えていた程度の女生徒だった。

「先生も護民官なんですよね?先生はどんな仕事してるんですか?」

「俺か?そうだな…こうやってお前らの授業をしているのも勿論業務の一環だ。今説明した中だと、行政からの下請業……正式には委託業務と呼ばれるが、それの一つに分類されるな。それ以外で言うと、次の議会で提出される予定の困窮者への生活扶助制度の改正案に対する具体的検討策の説明資料の作成とか、エネルギー事業推進補助金の申請書審査業務とかだ」

 数ある業務の中で口外しても構わない仕事をいくつか並べると、余りピンと来ていないのか、武市も他の生徒も反応は薄かった。

 護民官は目立たない業務が多く、学生から見れば退屈な職業に見えてしまうのかもしれない。そう考えた俺は、生徒の興味を引けそうな話題を思い出す。

「護民官資格っていうのは要するに、行政に対する下請け資格とほぼ同意義であるが故に、どうしても政治家と同一視されがちだが、実際のところは何でも屋みたいなもんだ。例えば、とある事件で警察の捜査にどうしても納得のいかなかった被害者が護民官に依頼し、改めて捜査を行なったその護民官が見事真犯人を割り出したなんていうケースもある。俺自身も駆け出しの頃は、市議会議事堂に飾る花の選定なんていう仕事もしたことがあるぞ」

 正確に護民官という職業を理解するためには、ある程度噛み砕いた説明があると判断した俺は、カリキュラムの作り直しの必要性を痛感した。その一方で、教師でもないのにこれから毎週授業内容を考えなければならない現実が、頭痛の種になりはじめている。

 今回の教壇は、恙無くとはいえなくとも自己評価で及第点の出来として終わりを迎えた。安堵の気持ちが少なからず湧いたのが唯一の慰めであった。

 昨日の朝に出勤してから連続しての勤務だったので流石に疲労が襲う。

 まだ昼過ぎだが、とっとと家に帰って仮眠でも取るかと学園をあとにしようと外部講師用の控室から出ると、部屋の前に武市が携帯端末を片手に立っていた。

「すいません。訊きたいことがあるのですが、いいですか?」

 表情からは、何を尋ねたいのか読み取れなかった。単なる授業の質問を訊くような真面目な表情に見えるが、護民官の娘である彼女がいまさら、今日のような基本的な授業に関してわざわざ質問に来るようなことは考えにくい。だからといって、単なる世間話をするような和やかな雰囲気でもなかった。

「……別に構わないが、次の授業はどうしたんだ?」

「もう昼休みですよ。それに、そんなにお時間は取らせませんので。ここじゃなんですから、先生の部屋で、少しいいですか?」

 と言われたので、俺は仕方なく踵を返して、控室に戻ることとなった。

 話とは何だろうか、俺はそう逡巡するが、全く思い当たる節がないので無駄な思考を放棄してパイプ椅子に腰を下ろした。

 長机の向かいに武市が座り、僅かな沈黙の時間が流れたあと、彼女は口を開いた。

「先生は賢木護民官って方、ご存知ですか?」

「……知ってるも何も、賢木の事務所唯一の在籍護民官だ。要するに賢木護民官は俺の上司にあたるな」

 とはいえ、彼女と俺の間に明確な上下関係はなく、賢木自身がそれを望まなかったので、あまり上司という印象はないが、と心の中で呟く。

「良かった……。なら、貴方は松永まつなが派閥の護民官では、ないのですね?」

「……?まぁ、あそこは現市長の後ろ盾にもなってる大手派閥だからな、ウチみたいな弱小事務所は歯牙にも掛けないだろうよ」

 と、言い終えたところで、俺は口を滑らせたと後悔した。

 彼女は武市清蔵護民官の娘だ。


 武市清蔵といえば、松永派閥のトップ、松永長政まつながながまさの右腕的存在である。

 電気と水道などの公的事業における予算増加案を提出した白河議員の依頼により、各種資料を作成し、その資料の完成度の高さから武市護民官が当時若年でありながらもその一件で手腕を認められ、一気に一線で戦う護民官の地位へと自身を押し上げたのは有名な話だ。

 白河議員も当時は初任期ということもあり、議会内部の公的事業に対する反応を確認するためだけの予算提案であったと後の取材で語っていた程だ。

 そもそもが、公的事業に於ける厚遇政策というのは、市民からの支持を得難い上に政策としては地味な為、通常はあまり意識されない方策の一つだ。

 それも知名度・人気共に事足りてる大御所の議員が、必要に迫られた際に仕方なく提案して通るような、ある種議会内部で問題性が共通認識として存在した場合にのみ提出するのが、これまでの常識であった。

 白河議員としても、議会内部での自身のアピールとして利用する予定であり、即ち、本格的に公的事業の予算増加が現実に起こるとは思っていなかったのである。

 しかし、議会内で配布するための資料作成として依頼した武市護民官というのは、彼の予想を遥かに超える傑物であったのだ。

 彼は顕在化、表面化すらしていなかった公的事業における課題点、問題点を指摘。更には五年十年先に起こりうる懸念点を数字のデータとして資料に載せ、市内のみならず外交的問題に発展し得る予測までも資料に盛り込んだのである。

 若手議員の提案した予算増加案の添付資料は、当時の議会を大きく震撼させた。すぐ様、その資料の内容を精査するべく一級護民官数名が調査を開始、その結果を受けた議会は予算増加のみならず、対策委員会までも設立するほどだった。

 白河議員は勿論、武市護民官はその功績を広く認められ、二人は若くして一気に政界のスターダムへとのし上がったのだ。


 およそ二十年近く前の話であり、俺も当時は子供だったのであまりよく知らないが、その武市護民官は、今まさに話題に上った松永派閥の重鎮である。

 その娘が、わざわざ自身の父親が所属する派閥の名前を出した。

 それも、護民官である俺に。

 ——つまり、ここから先の話は、学生と先生の会話ではなく、護民官と護民官の娘の話になるということだ。

 俺は気を引き締め直して、武市を見た。

 眠気に侵されていた思考能力が、ようやくまともになってきたようだ。まるで冷水を浴びせられたかの如く、思考がクリアになっていく。

 そうなると、今まで気づかなかった部分にも気がつくようになる。

 武市は僅かに唇が震えている。

 顔色もどこか白くなっている。

「私、聞いてしまったんです」

「……何を?」

「父が電話で話している内容を……。賢木護民官を始末する、って」

 真偽の程はどうあれ、彼女はそれを心底信じているようだ。

 恐怖に近い何かを感じているようだとも分かる。

「それは……なんていうか、穏やかじゃない話だな。だけど心配するな、君のお父さんは少し言葉が乱暴なだけで、多分次の市長選挙での対応か何かの話をしてるんじゃないかな。松永派閥は次の市長選挙戦において、谷原議員を推挙して行く方針だ。一方で、ウチは友永議員から立候補する際の提言案の作成依頼を受けている。多分、そういうことだと思うんだが」

 護民官は基本的に中立の立場として、特定の議員のみに肩入れするような行動は禁止されている。しかし、正式な依頼として仕事を受けた場合(護民官相互監視委員会によって依頼料が適正かどうか精査されるが)は、選挙中であろうと彼らの依頼を遂行する権利がある。

 しかしその仕事内容は清廉でなくてはならず、具体的にはデータの虚偽や改竄は違法とされている。

 立候補者達が護民官を雇うのは、自分達にとって都合の良い情報やデータを集めるか、政敵にとって不利な情報を集めて公表するような仕事を任せるためである。

 メディアと違って、護民官の提出するものに虚偽や改竄があってはならず、厳罰化もされているため、有権者にとって護民官経由で公表された情報というのは何よりも信頼性が高い。

 そのため選挙期間は、護民官同士の戦いでもある。自身の依頼主に不利な情報が渡らないように妨害工作をすることもあるし、隠蔽すらも行われる。(勿論表向きには、それは公認されていないが、情報の隠蔽に関しては法に触れない)

 だからこそ俺は、武市の言葉をそういう意味で捉えていたし、妨害程度で賢木を始末することなんて土台無理な話だとも思っていた。

 むしろ、護民官をよく知らない彼女の勘違いだと微笑ましく思ったほどだ。

 しかし、彼女は言葉を続ける。

「そうであればいいんですけど……。父は、始末する為に、銃を入手する手筈が整ったとも、言っていました」


 勘違いしていたのは俺の方だった。

 銃、などという物騒な単語が出るとは思っていなかった。

 動悸が激しくなる。

 空鳴市において、銃を手にするということは、殺人事件よりも重大な事件の一つだからである。

 何かが起こる。

 彼女の言葉は俺にその確信をさせるのに、十分過ぎる程の重みを持っていた。

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