第33話
◇――[お隣さん]――◇
平坦に篝火を眺める太郎。他の面々は既に眠りについている。見張りを申し出た際には、優しい人達だったから長尺の議論が勃発した。しかし、太郎は自信が不眠症であると嘘をついて、この立場を獲得したのだ。
そうして踊る火を見て時間を潰していれば、背後から歩み寄る気配を感じる。来客者を篝火に投影すれば、落ち着いた橙色のままだった。この局面での落ち着きよう、自身の腕前に並々ならぬ自信がある証拠。彼女が横に座る前に、その正体を太郎は見抜ていた。
「それで? 今の状況を教えてよ。こんな危険な場所に招いて」
「ロザリッテとの戦争を遅らせる為に、瓦礫山脈に更なる脅威を作ります」
「……いまいちピントは来ない」
「つまり、ここ未開領には友人のスカウトに来た訳です」
「そういうことね。まったく未知の魔物を発見すれば……流石に警戒するはず、と」
「未知の魔物?」
「うん? どうして聞き返すの? 順当な推理でしょうに」
「いいえ、失礼しました。確かに順当な推理ですね」
「ちょっと待って……まさか、まだ何か隠しているの?」
「いいえ、特に何も……」
「珍しく尻尾を出したわね。簡単に逃げ切れると思わないで」
「ちょっと、声が大きいです。皆さん寝てますから」
「そ、それはそうだけれど……これは放置できない違和感よ」
「ここは大人になって下さい。後に解ることですから」
「本当にずるいヤツね」
「そういう僕を理解しつつあるくせに」
「カチンとくる言い方……殴ってやりたい。今は腕も鉄だし」
「撲殺する気ですか? 勘弁してください」
「……はぁ、まあいいけど。今後の為に慣れておく必要があるみたいだし」
「ほら、明日の為に休んでください。歪みも強くなっていきますから」
「……歪み? 変な言い方ね。魔素嵐でしょ」
「そうそう、魔素嵐です、まそあらし」
「今の一言だけで、凄く嫌な予感が噛み合った気がした。これ以上は聞かない方が正解なのかもしれないわね」
「そうして頂けると嬉しいです」
「……もう休むわね」
リオンは首を左右に振って立ち上がる。しかし、その場で立ち止まって太郎に視線を戻した。小さく「ねぇ」と言った後、頬を掻きながら「ありがとう」と言った。それに目を見開くも、太郎は彼女の視線から隠れるように篝火だけを見た。その橙色は煮詰めたように色濃くなって、パチパチと細かく震えるように揺れていた。ある種、線香花火にも近い。
――翌朝、最初に目覚めたのはジャッキーだった。太郎は無言のまま隣に座るジャッキーにコーヒーを差し出す。受け取って口を湿らす程度に呑むと、彼は周囲に視線を這わせた。
「静かだな。想定以上に静かだ。夜はどうだった?」
「同じです。暗いだけの夜でした」
「どう思う? 経験に基づくアドバイスが欲しい」
「た、たったの二年間ですよ?」
「だが、俺達より注意深く過ごしてきたはずだ。弱者としての知恵と経験が、太郎氏を生かして来たはずさ。それに、最初にダチョウに気づいたのも太郎氏だった」
「あ、あれは……只単に不安で」
「謙遜することはないさ。どうして不安を感じたんだ?」
中々に聡い男だな、と太郎はジャッキーの評価を改める。とはいえ、太郎の真の実力を見抜いた訳ではなく、野性的な勘と言う潜在能力を見出したのだろう。彼も仲間を守るために必死なようで、篝火も青く揺れている。このあまりの静けさに、少し怯え始めているのかもしれない。確かに不気味な夜明けだった。
「――苔です。一見、同じように地面を覆っているように思えて、実際は違います。よく観察すると、分厚い層と薄い層がある。その薄い層は奇妙なほど規則的で、ある種の獣道なのかもしれない。そんな不安が過ったんです」
「なるほど、参考になる。だが、普通なら苔は、通り道に生えないはずなのに」
「そうした固定概念が危険なのかもしれませんね。ここは未開領ですから」
「間違いないな。今後も違和感があったら共有してくれ。参考にしたいから」
「そうするようにします。些細な違和感ほど、理解が得られないものかと……」
「いいんだ。冒険者によっては、野営組合員の意見など聞かない者が多いから」
「それが普通ですよ。僕自身、我々の意見を聞くのはお勧めしません」
「というと?」
「ほとんどが早死にするからです。それは一定以上の領域では、感覚など頼りにならないことを示す証拠ですから」
「……そうか、そうだな」
少しだけ眉を寄せて、ジャッキーはコーヒーを飲んだ。今の太郎の言葉は、もちろん冒険者にも当てはまる。すでに根拠のない悪寒が、ジャッキーの足元から這い上りつつあった。その不気味な感覚は、心臓へ向けて徐々に大きくなっていくのだ。不の感情は、好転的に働くことの方が少ない。自身を制御する為に、身体を温めて神経を整える。リーダーとしての責任が、彼を支えていた。
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