第24話



 戦槌を振り下ろし、氷柱を砕く寸前、マルテラは凍る太郎の姿に違和感を覚えていた。いつの間にか、彼の右手に道具が握られている。それは、四角く先の平たい品であり、いわゆる「シャベル」であると気づいた。野営の持つ能力が一つ「掘削」である。その黒い金属の塊は、あらゆる土壌を掘り抜くことが可能だ。


 そして、それは氷柱も例外でなく、掘削が発動した途端に穴が空いた。凍り付いたはずの太郎の周囲に空間が生まれて、彼は優雅に動き始めてしまう。その光景に唖然としながらも、ようやく先の地面の穴の理由に納得がいった――が、そんな場合でもなくて、すでに振り下ろし始めたオスカーの勢いは止まらない。


 その眼前で起こる奇妙な一幕を、マルテラは他人事のように眺めていた。太郎はマルテラに反撃をするでもなく、ふと地面に視線を下ろす。それからシャベルを宛がって、簡単そうに地面に穴を空けてしまった。するりと穴の中に消えて、空っぽの氷柱にマルテラの戦槌が直撃、氷の塊は盛大に弾けた。


 以上は、瞬き以下の間に行われた事象である。マルテラは眩しい陽光を覗くように右手を顔の前に掲げた。幾つもの顔に向かってくる氷を弾きつつ、何とか視界を確保しようと、指の隙間から先を覗き込む。焦るモーゼンの「やったか!?」という声には、囮に使われたこともあって反応する気になれなかった。今は地面から現れるはずの太郎に手一杯なのに、なぜモーゼンに気を払う必要があるのか。


 その軋轢が生み出す隙に、太郎は滑り込む。次に彼が現れたのは、モーゼンの背後だった。真後ろから聞こえるズボッという嫌な音に、モーゼンは彼にしては素早く振り返った。太郎の右手には黒い木槌が握られており、彼の頬を冷や汗がなぞった。


 今回の戦闘において、モーゼンは最大火力の魔法を使用していない。警戒すべき敵だと判断した時点で、自衛用の防御魔法に魔力を裂いていたからだ。重ねた防御魔法の数は九つ、古龍種のブレスさえ難なく弾くような備えである。だから、彼は攻撃を受ける前に攻勢に出る。言い得て妙ではあるが、リスクゼロの相打ちによって、太郎を撃破しようと考えているのだ。


 意識を取り戻した時、リオンは重度の貧血に陥っていた。暗がりに落ちるような景色の中で、ぼんやりとモーゼンと太郎を見つける。勇者としての職務、それに先の戦闘から、モーゼンの性格を分析しており、この場で最も有効な擬音が脳裏に浮かぶ。自身が死にかけていることなど度外視して、リオンは静かに呟いた。


「――バリン」

「――杭々(くいっく)」


 太郎の背後に三文字の擬音が現れる。それは極僅かな強化であったが、明確に効果を発揮していた。振り切られる黒い木槌が、いとも簡単に防御魔法を砕いていく。自身へと迫る黒い木槌を、モーゼンは唖然としながら見送るしかなかった。そこに生じる焦燥のせいで、魔法は形になる前に崩れる。


「……あえ?」


 やがて、木槌が直撃した。胸の中心にポッカリ空いた穴に、モーゼンは鈍重に視線を落としていく。何らかの言葉を発する為に口を開くも、空気を肺から得ることができず、微塵も音が鳴らなかった。ようやく彼の聡明な脳が現実に追いついて、ストンと両膝を落とす。ゴミ箱の蓋を閉じるみたいに、うつ伏せに倒れていった。


 太郎は静かにメタルマッチを取り出して、躊躇いなくモーゼンに着火した。手慣れた火葬までの流れに、マルテラは視線を細める。幾度も重ねられた生死を賭けた戦いの歴史が、そこに蓄積しているかのようであった。


 一連の光景を淡々と眺めた後に、何の感情の機微も無く、太郎はマルテラに視線をやった。彼女もまた太郎を見返すも、明らかに冷静ではない。視界の端に燃えるモーゼンの亡骸を捉えつつも、太郎から視線を逸らす蛮行などできなかった。マルテラの様子を一通り確認してから、また太郎はモーゼンから成る「篝火」に視線を戻した。


「リオンのヤツ……他人にも擬音を付与できたのね」

「周知の事実では無かったのですか?」

「誰だって奥の手を隠すものだけれど……最高のタイミングで手札を切ったようね」

「彼女には感謝しなくては」

「……命の恩人になるかもしれないのだから、チャラでしょ」

「決着をつける必要はありますか?」

「あるでしょう。今なら、まだ望む結末を作れるのだから」

「例えば?」

「エメロッテは非常に強力で、ここに来た勇者を全て殺した、とか」

「なるほど。戦争は避けられませんが、リオンさんは助けられそうです」

「……そうよ、どれほど足掻いたって、きっと戦争は避けられない運命なのよ」


 モーゼンを包む火炎が、灰色に変わった。彼から立ち上る煤に隠れて、それは目立たなかった。太郎は、そこからマルテラの鈍る闘志や迷いを悟る。洗脳でもされていない限りは、誰だって戦争には懐疑的であるはず。特に長寿なドワーフであるマルテラは、そうした経験には事欠かないのだろう。


 先の会話を聞く限り、瓦礫山脈を排除するのがロザリッテの狙だ。特に争点となるのは、やはり位置。ある種の防壁とする為に境界線に設置してはいるから、ロザリッテからの苦情を受けやすい。強力な魔物の巣窟が近所にあるのだから、彼らが排除に赴いても正当性は主張可能だ。もちろん地球であれば強引だと非難を浴びることになるだろうが、あくまで発展途上の異世界でしかなく、おそらくロザリッテの主張は幾ばくかの資金があれば通ってしまう。


 そうして不安要素を一つ一つ排除されて、最終的には国力で押しつぶされる。それが最悪のシナリオであるのは間違いない。この場でリオンを助けたが為に、瓦礫山脈を失うのは芳しくないのだ。


「マルテラさん、アナタには迷いがある。そして、それは僕も同じです」


 太郎とマルテラの視線が交差する。あえて視線に感情を乗せて、太郎は彼女の瞳を覗くように見た。鏡花水月、真意を形にせず、直感に訴えかける。


 ――どうです? 一つ、野営でも。


 その奇妙な提案に、幾つかの疑問がスパイスとなる。

 そして、マルテラは首肯した。

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