第41話


 まるで、多面体であるダイヤモンドに、角度による反射の変化を期待するように、太郎はマツタケをクルクルと回しながら観察していた。無論、マツタケに反射光の美学など有るはずもなく――しかし、芳醇な水分量の齎す水滴が代わって輝いていた。子供が一生の宝物を眺めるような視線に、太郎以外の面々は引いてしまっている。


 それもそのはずで、この世界におけるマツタケの立ち位置は、別に特別ではないのだ。美味しい茸として珍重されてはいるが、滞りなく一般流通している。その最たる理由は、魔法による完全栽培が成功していることにあるのだ。その為に、今の太郎は珍しくも無い茸で驚く男……である。


 もちろん、太郎も人工栽培品のマツタケを幾度も味わった。地球の品にも負けず劣らず、香り高く味わい深い最高のキノコであることは間違いない。そんなマツタケを乾燥させて持ち歩く日も珍しくなかった――が、あくる日の野営の時に、太郎は発見してしまったのだ。天然物のマツタケを……――それは、これまでの価値観を破壊するのに十分な品であった。


 これは地球の「エノキタケ」にも言えることだが、天然物には特有の良さがある。特に茸界隈では、その差が如実に表れることで有名だ。だから、天然物との表記だけで、値段が跳ね上がることもしばしば。それは長い年月の間、人間の手による管理で本来の味が形骸化し、人間の好みに寄る調節が繰り返されたせいだろう。それでも十分に美味いのだから、その長期間に渡る変化に人間が気づけるはずもなく……。


「マツタケくらい私も知っているけど……そんな驚くような茸かしら」

「リオンさん、来なさい」

「……う、うん」


 異常な様子に怯えながらも、リオンは太郎の下に歩み寄った。それから太郎が鼻を突くジェスチャーをして、マツタケを差し出してくる。「嗅ぎなさい」とのジェスチャーを察知し、ゆっくりと鼻を寄せた。それは30センチ手前で起きた。浅くではあるが、あの芳しい香りが鼻腔を潜ったのだ。ほどほどに風のある屋外で、この離れた距離から香りを放っている。その事実に、リオンは目を見開くしかなかった。


 そのままミツバチが花に寄せられるように、徐々に彼女の顔がマツタケに近づいていく……――瞬間、彼女が大きく口を開けた。すかさず太郎が人差し指と中指を、リオンの口に差し込む。勇者の咬筋力に状況不利かつ指二本で抗うのだから、太郎という男の凄まじさをジャッキーは感じ取っていた。


 太郎の指から土の香りを受け取って、ようやくリオンは指を放した。顎に向かう涎を袖で拭いて、静かにマツタケを二度見する。明らかに市販品とは違う――瞬く間に魅了されたからこそ、彼女の視線には疑念が含まれていた。


「……どうやら、マツタケではないようね」

「マツタケではあります」

「嘘は止めて。私に恥をかかせたかっただけでしょ?」

「いいえ、これはマツタケです」

「……そう、そこまで言い切るのなら、もちろん調理してくれるんでしょうね?」

「はい。……――と、言いたいところですが、今は難しいでしょうね」

「な、何でよ!!」

「あちらを御覧ください」


 ゆるりと指さす太郎、その方向に視線をやれば、そこには更に亀が待機している。それに項垂れるリオン、しかし視線を上げて睨みつける。彼女の戦意は衰えていないようであった。既に彼女の視線の内には、あの亀の奥に控えるマツタケが覗いているのだ。先ほど編み出した攻略法を念頭に、彼女は静かに歩みを進めた。


「さっさと片付けて……昼酒よ」


 どうやら、呑む気でいるらしい。

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