第37話
◇――[紅葉の中で]――◇
ジェイクが戻るのが遅い。30ほどで戻るはずが、もうすぐ一時間が経とうとしていた。それに不安を募らせるジャッキーは、心情を隠そうともせずに激しく貧乏ゆすりをしていた。こんな不気味な森の、尚且つ未開領での時間超過とは、通常よりも遥かに長く感じさせる。
そんなジェイクが現れたかと思えば、彼の後ろにはゾロゾロと大量に冒険者がついてきている。その光景を目撃した段階で、ジャッキーは本陣の結論を悟った。「調査の続行」と、「本陣との合流」だ。連絡手段が無くなったのなら、先行部隊は無駄死になる。調査を続ける場合には、合流以外の選択肢がないのだ。これまでの魔物が許容範囲内だったのも、この大きな決断の一つの理由だろう。
――そして、それは唐突に始まった。
まるで雪が宙を舞うように、紅葉が視界を埋めている。それは風に舞う枯葉を美しく飾り立てる為の比喩ではなく、単純に資格として得た景色を情景しているに過ぎないのだ。落ちることも無く、その空間に紅葉が漂っている。全く持って唐突に、紅葉が浮き上がったのだ。
あまりに不可思議な現象を前に、警戒を好奇心が上回って、リオンは宙に漂う枯葉の一つに手を伸ばした。それは彼女の手が近づくと、拒絶を示すかのようにヘチマみたいに曲がる。紅葉がどうこうという訳ではなく、さらに指を伸ばせた彼女の指までグニャリと曲がってしまった。無論、骨折した訳ではなく、焦って手を引き延ばすと元に戻った。疑問のままに口を開くリオンに、ジャッキーが答える。
「これって……何が起きているの?」
「わからない。でも……ほら、俺の指まで曲がった。これって……まるで空間が歪んでいるような感じ、なんだと思う」
「それって、状況的には不味いの?」
「わからん。いくら歴の長い俺達でも、こんなのは経験したことがない」
リオンは生唾を飲み込む。ロザリッテの勇者として経験を積みつつも、このような未開領の探索には手を出していないのかもしれない。一同が動揺する中で、俯瞰から見下ろすように状況を飲み込む音が一人。太郎は顎先を指で掻きつつ、誰にも聞こえない程度の声で「やはり、人数が必要だったのか」と何かに納得した。
「俺はジェイクと合流して、この状況を大隊長に相談してくる。すぐに戻るから、三人はここで待機していてくれ」
「了解した。二人は俺の側に来てくれ。いざとなったら防御魔法を展開するから」
「よし、二人のことは頼んだぞ」
今は宙を漂う紅葉に動きを止めているが、もはや本陣との距離は間近である。刻一刻と変化する状況に備える為に、すぐにジャッキーは駆け出した――が、走り出した途端に衝突した。そこには何もないが、紛れもなく衝突して、ジャッキーは尻もちをついたのだ。まったく理解の及ばない状況に、彼までポカンとしていた。
目の前で倒れるジャッキーに向かって、ジェイクが何かを喋っている。大口を開けているから相当なボリュームであるはずが、微塵も音が聞こえなかった。奇怪な状況に怯えを含みつつ、ジャッキーは鈍重に立ち上がった。向こう側から見えない壁を叩くジェイクに向かって、そっと手を伸ばしてみる。音もなく意図を交わした二人は、互いの手を重ねた。しかし、そこには空白がある。
「何だよ、これは……。どうして、そこにあるのに届かないんだ?」
その隙間に顔を近づけて覗くと、やはり数センチほどの幅がある。ジェイクの使う「合掌」のような、とても頑強な壁があるのだ。焦燥から冷や汗を流すジャッキー、未開領での分断など、死にも等しい状況だからだ。
「……まずいな。何としても本陣に合流しなくては」
「隊長、破壊は難しそうですか?」
「無理だな。ジャッキーの最高火力を用いても、おそらくは弾かれて終わるだろう」
「ですが、このままでは……」
「太郎氏、君ならどう考える? 今はどんなアイデアでも欲しいんだ」
「これは次元が歪んでいるんです。つまり二次元に三次元が干渉できないような状況に置かれているわけです」
「……え?」
全く動揺することもなく、太郎が状況を解説し始めてしまった。それに唖然として耳を貸すことしかできない。この窮地にそんな対応ができるのは、初めから全ての状況を熟知していた者だけであるはずだから。
「な、何だよ太郎氏。何を言っているんだ?」
何としても、この男を問い詰めなくてはならない。そんな使命感にジャッキーが駆られていると、細い洞穴を風が鳴らすような、甲高い空洞音が鳴り響いた。この何の変哲もない森の何処から、そんな音が聞こえるのだろうか。
木の幹に鳥が開けた穴を通ったのか、それとも獣の掘った穴か、とかく空洞音は鳴り響いて、ジャッキーの耳の内で残響した。その奇妙な違和感は、やがて娼婦が背筋に手を這わせるような、艶めかしい敵意へと変貌を遂げていく。細かく瞳孔を震わせるジャッキーに、ジョージが揺れる声で答えた。
「そ、そうか、どうして気づかなかったんだ」
「ど、どうした?」
「何かが起きているんじゃないんだよ。最初から、さ……」
「だから、何が言いたいんだよ!?」
「現れただけなんだよ――……
――次元の違う存在が」
それは理解でもあり、また悲鳴でもあった。
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