第34話


 仲間たちが揃う前には、ジャッキーの顔つきに精悍さが戻っていた。朝の準備を簡単に済ませて、すでに一同による行軍が始まっている。森の雰囲気に変化はなく、相変わらず魔素嵐による不快感が、沼地の地面のように靴底に粘着質な不快感をもたらしていた。二日目ともなれば、それに慣れが生じて足取りが軽くなっていた。かといって油断するでもなく、三人の冒険者の視線は場に見合う鋭さを持っている。


「予定通り進行できれば、今日は最深部に到達できる。ここからが本番だ」

「了解っス」

「二日間の進行、一日の間に大森林より脱出する。それには、深部に到達した我々が速やかに本陣へ合流する必要がある」

「把握したっス」

「ここから戦闘が苛烈になる恐れがある。その場合には、誰かが時間を稼ぐような場面が来るかもしれない。最悪なのは全滅することだ、迷うなよ」

「……了解っス」


 ジェイクは苦い顔をしつつも、言葉の節々に込められたジャッキーの覚悟を悟ったようだった。口を一文字に結び、厳しい顔のまま深く頷いている。未だに未開領は、自然の牙を微笑みに隠したままで、土足の来客者を母のように包み込んでいた。その不気味さが、虫食いの葉のように一同の心に隙間を作っている。


 そうして歩を進めること一時間、ジャッキーが足を止めた。森の表情が急激に変化したからだった。あれほど深緑に満ちた木々が、紅葉している。その赤と黄色の織り成す景色は、落ち葉となり地面にまで反映されていた。そして優しく撫でるような風が通り過ぎれば、数枚の落ち葉が上から下から舞っている。


「これが、最深部……なのか?」

「わからないっスけど……なんだかヤバイ気がするッス」

「ジョージ、すぐに本陣へ共有してくれ」

「……隊長、魔素嵐が酷過ぎて、通話魔法が繋がりません」

「おいおい、マジかよ」


 その間にも太郎は周囲に視線を這わせていた。いつの間にか、リオンも太郎の側に寄ってきている。明らかに彼女も警戒していた。このままでは流石に不味いか、と太郎はジャッキーに声をかける。


「嫌な予感します」

「……ふぅ。ジェイク、剣を抜け。ジョージも、ここからは魔法を使え。但し強化魔法は使うな。魔素嵐の中じゃ、どんな効果になるか解らん」

「あまり頼りにしないでくださいね。真っ直ぐ飛ぶかも怪しいくらいだ」


 全員が戦闘態勢に移行した。冒険者三人が集中力を高めるなかで、太郎は彼らに聞こえない程度の声でリオンに「バレないように擬音でサポートを」と指示を出す。その一言から、これから来る驚異のレベルを間接的に覗くこととなった。同時に疑問を抱えることになったが、それに言及するのをリオンは避ける。彼女は搭載されたRAMの全てを状況把握に使っていたからだった。


 紅葉に見惚れる暇などなく、それは秋の風のように現れる。紅葉から赤と黄色を、そのまま書き写したような体色を纏い、その丸い瞳孔に引いた「1」のような線で、冒険者らを見つめていた。あの馴染み深い柄には、太郎も深く見覚えがあった。一言で言えば大きな猫――「ヒョウ」である。


 ヒョウは冒険者らを淡々と眺めており、一見して敵意が感じられない。だが、それは実力差から生じる余裕だという可能性だってある。一瞬の油断も許されない状況が続いた。やはり、先に動き出したのはヒョウの方だった。


 あの大型の猫が歩を進めた瞬間、紅葉の満ちる落ち葉が舞い上がった。それらはヒョウの周りを回転して、疎らに踊ったかと思うと離れていく。それを見たジャッキーが静かに「スキルだ」と周囲に警戒を促す。そんな緊張のさなか、ヒョウの方から笛の音が鳴り始めた。ピューピューという器用な音は、確実にあの猫の口の動きと連動している。そして、連動するのは口だけでなく、落ち葉もまた音に合わせて踊る。


 咄嗟にジャッキーが「来るぞ」と指示を出す。ジェイクと二人で並んで、さながら門番のようでもあった。彼らは腰を低く構えて、敵の攻撃に盤石の態勢を作る。全ての準備が終わった途端――……紅葉が飛来した。


 その赤と黄の流星群に対して、ジャッキーは器用に剣を動かす。流石に停止したままでは間に合わないので、二人とも並びながら数歩下がりつつ切り落とす。その熟練した手捌きは感動を覚えるほどで、向かってきた無数の落ち葉を全て処理した。


 そうして視線を上げた時には、ヒョウの姿は消えていた。ジャッキーとジェイクの二人は背中合わせに構えて、敵の襲来に備える。次の瞬間、二人の足元に風のうねりが生じた――同時に、まるで火薬でも付いているみたいに打ちあがってしまった。あっという間に地面から10メートルは離れたかと思えば、その周りを紅葉が舞っているのだ。


「ジェイク!!」

「了解っス!!」


 咄嗟にジェイクが合掌、その瞬間に周囲に透明な障壁が発生する。そこに紅葉の弾丸が幾重にも着弾した。単なる落ち葉かと思えば、ぶつかる度に生じる音が、被弾時の被害を想像させる。いつの間にか、ジェイクの展開した障壁にヒビが入っていた。何とか敵の攻撃を防いだが、10メートルあまりの高さからの落下という窮地が残っている。そこでジャッキーがジョージに視線をやれば、落下の寸前に風魔法が展開された。ふわりと着地に成功した後に、またヒョウの姿を探す。


「ジェイク、『障壁』の調子は?」

「もうヒビを入れられたっス。修復に3分は必要ってところっスね」

「……いきなり敵の実力が上がったな」

「どうするっスか? と一撃はヒビありでも耐えられるっス」

「そうすると充填に時間がかかる……ここは攻め一択だな」


 ――しかし、視界は宙を舞う紅葉に覆われていた。


 

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